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「『気づき』のある暮らし」/《コウモリとガ》

動物達との出逢いは、森の中だけではなかった。
 それは、地球上で最も繁栄している哺乳類との出逢いだ。

 その生き物は、もちろん里山にもいる。なんと我が家に棲み着いたこともある。野生の哺乳類が人が住む家に棲み着いたらどうなるのか。ちょっと楽しいことになるのだ。

 ある日暮れ時。
 まだ電気を点け忘れている我が家の暗い廊下。その薄暗闇の中で黒いものが点滅している。薄墨の空間に、真っ黒い物が、現れては消えるのだ。
 目を凝らすと黒いそれは、ひらり、ひらり、と空中を飛び回っている。

「コウモリだっ!おーーい、コウモリがいるぞ!」
 こどもたちが廊下に集まり、灯りが点く。
「きゃー、誰? 地下のドア開けっ放しにしたのは!」妻が叫ぶ。
「捕まえて!」

 こうしてにぎやかで楽しい捕り物が始まった。

 我が家は、庭がスロープになっていて家の基礎部分が半地下になっている。そこにコウモリが棲み着いたのだ。家の中からその半地下へ降りる階段があるのだが、誰かがその入り口ドアを閉め忘れたらしい。日が落ちて活動時間になったコウモリが家の中へ迷い込んで来たのだ。

 こどもたちは、コウモリを捕まえて逃がしてやろうと捕虫網を持ち出して来た。しかし、廊下にはもう居ない。コウモリは灯りが点いていない座敷へ逃げ込んだようだ。
 そーっと、みんなで座敷へ入り、障子を閉めた。もう逃げ場はない。さあ追い込んだ、もうこっちのものだ。
 捕虫網を構えて・・
「せいのっ!」で灯りを点ける。

「あれ?いない!」

 みんなで目を皿にして探しても、コウモリは見つからない。どこかの隙間に隠れてしまったようだ。
 コウモリは一センチも隙間があればスルリと抜けてしまう。鴨居に掛かる額の裏か、仏壇の裏か、はたまた知らない隙間がどこかにあって、天井裏へ逃げたのか。こうなると持久戦だ。また出てくるのを待つしかない。
 座敷の障子を開け放して、またコウモリが出てくるのを待つことにした。

 夕食が済み、テレビを見ていると、どこかに隠れていたコウモリが、ひらりと居間に飛び込んで来た。

「ドアを閉めて!」
 さあ、もう今度は逃がさない!

 コウモリは、観念したのか、カーテンの裏側に停まった。
 捕虫網をカーテンの裏側へ。そーっと上からこすり落とすようにして床へ。
 捕虫網の中でじっと固まって動かないコウモリ。
 そっと掴むと手の中でもじもじと動く。でもすぐにじっとする。

 両手で包んで家族の前へ。

 閉じたまま差し出した私の両手をのぞき込むこどもたち。
 手を、そっと開いてみる。
 皮膜を閉じて首をすくめて、手の中で静かに丸まって震えているコウモリ。

「わぁ・・・」子ども達が小さな驚きの声を上げる。

 みんなで頭を寄せてのぞき込み、観察が始まる。
 子豚のように上を向いたかわいい鼻。その両側に離れて、小さな、小さな、ガラス玉のような瞳。薄い油紙のような、ちょっと大きな耳。顔も体もふかふかの毛で覆われている。ぶさかわいい。
 コウモリの体重はわずか5グラムちょっと。試しに一円玉を5枚、掌に載せてみるといい。重さはほとんど感じないはずだ。コウモリの重さは感じないのに、とても温かい。
 ふかふかで、ほっこりしている空気の固まりだ。
震える毛玉が手の中に、ある。生きている温もり。

 それは、「命」そのものだ。小さな「命」が震えている。

 こどもに手渡そうとする。
 一番上の長女は、最初は、ちょっと怖くて手が出ない。
「ほら・・・」
 命が、娘の手の中へ。
「ああ、あったかい・・」
 長男の手の中へ、そして次男の手の中へ。
 恐る恐る、「命」がリレーされる。
 緊張していたこどもの顔が、コウモリを手にすると、ぱっと笑顔になる。驚くような軽さと手から伝わるぬくもりと、小さく震えている健気なかわいい命の存在が、こどもを笑顔にする。

 身近に棲んでいるかわいい哺乳類を直接、充分に、観察できた。それは体験と言うに相応しい心の栄養をたっぷりと子ども達に与えてくれた。

 逃がしてやろうと地下の入り口で手を開いてもじっとしている。コウモリは、鳥のように羽ばたいて飛び立てないのだ。地下の暗闇へ向かって放ってやる。
 ひらり、と暗闇の中へ飛び去っていった。
「バイバーイ!」
 子ども達の明るい喜びに満ちた声が地下に響いた。

 我が家の庭には、時折、タヌキやキツネがやってくる。山から小鳥もやってくる。でも、家の中で! 野生の生き物と、こんな風に出会えるなんて。家族がみんな笑顔になるくらい、山里の暮らしは楽しい。

 コウモリは、世界中に約980種類もいて、全哺乳類の4分の1を占めるという。日本では、全哺乳類約100種類の3分の1にもなる35種類のコウモリが生息しているらしい。哺乳類で唯一、自由に飛び回れる空を獲得したのだから、その繁栄も頷ける。進化の枝分かれも最も新しい部類だそうだ。我が家に棲み着いたのは、そのうちの住宅街でポピュラーなアブラコウモリだ。

