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「『気づき』のある暮らし」/《不思議探検隊》

 森や山を歩くとたくさんの「なぜ?」「どうして?」に出会う。海や川で遊ぶ人も、きっと同じようにたくさんの不思議に出会うだろう。自然の中には楽しい不思議がいっぱいだ。

 その不思議について専門の研究者に尋ねれば「なるほど!」と思う自然の摂理を解き明かしてくれ、その仕組みにあなたは感心するだろう。専門家がいなくても、自分で図鑑を調べたり、インターネットで検索するだけで自然の素晴らしい叡智が立ち現れる。そしてさらに、生き物たちの理に適った生態に驚きながら、その生態がなぜ、どうやって生まれたのか、あなたにとって新たな不思議となるだろう。
みつけた「不思議」をきっかけにして、あなたは自然の神秘を想うことになる。そして、自然の営みの精緻な仕組みを知れば知るほど、自然に対する畏敬の念が益々深まるだろう。

 見知らぬ自然と出会った時、不思議を感じることは、自分の経験や知識、そういったものから成るちっぽけで煩わしい自然に対する先入観を超える切っ掛けになる。
 杉の森で一際に大きな女郎蜘蛛の巣をみつけ、その大きさに感心して見ていた時のことだ。私は、ふと疑問に思った。そもそも、蜘蛛の糸は、どうやって留まっているのだろうか。基のところはどうやって木や岩にくっついているのか。何かに絡めて留めてあるのだろうか。
あなたは知っていますか。
 私は、蜘蛛の糸がどうやって留まっているのか、それまで不思議に思わなかったために、知らなかった。これは後で調べて知ったことだが、蜘蛛の巣は放射状の縦糸と同心円に張る横糸の他に、縦糸を張るための枠糸というのがある。蜘蛛は、枠の中に巣を張るのだ。
私はその日、二本の杉の木の間にピンと張った太くて立派な糸が張ってあるのに気づいた。これが枠糸だ。その太い糸をたどっていくと太い杉の幹へ辿り着いた。果たして枠糸はどういうふうに杉の幹にくっついているのだろうか。
見て、驚いた。
 枠糸は、その先端が放射状に何本にも分かれていて、それぞれの先はガムをぺたりと貼り付けたようになっている。それもよく見ると何本もの糸の塊だ。枠糸は何本もの糸を撚り合わせて太くなっているのだ。そして、歌舞伎の蜘蛛の糸のように、先はパッと広がり、糸のアンカーは何本にも分かれているのだ。
 その時、映画のスパイダーマンの糸の先もそんな風になってくっついていたのを思い出した。映画や歌舞伎というものは良く自然を観察して創られているのだ。改めて妙な感心をした。

 それにしても、自分で思いついた不思議を自分の目で見て、発見して、解き明かす。これほど楽しいことはない。これは大人になっても変わらない。

 自然をより楽しもうと思ったら、まず「不思議」に気づくことだと思う。それが出来なければ、自然は「何もない」場所になってしまう。美しい花がいつもどこでも咲いているわけではないし、絶景がどこかしこにもあるわけでもない。まして人工の遊具があるわけでもないからだ。

 自然へ出かけたら、まず、不思議探しをしてみよう。何人かいたら、それぞれ「なんで?」「どうして?」と思うものを見つけてみよう。
例えば、
周りを見てもドングリの木がないのに、どうしてここにドングリが落ちているの?
どうしてこの木はこんなにクネクネ曲がっているの?
ふとした疑問でいい。
見つけたらカードにその疑問を書いてそこに置いてこよう。

 森の中にいろんな不思議が見つかったら、今度はみんなで不思議な森の探検へ出発だ!一緒に森を歩きながら不思議が書かれたカードを見つけ、一緒にその不思議の謎解きに挑戦してみよう。

