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断念から始まる世界/森見登美彦「シャーロック・ホームズの凱旋」【本の感想】

1月に刊行された森見登美彦4年ぶりの新刊「シャーロック・ホームズの凱旋」。本作はヴィクトリア朝京都なる世界を舞台に、名探偵シャーロック・ホームズや助手のワトソン君をはじめ、シャーロックシリーズでお馴染みのキャラクターが登場する二次創作シャーロック作品でもある。

京都の建築や地名がひしめき、登場人物のパーソナリティも少しずつ異なる“京都リミックス”が施された本作。おまけにシャーロックがスランプで謎を解きたがらずウダウダ生活しているというのが主軸で、京都×オフビートコメディという森見作品らしさも満載。しかし読み進める内にその様相は変わり、異様な読後感に包まれてしまった。


フィクションの深淵にて

この小説は中盤、劇中世界においても説明のつかない「東の東の部屋」なる場所を巡る物語へと重心が移る。探偵でありながら、その謎には手がつけられない。夢か現実か、虚構か現実かが定かでなくなるこの部屋の出現を機に読者も不気味な世界へと足を踏み入れざるを得なくなる。

森見登美彦は単著においてはここ数作、初期の作風と大きく異なる奇妙な作品を発表してきた。「夜行」は突如居なくなった女性を巡る怪談小説で、「熱帯」は小説と現実のあわいが溶け出すような入れ子構造を取る作品だった。そして本作も、ここに連なる1作であると中盤で確信する。

そしてその深淵まで辿り着いた時、その全てが反転していく。小説という表現技法だからこそできる、衝撃的な反転である。そして、フィクションを真摯に描くということの極致とも言えるような転回である。ここ数作の実験の集大成であり、そして彷徨ってきた魂の救済とも言える結末だ。


無意識を描こうとすること

上記のインタビューで作者自らの言葉で具に語られているが、ここ数作の森見作品はスランプの中で書き続けられてきたのだという。これまでの作品では自分でも気付かぬうちに書くことができていた自分自身の核を書こうにも書けない。これつまり、自身の無意識を意識的に描こうとする不可能さに直面したと言えるのではないだろうか。

無意識に押し込めた深層心理には、その人の原初的な欲望が眠っている。創作者にとってもその場所にこそ自分の根源があると思うのは自然のことだ。しかし無意識である以上、そこに意識的に辿り着くのはとても難しい。宮﨑駿でさえそこに辿り着くために身を切りまくり、「君たちはどう生きるか」で齢82歳にしてその境地に立った。

森見登美彦といえば特有のリズムと言語感覚で言葉を紡いでいく作風が特徴だ。膨大なモノローグと丹念に書き込まれた京都の奇景の数々から相対的に浮かび上がってくるのが森見登美彦らしさであった。そのようにして映し出される自らの根源を丸ごと引き出す困難さは想像に易い。近作の不穏さは間違いなくその不可能さが影響していた。

その根源を巡る冒険に、幼少期から親しんできたシャーロックと一緒に立ち向かう本作のアプローチはユーモアと信念に満ちたものと言える。そして本作の到着点がある種の“断念”であることも重要だ。それは決してマイナスではない。むしろ、断念することで始まる未来もあるのだ。不可能の先、森見登美彦の次の一手が楽しみでならない。




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