 果物を食べるオオコウモリの類を除いて、コウモリの多くは、昼間は洞窟など暗いどこかに潜んでいる。里山だったら家の軒先の隙間から入って、壁の中などにいる。そして、日没とともに外へ出てきて、空を飛び回っている。
 暮れなずむ空を飛び回るコウモリを見たことがある人は多いだろう。野生動物がエネルギーを使って動き回るのは、生きるために餌を獲るためか繁殖のためのパートナー探しだ。毎日、空を飛び回っているコウモリは、餌を探し回っているのだ。
 コウモリの好物は、ガだ。朝になって街灯の下にガの羽だけが落ちているのを見たことがないだろうか。あれは、コウモリの仕業。胴の部分だけをコウモリが頂いた残りの羽が落ちているのだ。

 コウモリは、昼間は暗いところに潜んで、夜になってから活動する。だから視力はほとんどない。そのため、あんなに小さなかわいい瞳をしているのだ。
 目がよく見えない。餌となるガも自由に空を飛んでいる。見えなくて飛び回る餌をコウモリは、どうやって捕まえるのだろうか。
 コウモリは、「反響定位」、エコーロケーションと言う方法を使っているのだ。なんと超音波を使って相手の位置を特定するのだ。コウモリは、超音波レーダー装置と言える仕組みを持っているのだ。さすが最新の哺乳類だ。人間の耳に聞こえないような高い声を超音波として出して、反射して帰って来るのを捉えて、相手の位置を特定して捕まえにいくのだ。そして最後はガを翼のような皮膜で包み込むようにして捕まえるのだ。

 コウモリのエコーロケーションの能力はすごい。暗闇に張り巡らした網を見事にすり抜ける実験映像を見たことがある。そして、その実力を文字通り、肌で感じたことがある。
 山口県の秋吉台の洞窟に特別に入らせていただいた時のことだ。見学に入った(と言っても、鼻の先にいる仲間の顔すら見えない真っ暗闇で何も見えない)我々の間を飛び回るコウモリの姿は見えないのに、確かにすぐ近くを飛び回っているのがわかる、自分の顔をギリギリにかすめて飛ぶ、その羽ばたきの風を頬や鼻先に感じるのだ。あなたも目を閉じて掌で自分の顔を扇いでみてください。扇いだ空気を頬で感じるでしょう。そんな風に飛び回る無数のコウモリを感じるのだ。真っ暗闇をかすめ飛んでも、決して我々にぶつかることはない。人間をあざ笑うかのような、見事な、歓迎の舞いだった。

 コウモリとガの「喰う、喰われる」関係を、あなた自身がコウモリやガになって体験することが出来る。
 コウモリになる人は、目が見えない代わりにバンダナで目かくしをする。そして、超音波の代わりに「バット!(コウモリ)」と声を出す。逃げるガになる人は、すかさず反射する超音波を「モス!(ガ)」と返す。それを繰り返しながら、コウモリの人は、ガの声を頼りに捕まえに行く。タッチすれば、捕まえて食べたことになる。
 周りの人は、静かに生息環境となる輪をつくる。

「バット!」「モス!」
「バット!バット!」「モス!モス!」

 始まると同時に、一気に生き物の世界はヒートアップする。こどもも大人も真剣だ。コウモリが声を頼りに捕まえに行くと、ガはすでに逃げていていない。コウモリ役はだんだん、分からなくなってくる。そうするとコウモリは声だけでなく、足音やガの役のこどもの気配まで探り出す。目かくしに慣れ、動きも段々機敏になってくる。逃げるガも、「モス!」と声を出しては、さっと動いて場所を変えるなど逃げる戦略に長けてくる。
 熱いバトルが続くが、とうとうコウモリが壁際にガを追い込む。小さくうずくまるガ。そこでコウモリが最後に確かめる「バット!」。ガが、蚊が啼くような声で「・・モス。」と応える。
 コウモリが見事にガを捕まえると自然と周りから拍手が起こる。

 逃げるガをやった人は、口々に「怖かった」と言う。そして、コウモリもガも「とても大変だった」と言う。

 人間のこどもたちは、お腹がすく頃になると、やさしいお母さんに「さあ、食べなさい」とご飯を用意してもらえる。でも自然の中の生き物たちは、毎日、互いに命がけで喰う喰われるバトルを繰り返している。私たちが暮らしているすぐ周りに、野生の生き物の厳しい営みがあるのだ。自然と私たちの暮らしは、なんと近いのだろう。と言うよりもそこに境目はないのだ。野生の生き物が暮らす世界で私たちも生きているのだ。

 今度、日暮れに飛び回るコウモリを見たら「がんばれ!」と声をかけてやったらどうだろう。「今日もコウモリは、がんばっているな」と思って見ると、ひらり、ひらりと飛び回る姿を思わず応援したくなるはずだ。

 こんなことを試してみるのも面白い。
 空を飛ぶコウモリの近くへ石や枝を投げ上げる。コウモリは、さっと、その物めがけて一直線に飛んでくる。そして、ギリギリのところで身をかわす。たまに、おっちょこちょいのコウモリが、石を捕まえて、その重さで、すーっと、地面に落ちそうになり、あわてて石を離して飛び去るだろう。

 今日も生き物たちの「喰う、喰われる」バトルが、里山でも、あなたの街でも展開されている。

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