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「『気づき』のある暮らし」/あとがき
私が暮らしの中で楽しんでいる活動は、ネイチャーゲームと呼ばれるアクティビティだ。そして、そのアクティビティを通じて、人々を自然へと誘う仲間を「自然案内人」と私の仲間達はお互いに呼んでいる。ネイチャーゲームは、1979年にアメリカのナチュラリスト、ジョセフ・コーネル氏により発表され、その背景には、直接的な自然体験を通して自分を自然の一部ととらえ、生きることのよろこびと自然から得た感動を共有すること
もっとみる「『気づき』のある暮らし」/《季節からの招待状》
秋、周囲の田んぼの稲刈りが終わると、里には無事に収穫できたことへの安堵感が広がる。しかし、それも霙が降り始めて冬の準備が始まるまでのつかの間のことだ。人々は秋を忙しく働いているはずなのだが、なせだか里には「ほっ」とした空気が感じられる。人々の心にある「安堵」が共感として満ちているせいだろうか。それとも秋の忙しさは、そもそも充実したものだからだろうか。この時期、晴天が続き、山からは恵みとして里へ茸
もっとみる「『気づき』のある暮らし」/《目かくしイモ虫》
我が家にはスロープになっている芝の庭がある。私は、夜、そこに寝転んで星空を見上げるのが好きだ。
それは大概、飲んで帰った時だ。酔っ払っていると夏でも蚊が気にならなかったり、星空が澄む秋も寒さが気にならないからだ。「気持ちがいいぞ」と誘っても、家族は、「やれやれ、」と思っている。
星空を見上げながら、いつも「自分は地球に寝転んでいる」と思うようにしている。
背中にあるのは地球。
そう思う
「『気づき』のある暮らし」/《カメラゲーム》
自然の本当の姿を見たことはあるだろうか。
あなたが見ているものは本物だろうか。本当の色をしているだろうか。
あなたが見ているものは、本当の姿ではなく、あなたの心が見せているものなのかもしれない。
何も思い浮かんでいない心、裸の心になることは、難しい。と言うよりも心は、ころころと姿を変える。周りの自然もその度に違って見えている。心が忙しくコロコロと動いている時には、あなたは周りの自然に気づきもし
「『気づき』のある暮らし」/《風と話そう》
それは冬の上州に風が吹いている日のことだった。
雪国暮らしの私は、ある企業に研修講座を頼まれ、群馬県の冬枯れの森へ出かけていた。気持ち良く晴れたその日は、上州名物の「空っ風」が、すっかり葉を落としたクヌギの森を大きく揺らしながら吹いていた。
真冬の季節風だ。
青く抜ける空を背景に揺れる木々を眺めながら、「飯山は、きっとすごく雪が降っているんだろうなぁ。」と溜息がでる。
シベリアから吹き
「『気づき』のある暮らし」/《不思議探検隊》
森や山を歩くとたくさんの「なぜ?」「どうして?」に出会う。海や川で遊ぶ人も、きっと同じようにたくさんの不思議に出会うだろう。自然の中には楽しい不思議がいっぱいだ。
その不思議について専門の研究者に尋ねれば「なるほど!」と思う自然の摂理を解き明かしてくれ、その仕組みにあなたは感心するだろう。専門家がいなくても、自分で図鑑を調べたり、インターネットで検索するだけで自然の素晴らしい叡智が立ち現れる
「『気づき』のある暮らし」/《木の鼓動》
「あなたは生きていますか?」
そんなふうに問いかけられたら、あなたならどうやってそれを確かめますか?
自分は、日々ちゃんと生きているだろうか?
毎日を充実して過ごしているだろうか?
自分は、今ちゃんと生きていると言えるのだろうか?
まじめなあなたなら、そんなふうに哲学的に考え始めてしまうかもしれません。ちょっと肩の力を抜いてみよう。
「あなたは生きていますか?」
生物学的に、「生きている」
「『気づき』のある暮らし」/《サウンドマップ》
ある夜、早めに休んだせいか午前三時頃に目が覚めた。
「ほーほー・・ごろすけほーほー・・ほーほー・・ごろすけほーほー」
フクロウだ!
近くでフクロウが、啼いている!
「ほーほー・・ごろすけほーほー・・」
低くてやわらかい声は、遠くからでも聞こえる。
でも、今夜の声の主は、とても近い。
家の中でもはっきりと聞こえる。
「ほーほー・・ごろすけほーほー・・」
なんとも心が安らぐ声
「『気づき』のある暮らし」/《カモフラージュ》
里山は、一見すると「何もない」ように見える。でも眺めていて厭きることのない風景ばかりだ。
何もないように見えても、山に行けば美しいブナの森はあるし、山の中腹から眺めれば美しい棚田も見える。でも、見厭きない理由は、そこに何かが見えているから、ではないのかもしれない。
いくら眺めても厭きの来ない自然風景には、二種類ある。
ネパールに行き、ヒマラヤの山並みを目の前にした時もそうだったが、圧倒さ