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「『気づき』のある暮らし」/《季節からの招待状》

 秋、周囲の田んぼの稲刈りが終わると、里には無事に収穫できたことへの安堵感が広がる。しかし、それも霙が降り始めて冬の準備が始まるまでのつかの間のことだ。人々は秋を忙しく働いているはずなのだが、なせだか里には「ほっ」とした空気が感じられる。人々の心にある「安堵」が共感として満ちているせいだろうか。それとも秋の忙しさは、そもそも充実したものだからだろうか。この時期、晴天が続き、山からは恵みとして里へ茸が届き始める。

 庭の楓が紅葉し始め、抜けるような青空に映える日、私はカヤの平のブナの森へ出かける。一年の中で一番好きな季節がやってきた。

 カヤの平は、里から30分以上車で登る一番の奥山の頂きに広がる原生林を切り拓いた牧場だ。そして、その周辺にはブナの森が残っている。その奥山へ登る途中の道は、色とりどりの木々が錦のトンネルをなしている。時折抜ける青空とのコントラストは、息をのむような美しさだ。道すがら幾台も茸獲りの車が駐まっている。
 途中、里を一望できる場所がある。向かいには北信五岳と呼ばれる妙高、黒姫、斑尾、飯綱、戸隠の山々が連なり、その手前に関田山脈、そして稲刈りを終えた盆地の真ん中をゆったりと千曲川が流れている。秋のおだやかな日差しが、その全てに降り注いでいる。私の見渡す限りが、秋を喜んで満足している。

 登りが緩やかになり山頂部へ近づくあたりになると、木々はすでにすっかり葉を落としている。秋の里の豊穣の賑わいからは想像できない静寂に満ちている。そして空気が澄んで透明感が増している。すでに晩秋の景色だ。しかし、陽光の温かさがあるこの時期は、まだ、やさしく訪ねる者を受け入れてくれる。
 カヤの平の入り口に広がる一帯は、昔、パルプ材としてブナの森が皆伐され、その後に白樺が一斉に生えて育った森だ。木々は皆同じ太さに生えそろい、晩秋に葉を落として白く輝く森は壮観だ。所々に肌色をした幹のダケカンバの巨木も生えている。白や肌色の幹が青空に映えて、これもまた美しい。

 私がすでに紅葉の見頃が終わったこの時期に来るのは、ひとつはカヤの平が雪の季節を除いて一番静かな季節だからだ。駐車場には、紅葉の見頃を間違えて来てしまった車が数台あるだけだ。それも、大概、早々に下っていく。

 葉を落とした木々は、青空へ気持ち良く枝を伸ばしている。私は遊歩道へと向かう。足下の小川にはイワナがゆったりと流れに泳いでいる。
 森のアプローチはダケカンバとカラマツの森。林床はクマザサに覆われている。緩やかな登りの歩道は、丸太の階段がしつらえられている。間隔の広いその階段を大股で上っていくと心地よく息があがってくる。
 立ち止まって上を見上げる。カラマツの枝を鳴らして時折風が吹く。小鳥たちの鳴き声。雲ひとつない空。今日は終日、青空で間違いない。慌てることはないのだが、先を急ぐ気持ちを抑えられない。
 
 ブナの森の入り口には、若い精鋭のブナが交代時の衛兵が談笑しているかのように数本立っている。「こんにちは、また来たよ。」一本一本、握手をするように木肌を撫で、叩いて見上げてみる。白銀のような灰色に地衣の模様をまとって、それぞれ微妙に身をくねらせながら空へ伸びている。ブナの幹はつるりとして少し冷たい。
 足下にはたっぷりとブナの落ち葉が溜まっている。ブナの葉は、厚くしっかりとしている。落ち葉は、乾いて固く、少し丸まっている。降り重なったブナの落ち葉は、厚く積もり、足を入れるとガサガサとにぎやかだ。これがこの時期のブナの森が大好きな一番の理由だ。雪国では、すぐに霙の季節がやってきて、やがて雪が積もって大地を覆い尽くす。乾いた落ち葉に触れられる時期は短くて限られている。
 ブナの落ち葉の中をすり足で歩く。がさごそ、がさこそ。踏みつけるのではなく、すり足で。がさごそ、がさこそ。ブナの落ち葉が、今年もいっぱいだ。こどもみたいに、たっぷりの落ち葉があることを確かめてみる。

 さあ、晩秋のブナの森を歩こう。落ち葉が積もった歩道を元気良く腕を振って歩く。足下から踏みしめる落ち葉の乾いた音が心地よく響く。時折、落ち葉を蹴り上げて軽快に歩く。私のウキウキとした足取りは、足音となってブナの中へ届く。私の喜びが木々の間をこだまする。
 紅葉の最盛期に木陰を作っていた葉は、落ち葉となって大地を覆い、明るくなった森は、陽光がその林床に降り注いでいる。
 見上げる枝先に、時々のんびり屋が黄色く光る葉をまだ付けている。枯れて枝を落としてもなお大地に立つ老大木は、巨大な墓標か銅像のようだ。身に分厚いビロードの苔をまとい、茸のフリルで飾っている。

