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「『気づき』のある暮らし」/《サウンドマップ》

 ある夜、早めに休んだせいか午前三時頃に目が覚めた。

「ほーほー・・ごろすけほーほー・・ほーほー・・ごろすけほーほー」

 フクロウだ!
 近くでフクロウが、啼いている!

「ほーほー・・ごろすけほーほー・・」

 低くてやわらかい声は、遠くからでも聞こえる。
 でも、今夜の声の主は、とても近い。
 家の中でもはっきりと聞こえる。

「ほーほー・・ごろすけほーほー・・」

 なんとも心が安らぐ声だ。温かい布団の中で聞いていると優しい子守歌のようだ。でも、この声におびえているネズミやモグラがいるのだろう。
 それにしても、自宅でフクロウの声を聞くのは何年ぶりだろうか。
 この前に聞いたのは、自宅から田んぼをはさんでわずか100メートル、隣の集落の神社の境内に神代の欅の大木がまだあったころだ。

 鳥出神社の「大ケヤキ」は、県の天然記念物だった。推定樹齢1400年。目通り幹囲9メートル。我が家から眺めるその大欅は、大きな山のようだった。「となりのトトロ」のメイ達が、夢の中で蒔いた種からグングンと空に向かって伸びたあの楠のような姿をしていた。
 境内の真ん中にあり、伸ばした枝は境内全部を覆っていた。境内全部がひとつの木陰の中だった。子どもの頃は、その大きな木陰の中で良く遊んだものだ。今考えるとそこが木陰だということなんか意識したことはなかった。気づきもせずに大欅の懐で夏の強い日差しから守られて遊んでいたのだ。大人が手を広げても6〜7人居なければ囲めない巨木だ。こどもの自分がとりついたら巨大な岩のようだった。でも石にはない暖かみがあったような気がする。

 こども時代にはその大欅にフクロウが棲んでいて、夜になると「ほーほー・・ごろすけほーほー・・」と啼いていた。
 初夏の夜。暑さのほとぼりが冷めた夜の空気の中に響くフクロウの鳴き声は、田を渡ってくる風とともに私の子供心を柔らかくしてくれた。そのなんとも言えない心地よさは今でも思い出す度に私を優しく包んでくれる。
 あの声に守られているようで暗い夜が怖くなかった。とても心地よい安心感があった。今でも思い出すと心がゆるゆるとしてくる。

 しかし、私が大人になる前に、フクロウはいなくなった。

 代わりに車の音が響いてくる夜に変わった。
フクロウが鳴かない夜ばかりになったことに気づきもしなかった。そうやって時代が変わった。
フクロウが鳴かなくなったことを気づいたのは、何年経った頃だろうか、どこからか別のがやってきて、鳴く声を聞いたときだった。
静かで、太くやさしい声が響き渡り、時代が変わったことを教えてくれた。

 その大欅は、フクロウがいなくなってから30数年が経ったある夜、静かに倒れて、一生を終えた。風が吹いたわけでもなく、倒れた音も聞いたわけでもなく、静かに。

 朝、外へ出ると、いつもの風景が変わっていた。
 田んぼの向こうに高井富士と呼ばれる美しい姿の高社山が聳え、その間の中景としてこんもりとあった大欅・・・が、ない。
 最初は何が違っているのかわからなかった。でも何かが変わっていた。あの大欅が、毎日見ていた風景の中から消えていた。
 神社へ駆けつけると、大欅は、地上5メートルぐらいのところで折れて倒れ、その太い幹は境内を横切り、長い参道の横の畑に横たわり、枝先は参道入り口にある鳥居を越えていた。倒れて改めてその巨大ぶりを見せつけていた。
 倒れた欅から精気は感じられなかった。魂というものがあったのなら、すっかり抜けていた。こどもの頃に感じた存在感、それが魂というものなのかもしれないが、それはどこかへ逝ってしまっていた。
 そして私は、漠然とした不安を覚えた。
 何かが押し寄せてくるような不安だ。それまで大欅がその何かを押しとどめていてくれていた。しかし、1400年の命を閉じることで、その役目を終えてしまった。
守り神がここを立ち去った、そんな感じがした。

「ほーほー・・ごろすけほーほー・・」

 久しぶりにフクロウの声を聞いて、布団の中で大欅のことを思い出していた。そして、大欅が突然いなくなった時に抱いた不安も一緒に思い出した。神代の頃から守られていたことが、私が生きている時代に滅び始めたような、それを目の当たりにする恐怖が近いうちにやって来るような、漠然とした不安。

 後のニュースで知った。巨木を狙い、薬剤を注入して枯らし、それを売買するブローカーがいるということを。あの大欅もそうして倒されたのだろうか。まさに神をも恐れぬ所業だ。

 フクロウが近くで啼いている。
「ほーほー・・ごろすけほーほー・・」

 フクロウの声を聞いていると、それが、ずっと心のどこかに宿していた不安を消し去ってくれる気がした。
「大丈夫だ」と、やさしく語りかけてくれている。

 守り神は、まだ居る。そんな気がしてきた。

 しかし、さらに耳を傾けると
 フクロウは、「ただし、・・」と私に条件を伝えている。

「守られるためには、守るべき掟がある。」

 フクロウは、その太くやわらかな声で安らぎを届けながら、夜通し、生き物たちに、その「掟」について語りかけているのかもしれない。

「ほーほー・・ごろすけほーほー・・」

 自然の中から耳に届く音は、いろいろな印象を残す。それは、何かの記憶に結びついているものもあるし、同じ音でもその人の生活と関わってそれぞれ印象は違う。
 例えば、山の上にいて早朝、里の方から聞こえてくる列車の音を「聞きたくなかった」と思う人もあれば、コトコトというその音が「懐かしく心地よく」聞こえる人もある。
 また、音によってその場所の自然度もわかるし、人の生活もわかる。音で周囲の環境がわかってくる。

 聞こえてきた音を記号化して紙に落とし込んでいくと、音の地図ができあがる。気に入った場所で、そこで聞こえてくる音に耳を傾けて、音の地図を作ってみよう。

 千曲川の堤防に腰を下ろし、目を閉じてみる。体には温かい太陽を感じる。周囲の音が際立ってくる。
 空高く、ヒバリがさえずっている。
「ぴりり、ぴりり、ぴりり・・・」
すぐ近くの頭上にも、少し離れたところからも。ヒバリの輪唱だ。

 トラクターの音が遠くから響いてくる。天気が良く、どこかのどかに聞こえる。
 遠くではカッコウが啼いている。
 サァーッとやさしい風が耳元を過ぎていく。
 さっきから背中の方で車の音がする。対岸の堤防の上は幹線道路だ。さらにその奥をコトコト・・と飯山線の列車の音がする。
 背中のすぐ近くの葦藪ではオオヨシキリがにぎやかに啼いている。

 どの音も大好きな、この里の音だ。
 天気も良く、心地が良い。
 音を記号にするのはもう止めて、聞こえてくる音に身を委ねよう。

 農作業は順調に進んでいる。
 ヒバリは、卵を守るために一生懸命に注意を惹きつけようと空高く啼いている。
 何もかも、平和に過ぎていく。
 
 今、耳に届いている音は、季節や時間が変わったら、どんな音に変わるのだろうか。

 明るい月明かりの時だったら、どんな音がするのだろうか。
 あのフクロウは、啼くだろうか。

 音もなく飛ぶフクロウも、月明かりの中では姿を消すことが出来ない。月夜には、フクロウは、狩りを諦めて、生き物たちにこの世の掟について語って聞かせているのかも知れない。

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