見出し画像

岡崎体育の真面目な曲たち~『SAITAMA』と2019/01/14「エキスパート」@福岡国際会議場

このインタビューから分かる通り、彼は真面目なミュージシャンであり、所謂ネタ曲と自身で称している曲にも、戦略とこだわりを持って真面目に取り組んでいることは言わずもがな。それを踏まえたうえで「真面目な」と評したい楽曲たちがとても好きなので、過去の名曲4選と、ネタ曲なしの最新3rdアルバム『SAITAMA』、そしてそれに紐づいたリリースツアー福岡公演について語りたい。

①スペツナズ
メジャー1stアルバム『BASIN TECHNO』(2016)、その最後から2番目に収録されている。初めて聴いた時は驚愕した。ついさっきまでミュージックビデオあるあるや、バンドざまあみろと歌っていた奴がいきなり<東の空は 混沌と散弾ファイア >である。それは怖い。インストを挟んで以降が真面目な曲、というアルバムの構成は次作でも踏襲される流れだけどそれを知る前だったので、さっきまで面白かった奴が急に豹変して襲ってくるみたいな恐怖があった。

ひび割れた窓 傾いた屋根スウェイを何度 重ねれば 空が見えるの

スペツナズとは、システマとかを使うロシアの特殊軍隊のこと。戦火に燃え落ちゆく架空の帝国の情景と、反戦への思いが交差する歌詞の内容は彼のファニーな佇まいからは乖離しているように思える。彼はゲーム、アニメフリークでもあるから、そういったリファレンスから抽出した要素で構成したストーリーだとは思うのだが。楽曲のダウナーな質感と滑らかに加工されたクールな歌唱で、映像をイメージさせる。その巧さが抜群なのだ。こういった彼の描きたい風景を音と言葉で紡ぐ"情景喚起モノ"の流れは、『SAITAMA』の「Jack Frost」にも受け継がれている。

②Snack
メジャー2ndアルバム『XXL』(2017)には、インストを挟んで5曲もの真面目曲が。後半3曲が特に素晴らしい。「Snack」は淡々としたトラックに、怠惰を貪る日々を綴ったリリックが乗る。<ズルしてるライフか無理してるライフ/どっちか選べばって殺生じゃない/ちょっとズルして少し無理したい/甘やかされてるビニールハウスボーイ>、何というパンチライン。僕らの日々をそのまま言い当てているじゃないか。薄っすらと感じてはいたが、この曲で彼に対してのシンパシーは強固なものになった。

「どうか素敵な恋をして下さい」ってな先生の贈る言葉は4月にゃもうみんな結構忘れちゃってるそれからみんなオトナを学んだ

納得いかなくてぶつくさ文句言うしかないモラトリアムを、不意に現れる記憶の欠片と混ぜて吐き出すバランス感。「金田のバイク」や「ホームランバー」といったワードが特異な郷愁を誘ってくる。あと「イワヤマトンネル」も登場するのだけど、2014年に作られた歌でこのワードを出した上で、2016年以降4曲もの楽曲をポケモンの主題歌にするという彼のメイクドリームっぷり。ちなみに彼が提供したポケモンのテーマソング、どれも完璧な外交仕事であり、比類なきマジ名曲なのでこれら(「ポーズ」「ジャリボーイ・ジャリガール」「キミの冒険」「心のノート」)もマストで。彼のポケモン曲はどれも、例えば過去の主題歌で言えば「ポケットにファンタジー」とかに連なる、大人から君たちへ、というエモーショナルな視点が冴え渡っている。

③鴨川等間隔
鴨川等間隔」も、インディーズ時代の楽曲。「スペツナズ」もそうだが、メジャー以降の作品に入ってる真面目な曲の大半が自主制作盤に入っている曲という事実。メジャーに打って出るうえで、道化になり名を広めることを選んだ岡崎体育は、これらの楽曲を温めたうえで、バズるネタ曲と共にCDに収めて広く世に放った。彼の楽曲に対する愛の深さよ。そしてこの曲において感じるのは、普段ムードメーカーに徹してる奴が仕事できるとカッコ良い、みたいなクソ寒いモテ戦略でなく、普段からこういう思想の男が頑張ってコミックリリーフを演じているという構造にグッとこざるを得ない。

