見出し画像

アジカン精神分析レビュー『ソルファ(2016)』/来たる壮年期のために

今年メジャーデビュー20周年を迎えるASIAN KUNG-FU GENERATION。その作品史を精神分析的視点から紐解いていく、勝手なアニバーサリー記事シリーズです。


『ソルファ(2016)』(2016.11.30)

2004年にリリースされた2ndアルバム『ソルファ』はアジカンの代表作として語られ、評価も結果も充分な作品として愛されてきた。代表曲も多く収録され、アジカンの名を広く知らしめたアルバムである。しかしこの作品はメジャーデビュー後、曲のストックを使いきったアジカンが初めてのツアーやフェスなどを乗り越えながら、怒涛のスケジュールで完成させたものだ。

売れたには売れたけど、もっといいものにできたはずだって気持ちがどこかにあったんですよ。あの頃は忙しくて制作のスケジュール的にも猶予がなかったし、その上で曲は素晴らしいのにそれを演奏しきれるだけのバンド的な体力もなくて。バンドを容れ物とするなら、それより大きな曲をいっぱい作っちゃった時期だったので。

後藤正文(Vo/Gt)は特に『ソルファ』の録音物としてのクオリティとヒット度合いにギャップを感じていたようだ。前作『Wonder Future』の表題曲の制作中に強く気分が落ちたこともインタビューで語られているが、いつ来るかわからない”バンドの終わり“を意識し始めた時期だからこそ、この後悔を残したくないと考えたのだろう。そして『ソルファ』全曲を再録した『ソルファ(2016)』が完成した。この異例の再録アルバムは何を意味しているのか。



信頼への道のり

『ソルファ(2016)』を語る上で彼らのキャリアを振り返る必須だ。この項ではこれまで書いたアジカン精神分析的レビューを総括してみたいと思う。


デビュー作『崩壊アンプリファー』は初期衝動とアイデンティティを巡る作品だ。決して短くはない下積みを経て、不安と期待が荒々しく表現されている。そして1stアルバム『君繋ファイブエム』はその衝動を引き継ぎつつも、未来に向けて開き始めた可能性について描く。ライブでの目の前の観客=密接な関わりを越え、不特定多数のいる外部へ向け音楽を届け始めた時期だ。


2ndアルバム『ソルファ』はアジカンが拡張されていく時期に生み出された。ロックスターとして偶像化され、他者の欲望によって承認欲求を引き出され次第に疲弊していった。そして3rdアルバム『ファンクラブ』では攻撃的な一面を露わにしつつ、心を閉じ込めていく。自分の純粋性や信頼できる他者を示す""というモチーフが扱われる内省的な活動初期は本作までだ。


内省の底には何もなかった、という結論を経て4thアルバム『ワールド ワールド ワールド』では改めて外へ表現を向ける。しかし心の中で完結していた『君繋~』とは異なり、今ここで生きる現実社会への言及が増えた。レビューの中では『君繋~』から『ワールド~』に至るまでの変化を人間の精神発達になぞらえ「想像界」「象徴界」「現実界」という概念を用いて述べた。


バンドの技量をアップさせるセッションでの制作を極めた後、後藤のデモを基にして演奏する楽しさへと回帰した5thアルバム『サーフ ブンガク カマクラ』を作った後、デモ→バンドという制作形式を追求した6thアルバム『マジックディスク』が生まれる。このアルバムでは後藤がエゴを開放し、バンドサウンド以外を取り入れてアジカンの表現をアップデートしようとした。


結果として制作とツアーが軋轢を生み解散危機に陥るも、震災を機に他者と音を奏でる喜びを取り戻して7thアルバム『ランドマーク』が完成。その後はアジカンが求められていること、アジカンが求めていることを踏まえて8thアルバム『Wonder Future』で原理主義的ロックとも接続を果たす。かくしてアジカンは復活/完成し、4人の関係性やリスナーへの信頼も堅くなった。



アジカン、40代へ

『崩壊アンプリファー』から『Wonder Future』まではメンバーが20代前半~40歳の期間で作られた作品だ。この期間は発達心理学者エリクソンの提唱する発達段階で言えば、成人期に位置づけられる。成人期において人間は自分のアイデンティティを他者に受け入れてもらうことで親密性を高め、関係構築していく。社会と向き合い、現実的な役割や責任を負う時期でもある。

強く他者との繋がりを求めながらも、それが思うように受け入れられない不安や恐怖が『ファンクラブ』を生む。社会と向き合い、表現者としての責任感を背負いこむ時期が『マジックディスク』で極点に達した後、メンバーやリスナー間の他者関係を見つめ直して『ランドマーク』『Wonder Future』が生まれる。まさにアジカンの成人期がこれらの作品群には刻まれている。