 まず、その不思議を発見した人がみんなに質問をしてみよう。
「どうしてこんなところに動物の毛がついているの?」

 質問をされて、見てみると木の幹に動物の毛が付いている。
さあ、ここからみんなの観察と推理の始まりだ。思いついた答えをどんどん言っていこう。
「この木の下に動物の死骸があって、そこから栄養を摂ったら毛が生えちゃった!」
 え?まさか!と思っても、他の人から出てきた答えは否定しない。それよりも自分の答えを考えよう。そう、企画会議のブレインストーミングと同じルールだ。
「いや、この木が、動物を食べた!その食べ残しの毛だ!」
 動物を栄養にしちゃった考えに別の子が乗ってきた。他の人のアイディアを膨らませるのはオッケー。
「あれ?ここに傷がある!」
 毛が付いている幹を観察していた子どもが新たな発見!
「やっぱり、囓った痕だ!」
「え!じゃ木が食べたんじゃなくて、動物の方が食べたの?」
「ねえ、これ歯の痕じゃなくて角の痕じゃない?」
「わかった!頭が痒くて、木で頭をこすったら角の痕と頭の毛が付いちゃったんだ!」
「匂いを付けたんじゃない?」
「縄張りのマーキングだ!」
 みんなから「おーっ」と声が出る。
どうやら答えに近づいたみたいだ。
 
「この毛と傷は、そんな感じかな?」
 みんなが頷く。
「この辺りで角がある動物って、なんだろ?」
「カモシカ!」声が上がる。
 不思議を最初に見つけた子も他のみんなも納得の様子。

 みんなが納得する答えが見つからないこともある。

 こんな木があった。
 幹が大人の頭よりちょっと高いところで真横に4〜5メートルも伸びて、そこからまた上に伸びている。
「なぜ、こんなに横に伸びたの?」
 さて、あなたならこの不思議にどんな風に答えますか?

「ええっとね、隣りに嫌いな木がいて、そこから離れたくて!」
 それは、どの木?
 周りを見てもそれらしい木が見あたらない。
「みんなのお父さんになりたかった!」
 それは、どういうこと?
「ほら、お父さんの腕にぶら下がるやつ。」
 言われて見てみると、お父さんが力こぶを出して、ぶらさがってごらん、と腕を出している感じ。さっそく、何人もぶら下がってみる。
「わーい!お父さん、力持ち!」

 他にもいろいろな考えが出てくるけれど、みんな、どれも納得できないようだ。最初にこの不思議な木を見つけた子に聞いてみる。どの答えが気に入った?
「お父さんの木。」
 答えが見つからないけど、この木の名前は「お父さんの木」でいいかな?
 みんなが賛成!

 そうやって、みんなが見つけた不思議を考えながら森を探検すると楽しい時間があっという間に過ぎていく。

 ふとしたことに不思議を感じて観察すると、さらに面白い発見がある。しかし、どう考えても謎が謎のままのものも多い。そういうものの中には、専門の研究者に聞いても「まだ謎です」という不思議がたくさんある。たとえ仕組みが解明されていても、なぜそうなっているのか、その仕組みが生まれたこと自体が不思議のままのものも多い。それこそが人知を越えた自然であり、自然に遊ぶ楽しさのひとつでもある。
自然は、不思議に満ちている。自然には、まだ未知の領域がたくさんあるのである。摩訶不思議な世界。

 こどもとこの活動をした時には、こんなことを伝えることにしている。
「みんなで、いろいろな不思議を発見したね。みんなが考えてくれたことは、どれも素敵で楽しかったね。そして、本当の答えはどれなのか、私にもわからないことがまだいっぱいあります。そして、科学者や研究者に聞いてもまだわかっていないことが自然にはたくさんあります。この中の誰かが、将来、科学者になって、その答えを発見してくれるとうれしいな。そして、科学者にならなくても、自然は不思議だからおもしろいなと、大人になっても思っていてくれたら、うれしいです。そうしたら、また一緒に自然の中で楽しめるからね。」

 大人になった私は、不思議がいっぱいの自然を、人知を越えた存在として畏敬している。そして、人を越える存在が自分の周りにあることが安心につながっている。
 大いなる自然を確かめに出かけよう。
今日も不思議発見の冒険にでかけることにしよう。サンダル履きで庭に出るだけで、その冒険は始められる。

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