 あるブナの木の根元にたっぷりの落ち葉が吹きだまっていた。私が散歩をしながら探していたのは、実はこのブナの葉っぱのベッドだ。
 ブナの根元に頭を預けて大の字に寝転がる。ふかふかだ。ブナの固く丸まった葉っぱは、弾力があって空気をいっぱい含み、乾いた落ち葉のいい香りがする。秋の太陽の匂いだ。見上げる幹は、青空に向かって高く伸びている。そして、ゆっくりとゆれている。そのゆっくりと往復する幹のメトロノームに心のリズムを合わせていくと、だんだんと心の中に森の時間が流れ始める。
 森中の落ち葉に、そして私に、あまねく降り注ぐ日差しが心地よい。
 見上げる空を小鳥が渡っていく。青空は吸い込まれそうなほど、どこまでも澄んで高い。森の音まで吸い込まれていく。しんと静まりかえってくる心。

 私の中の記憶が蘇ってくる。それは、晩秋の戸隠高原に広がるミズナラの森。
 私は、全身をミズナラの落ち葉に埋もれ、顔の周りも落ち葉の壁に囲まれ、落ち葉が積もる大地にぽっかりと開いた穴から木と空を見上げていた。その時の空は、鈍色の暗い雲に覆われていた。
 突然、白い物が落ちてきた。いくつかが視界の空を横切った後、その白い物は、私の顔に舞い落ち、冷たく溶けた。その年の初めての雪だ。最初の小さな雪を感じると、次第に雪は大きさを増し、牡丹雪に変わった。大きな雪が落ち葉に落ちるカサカサという音まで聞こえる。あっという間に見上げる空をかき消すほど雪が降り始めた。私の上にも降り積もる雪。森が雪の下になっていく。落ち葉が雪に閉じ込められていく。大地が春までの眠りについていく。私は大地となってそれを感じていた。
 結局、そのまま雪は森を埋め尽くし、その年の根雪となった。

 今、私が見上げている青空も、やがて濃い墨色の雲に覆われ、雪が降り始める。それは一旦、堰を切ったらブナの木々が霞むほど降り、来る日も来る日も降り続ける。そして、今よりさらに深いコバルトブルーの青空が広がった朝、白銀の世界となる。
 その時、ブナの森は下界と隔絶され、私は訪ねることができなくなる。でも、いつか訪ねてみたい。
 私は、未来の自分に宛てて、招待状をしたためた。

「たくさん(わたしのフィールドネーム)へ 
カヤの平の冬からの招待状

 抜けるような青空に木立が映えるようになりました。
 耳をすますと風の音にカラカラと
 乾いた落ち葉の音が混ざっています。

 この森が一面の銀世界になると
 枝を鳴らす風の音だけになり
 空は一段と青く深く冴え渡ります。

 その森にあなたが足を踏み入れたとき
あなたが居るのは
今あなたが手を伸ばしても届かないところ
 見上げる高さまで埋め尽くす雪を
 踏みしめにおいでください。
 
 そして、雪の大地から
 宇宙まで透けて見えそうな
 紺碧の空を見上げに来て下さい。」

 招待状に期限はない。いつの日か、この招待の礼を言いに雪のブナの森を訪ねたい。

 このやがてやって来る「季節からの招待状」は、本来は森への同行者がいたら、その人にプレゼントするものだ。自分がみつけた次の季節の兆しをその場で互いに共感して、その季節への再訪を相手に託す。
 やがてめぐってくる季節を想像するのは楽しくもあり、その季節の兆しを感じたり、見つけると、本当に「また来てね」と誘われている気持ちになる。そして、見つけた招待状を誰かと共有し、再訪を相手にも託すことには、お互いに未来を約束しあうような心強さもある。

 ある夏の終わりに、蝉の抜け殻を見つけた人が、7年後、蝉時雨の森での再会を約束する招待状を読むのを聞いたことがある。季節を繰り返しながら自然は営みを続けていく。私は、その当たり前のことに気づかされ、繰り返す季節が永遠に続くことを心から願わずにはいられなかった。

 私が好きなドラマ「北の国から」にこんな場面があった。遺言を書くコツを主人公の黒板五郎が伝授される。
「死んだ後の世界を想像しなさい。自分の死んだ後のこの麓郷を」と。
 そして、ドラマの最後に、五郎の遺言が綴られる。それは、きっと自然の営みは変わらないだろうと書き始められ、子ども達に、「自然から頂戴し、つつましく生きろ」とメッセージを結ぶ。
 たかだかの自分の人生を遙かに超えて営まれる自然。それが自分の子どもや孫の世代の命も育んでくれる。なんと有り難いことだろうか。

 めぐりくる季節に想いを馳せるのは、自然の営みの確かさを想うことだ。
 雪国の人は、好んで梅の盆栽を冬の家に持ち込んで育てる。2月。外は身の丈の積雪だ。そんな時に、実際の季節を先取りして蕾がふくらむ梅を眺めて、やがて来る春を想う。季節は必ずめぐってくる。春はやって来る。それを告げる梅の花にどれほど勇気づけられることか。
 私たち日本人は、夏の盛りにめざとく秋の気配を察知して、盛者必衰の憐れを感じつつ、暑さをしのぐ。私の子どもの頃はまだ、大人達が春の終わりに腰を曲げて手で稲を植えていた。腰の辛さに耐えながら大人達はきっと、秋の実りの喜びを想っていたのだろう。

 季節はめぐる。
 その確かさに、勇気をもらいながら、暮らしていたいものだ。

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