そして2016年、40代を迎えるアジカンはエリクソンの発達段階で言うところの壮年期を迎えた。人間にとっての壮年期は、職業上の知識や技術を次の世代に伝達する期間だとされている。絶えず後輩をフックアップし続けてきたアジカンにとっては今更、と言えなくもないが確かにこの時期は後続のアーティストからのリスペクトが明確に表出するようになってきたように思う。

その証拠として『ソルファ(2016)』と前後して、若手バンドが多く参加したトリビュートアルバム『AKG TRIBUTE』や若手バンドとの対バンツアー企画(『LIVE FOR THE NEXT』)が立て続いていた。壮年期で次世代との交流に関心を持たないと"停滞"し、人格が膠着するとされているが、常に若手と交差し続けるアジカンはその意味でも理想的な壮年期を迎えたと言えるだろう。


しかしだからこそ、大ヒット作『ソルファ』への後悔が残り続けたとも言えるだろう。アジカンが安定したバンドとなり、後進のアーティストに影響を与えることが実体化してきたことが、成人期にやり残したことと向き合う契機になったのではないか。誇れる壮年期をアジカンがこれから進んでいく上で『ソルファ(2016)』は必然的なイニエーション=通過儀礼だったと言える。



アイデンティティを誇る

『ソルファ(2016)』は原曲からの大幅なアレンジの変更はない。ライブで演奏してきたバージョンに近づけたり、培ってきた演奏・録音技術を用いたり、アジカンが得てきた経験値をもって『ソルファ』と向き合うシンプルなアプローチだ。しかし、このシンプルさこそがアジカンの歩みの肯定であり、成人期に確立したアイデンティティを誇るスタンスの現れなのだ。

多忙の中で生まれた『ソルファ』は、承認への渇望/現状への不安とポジティブなポップさがひしめく情緒不安定な1作だった。未来志向な『君繋~』と閉塞的な『ファンクラブ』の中間、と捉えるとその感情の"引き裂かれ"は明確だ。正と負のエネルギーがギリギリの均衡を保ち、強烈な求心力を生み出していたわけだが、それゆえにアジカン自身も振り回されていたのだろう。

アレンジを大きく変えない、というのは当時の自分たちへの肯定的な態度とも言えるだろう。怒涛の日々の中で完成させた代表作があり、その収録曲がリスナーからも人気が高いということを素直に受容しているからこそ、良い音・良い演奏で『ソルファ』を再録するという手法を取れた。後藤の自己実現の側面が強い『ソルファ(2016)』だが、決してメンバーやリスナーを置き去りにはしていない。ここにも"アジカンを肯定する"態度が見え隠れする。

こうした姿勢は楽曲たちにも新たな表情を与える。「振動覚」は40代を迎えて歌うとその止まらぬ表現への衝動が頼もしく思えるし「君の街まで」はストレートにライブツアーを歌った曲のように響く。「マイワールド」「夜の向こう」といった"繋がり"を歌う楽曲も焦燥感よりも先に温かな包容力が印象づけられる。楽曲に内在化されていたメッセージが再録によって呼び覚まされていくこと。過去の自分たちと向き合う意義が確かに存在している。

最後の2曲は、他の楽曲と違い新たな装飾が施されている。「真夜中と真昼の夢」はより幻想的で穏やかなものになり、届くかも分からない手紙を書き連ねてきた日々を振り返っているように聴こえる。そしてストリングスが感傷を誘う「海岸通り」は、2004年に怒涛の日々を過ごしてきたアジカン自身を優しく包み込んでいく。時を越えたセルフケアとも呼ぶべきこの再録。アルバムの最後に配置したことも含め、その柔和な態度が滲み出ている。


『ソルファ(2016)』を完成させ、20周年ツアーも成功させたことで、来たるべき壮年期に向けての準備は整った。キャリア2度目となる『ソルファ』の次なる一手を考える上で、浮かび上がってきたのはアジカンがルーツの1つとして捉えているパワーポップであった。お家芸を解禁し、今一度『ソルファ』の次作と向き合う上で彼らは"録音そのもの"という新たな課題に挑む。



次回レビュー→『ホームタウン』(11月更新予定)


#音楽 #邦楽 #ロック#バンド#ロックバンド#邦ロック#考察コラム#音楽コラム#エッセイ#コラム#ディスクレビュー#アルバムレビュー#asiankungfugeneration#アジカン#AKG#精神分析 #ソルファ2016

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?