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のび太だって成長する!感涙「あの日あの時あのダルマ」/考察ドラえもん①

「あの日あの時あのダルマ」
「小学校六年生」1978年3月号/藤子・F・不二雄大全集・5巻

有名な話ですが、F先生は「ドラえもん」を小学館の学年誌、一年生から六年生までを同時連載する中で、小学六年生の3月号は小学校卒業=ドラえもんからの卒業という意味合いを込めて、いつもは駄目なのび太が一歩成長をしようとする物語を描かれていました。

そういう作品はどれも傑作ばかりなので、少しずつこちらでレビューしていきたいと思っていますが、本作はそうした卒業作品の中でも随一の傑作であると考えています。

まず、そもそも「ドラえもん」は、一本ごとの短編であって同じ一年をぐるぐる周回していく形式をとっています。その意味で時系列が進まない物語構造となっています。

しかしながら、藤子・F・不二雄大全集の「学年繰上り方式」の編集によって、実は小学一年生から六年生までを読み進めることで、のび太が読者と一緒に成長していることが明らかとなりました。

てんとう虫コミックだけ読んでいては、このような成長の物語であることは気付きません。大全集の最大の意義は、そのような事実を明白にしたことではないかと思っています。

とはいえ、一本一本の基本構造は永遠に日常が続く、ループのお話であることは間違いありません。なので、急に野比家が引っ越ししたり、先生が変わったり、誰かが死んだり、なんてことは「原則」ありません。

ここで意味ありげに「原則」などと書いたのは、じっくり読めば日常ループから離れた変化が時折仕込まれているからです。

それは「タイムマシーン」の存在によって、「ドラえもん」が過去と未来の狭間として現在を描いていることで、過去から現在、現在から未来という時間軸を抜き出すことで、実は重要な変化が進行している(していた)ことがあるからです。

現在から未来、という時間軸で最も重要なのは、のび太の結婚相手の変化でしょう。説明するまでもなく、ドラえもんが来る前ののび太の結婚相手はジャイ子であって、それがその後いつの間にかしずちゃんに変わっていきます。しずちゃんとのロマンスについては、また別の機会に考察していきます。

そして、過去から現在、という時間軸において最も重要なことは、おばあちゃんの死、という家族構成の変化です。人の生死がほとんど描かれない「ドラえもん」において、おばあちゃんが死んだ、という事実は、その影響も含めてのび太にとっても読者にとっても、特筆すべき変化であると考えています。

ようやくここで本作「あの日あの時あのダルマ」の話となります。

本作は、実にありふれたダメなのび太が強調された導入となっています。ママの指輪を失くしてしまったのび太が、このままではママにこっぴどく叱られて、勉強どころではなくなり、明日のテストで零点を取ってしまう、このままでは小学校も卒業できない、とドラえもんに嘆きます。小学校卒業というキーワードがさり気なく盛り込まれている点には着目しておきたいです。

ドラえもんの「なくし物とりよせ機」によって、失くした指輪を取り戻すことができたのび太でしたが、それで勉強をするかと言えばそうではありません。僕の頭では勉強してもしなくても同じ、と言い出してドラえもんは呆れてどこかへ行ってしまいます。

のび太はこのひみつ道具を使って、かつて失くしたものを次々と取り出していきます。マンガ、おもちゃ、そして、麦わら帽子・・・。この麦わら帽子は、「どこへいったのでしょうねと大騒ぎ」し、「谷に落としたあの帽子」と紹介されていますが、これは明らかに角川映画「人間の証明」の谷に舞い降りていく麦わら帽子をイメージしたパロディとなっています。

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「人間の証明」は本作が書かれた前年10月から大ヒットを飛ばしていた映画で、興収50億円以上を稼いだとされています。角川映画のメディアミックス大宣伝(本・音楽・TVCM)がはまって、一大ブームとなっており、この影響をもろに受けたものとなっています。

この部分は、子供のころ読んでいた時には全く気が付かず、後で知って少なからず衝撃を受けたものですが、実はドラえもんの中には、連載当時のブームを積極的に取り入れているものが少なくありません。これについても今後見ていきます。

さてのび太はついにこれまで失くしたものを全て出すことにします。その中には哺乳瓶などもあり、それを吸ったりしてのび太は過去の思い出に浸っていくのですが、そんな姿をみたドラえもんは、「もっと未来へ目を向けなくちゃ」と諭します。でものび太は「どうせろくな未来じゃない」「ずうっと子どものままでいたい」と後ろ向きなまま。

そこに、取り戻した品々の中に、小さなダルマを見つけます。このダルマはおばあちゃんがくれたものでした。ここで回想シーンとなります。

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小さいのび太が庭で転んで泣いていると、おばあちゃんがダルマを転がせて「ダルマさんもおっきしたよ、のびちゃんも一人でおっきできるでしょ」と声を掛けます。のび太はすぐに立ち上がると「おきてきちゃだめ、病気なのに」とおばあちゃんに駆け寄ります。

おばあちゃんは言います。「ダルマさんて偉いね、何べん転んでも泣かないで起きるもんね」「のびちゃんもダルマみたいに、転んでも転んでも一人でおっきできる強い子になってくれると安心なんだけどな」と。

小さいのび太は答えます。「ぼくダルマになる、約束するよおばあちゃん」と。

おばあちゃんはその後すぐに亡くなってしまったことを、回想を終えたのび太が口にします。だいぶ前の方で書いた過去から現在までの時間軸における、重要な変化が、明らかになる瞬間でもあります。

ラスト一コマ。のび太は自ら机に向かい、思いを馳せます。「僕一人で起きるよ。これから何度も何度も転ぶだろうけど。必ず起きるから安心してね、おばあちゃん」。何が起きたんだろうという表情で見守るドラえもんの姿もみえます。そして、勉強を始めるのび太の机には、小さなダルマがちょこんと乗っているのでした。

のび太は過去、おばあちゃんの死という人生初めての「別れ」を経験しています。読者となる子供にとっても、祖母祖父との死別は、大好きだった人と今後一生会えなくなる、という衝撃的なものです。のび太はそうした強いショックと共に、優しかったおばあちゃんとの思い出を胸に秘めて、静かに立ち上がるのです。

本作は、永遠に同時代をループしているように思えた「ドラえもん」の世界が、一気に前に進みだす瞬間を捉えた作品となっています。過去・現在・未来を一直線に描いて、ダメ人間のび太が、少しだけ大人になった姿を描く最高傑作の一本であると思います。



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