久しぶりに服でも買うかな 1人で通りを行ったり来たり無意識にまたネイビーブルーを手に取り無難を求めちまうぜ

こちらも、冴えない大学生の独り言みたいな歌詞が堪らない。明らかにくるりオマージュなギターサウンドに載せ、漠然とした不安を煮込み続けている。恋人たちが等間隔で並ぶ鴨川の河川敷とは森見登美彦の数々の著作で嫌悪と嫉妬の対象として吊るし上げられている光景だが、ここでも近い感覚が刻まれている。しかし<別にどうしてほしいわけじゃない/ただそれくらいの許容や容赦を/保てる心を育みたいぜ/(幹から腐った訳では無いぜ)>と自分をこっそりと啓発しているのがたまらない。そうでもしないと立ってられない、そうすればちょっと笑えるじゃないか。岡崎体育が許している負の感情は、僕らの心もそっと救うのだ。

④式
『XXL』を締めくくるピアノバラードが「」だ。ぽつぽつ呟くような歌唱と、柔らかなメロディが胸を締め付ける。かなり長い制作期間を経て作られた曲だという。確かに三日三晩で綴れる言葉ではない。「式」「四季」「死期」を想起させる言葉を用いながら、認知症になること、そして年老い失われゆくことを丁寧な筆致で書き記している。どこまでも「貴方」を思い浮かべ続ける、狂おしいメッセージが心打つ。

先に呆けてしまえば 寂しくないかな飯を口から零して テイブルを汚してにたついてる私を赦さないで

この歌が彼にとって身近な出来事を歌ったものなのか、それは分からないし、どうだっていい。人間は想像できる生き物だ。想像力は共感をも超える。この曲の「私」へ思いを馳せることは、そのまま楽曲へと没入し、強い感傷を心に残す。岡崎体育もまた、喪の景色を心に浮かべて辿り着いた表現なのだろう。そして何より、<瞳に黴が生えても/言葉に血の通った話がしたい >というセンテンスから伝わる、彼の深いコミュニケーションへの欲求。岡崎体育は常に誰かと繋がることを強く求め、真に迫る対人関係を望んでいる。彼にとっての音楽がその触媒であることを暗に示唆するような楽曲にも思える。

『SAITAMA』
3rdアルバムにして、全編が真面目な曲に。いつかはそういうアルバムも作るんだろうと思ってはいたけど、こんなにも早いタイミングでそれが叶うとは。「からだ」「弱者」「なにをやってもあかんわ」「Calculated」「Okazaki Unreal Hypothesis」といった重軽様々な自分語りの楽曲が収められている点からも、道化と音楽家、その狭間で岡崎体育の”実存“が居所を求めている。とはいえ、自虐ユーモアや、ウィットに富んだ言い回しは笑いを誘う。決して楽しさを排除したわけではないのだ。

前半で異端なのは、淡々としたトラックと不倫情事が踊る「PTA」だろう。岡崎体育のセクシャルな曲と言えば、吉澤嘉代子に提供した「ゆりかご」という逸品もある。2人による男女デュエット歌唱もあいまって、こちらも途轍もない色気を放つ楽曲なので要チェックである。

ラスト4曲があまりにも素晴らしい。9曲目「Jack Frost」は先述の通り、「スペツナズ」の文脈に位置づけられる、冷たく広大なパノラマを感じさせる1曲。強いメッセージはなく、どこまでも広がる雪景色と一体化していくような心地にさせる。ジャックフロストとは、冬を擬人化した妖精のこと。ファンタジックなモチーフで、目に映る絶景を自然回帰しながら音楽に変換している。

その余韻を切り裂くように、ギターとベースを掻き鳴らして始まる10曲目「私生活」は、個人的には岡崎体育史上最高峰の1曲だと思う。マーチングのように組まれたビート、ピアノのループとベールのようなストリングス。壮大なものを連想させるオケだが、この曲の舞台は<この街でたったひとつの大型スーパー>で、芽吹く恋の花を描いている。午後5時半、14歳の少年が小さなマーケットで部活帰りのクラスメイトとばったり会う。ただそれだけの瞬間に生まれる心の揺れを切り取り、性急なライムと極上のサビメロで飾り立てている。

外はすっかり暗くなって この街らしい涼しい匂いブレザーのポケットに手を入れて スカした感じの顔を作った

母親の軽自動車、後ろの席で攻略本を読む弟、下だけウインドブレーカーなあの娘の白い歯、様々なセグメントが繋ぎ合わされ、ある日の夕方を作り上げていく。あぁそんなことあったかも、と思わせるには具体的すぎるディティール。しかし岡崎体育はその細部に宿る愛おしさを大切に抱きしめる。ミクロな視点から、<恋の何歩か手前>という全人類に通ずるマクロな感情へとリーチしていく。これを、是枝裕和や坂元裕二と同格のクオリティで行なっている。岡崎体育の慈しみが隅々にまで行き届いた名曲である。

再び自分の物語へと戻っていく「」も白眉だ。岡崎体育という存在とその楽曲を作り出す青年・岡 亮聡からメタ的な目線で語られている。音楽制作をしている自分を龍と喩え、豊かなイマジネーションをピアノ1本の弾き語りで表現しきっている。<私だけの場所>である、京都・宇治の実家の1室にある学習机から、痛みも苦しみも引き連れて飛び立ち、空を駆け巡る龍の姿が確かに見える。

2019/01/14 JINRO presents 岡崎体育ホールワンマンツアー「エキスパート」@福岡国際会議場

『SAITAMA』のリリース週。岡崎体育ホールワンマンツアー「エキスパート」の福岡公演に行ってた。アルバムにひどく感動した余韻を引きずっての参加だったが、それらの曲を聴けるとは期待してなかった。彼はライブでは実際にその場で行うことで映える曲を多くプレイする。アルバムのタイミングだろうと、その辺はあまり関係ない。

しかし、結論から言うと、今回のツアーは至極真っ当なアルバムツアーだった。さいたまスーパーアリーナという大きな目標が寸前に迫ったエンターテイナーによる、適切なステージ。彼はやはり確実な一手をしっかりと打ち、ストーリーを繋げていくショーマンである。

たとえば「PTA」では不倫の歌という刺激を和らげる名目で、自然公園で全開な笑顔を浮かべながら珍妙なダンスを踊る映像をバックスクリーンに映し出したり、「からだ」「Caluculated」「弱者」ではバキバキの圧で歌詞テロップを浴びせたり、映像を使って新作の世界観を増幅させていた。

なんと「私生活」も聴けた。普段は必要以上に躍動しまくる岡崎体育が、ステージの真ん中ですっと立ち、しっかりと歌い上げていた。<芽吹くその正体は恋の花でした>と歌ったあと、オフマイクで同じメロディを繰り返し歌ったり、最後には音源には無いエモーショナルなフェイクも聞かせてくれた。カラオケで歌う時は、僕もそういう風に歌いたい。

もちろんネタ曲たちも輝いていた。「Sit Of Death」なんかは初ホールツアーだからこそやるべき試みだし、「FRIENDS」もバンドざまあみろをカットしてまでたまアリへ向かう気持ちへとリンクさせていた(それにしても岡崎体育はエヴァンゲリオンが好きすぎる、グッズになり、客席で大量に蠢いていたてっくんたちを綾波レイに喩えるとは)。

7年前、客もまばらなライブハウスで鳴っていたという「Don’t you,甲冑」たる、狙いも何も分からない謎のネタ曲を経て、ポケモンの主題歌に受け渡す流れはドラマチックだった。「龍」に匹敵する、岡崎体育の真意を曝け出す曲順だったように思える。

アルバムでもラストを飾る「The Abyss」が本編のシメでも輝いていていた。“深淵"を意味するタイトルで明白なように、自身が音楽制作と向き合う業を歌い連ねている。終盤に出てくるトランス状態のドロップは、これまでもライブの終盤を飾っていたゾーンで。それが、この曲の最高潮で鳴ることで、彼の物語をも含めて史上の高揚感へと押し上げているようだった。

夢の中で迷わないように そっと種を蒔くみたいに残した言葉誰かの記憶の奈落に潜むように ここに立つ 僕はここに居た

アンコールで最後に歌った「Explain」は、彼の名を世に知らしめたネタ曲の代表格だが、その口パクと最後の宣言はもうとっくに冗談抜きで心を動かしてくるモノになっていた。ネタすらもマジに変わる瞬間。常軌を逸した、異様なフェーズへと彼は進みつつある。

#コンテンツ会議 #エッセイ #コラム #音楽 #ディスクレビュー #ライブレポート #ライブレポ #イベントレポ #日記 #備忘録 #音楽レビュー #好きな音楽 #音楽紹介 #岡崎体育

この記事が参加している募集

#イベントレポ

26,187件

#コンテンツ会議

30,752件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?