社屋の6階

15階建てビルの6階。頑張れば階段でも行けるけど、下りは、上層階の社員で満員のエレベー…

社屋の6階

15階建てビルの6階。頑張れば階段でも行けるけど、下りは、上層階の社員で満員のエレベーターに乗れない。 もうちょい下の階ならいいのに。いや、階段という選択肢がとれるギリギリの階数なだけマシなのか? 人と比べても仕方ない。 でも、人との違いを感じて生きていきたい。

最近の記事

「学歴なんて関係ない」と東大出てから言ってみたい©代ゼミ

きっとどこかで聞いたことのあるこのキャッチコピー。 調べたら、代々木ゼミナールの広告だったのですね。 広告なので「つべこべ言わず東大目指せよ」→「代ゼミ入りなよ」と商業メッセージなのは当然として、この言葉の含蓄は深い。 必要かどうかは、その時にならないと分からない学歴がなくても天職で花開くこともできるし、お金がなくても慎ましく幸せに暮らすことも出来る。 ただそれは、そのときになってから「なくてもよかった」と思うこと。結果論である。 いたずらに選択肢を狭めることは、最初か

    • マック理論とあみだくじ

      運を天に任せるとは言うけれど内定をいくつかもらった学生が、迷って先生へ相談すると「あみだくじで決めなよ」と言われた……という話を聞いた。ソースは忘れた。 この学生は腹を立てたわけでもなく、先生も茶化して言ったわけではないようだった。 ここで、先生の意図を想像してみる。 と、その前に。 「お昼ごはんなににする?」友人に聞かれたとき、「なんでもいい」と答えてしまうことはないだろうか。 夕飯の献立を決める時にも同じ家族に聞いても「なんでもいい」。 この「なんでもいい」はよく考

      • エコーチェンバーと謙虚な人

        「ハリーポッターと賢者の石」みたいだな。 誰だってミスを指摘されるのは嫌だ。 それで助かることがあっても、基本的な感情としては嫌だ。 仕事なら、指摘されて結果的に成果があがればいいのだが、趣味や利害のないことなら、自尊心を失うだけと思う人もいるだろう。 それはお節介です えぇそうですVoicy、という音声配信サービスがある。 無料なり有料で、一般人から著名人まで、運営の審査を通過したある程度上質な配信者が番組を放送することができる。 私は複数のチャンネルを毎日聞いている。

        • 軋む車輪が得られるものは

          「出る杭は打たれる」は非常に日本的な表現で、海外に対応することわざはないという。 「出すぎる杭は打たれまい」という言葉もあるくらいで、押しなべて十人並みor超優秀な人間、のどちらかでないと世間では認められないようだ。 発言は好奇の目線に身を晒す行為学生時、授業で手を挙げることに躊躇した記憶があるのは、私だけではないだろう。 「でしゃばっちゃって」という無言の圧力で満たされたあの空間。大人になったいま、あれはなんだったのだろうと思うこともある。 とはいえ、社会人になり、保守

        「学歴なんて関係ない」と東大出てから言ってみたい©代ゼミ

          15年実践している新年挨拶のことば

          年明け、みなさん、どのように挨拶しましたか? 「あけましておめでとう(ございます)、今年もよろしく(お願いします)」 むしろこれ以外が何があるのでしょうか。 ここで思うのが「おめでとう」という言葉。 喪中の方だっているし、災害(※1)があった翌年にお祝いってどうよ?(※2)という考え方もある模様。 ※1:災害なんぞ毎年のように起こっているから、その理屈で言えば二度と新年は祝えないがつっこまないでおく。 ※2:ちなみに私は不謹慎厨ではない。 先見の明があるマダムこの意見を

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          挨拶ってコスパ最高の行動だと思うんだけどどう思う?

          なんでもコスパコスパ言うなというセルフツッコミはさておき、これに尽きる。 「おはようございます」の一言だけで評価が、雰囲気が、態度が良くなるってすごくない? そして言わないと、めちゃめちゃ印象悪くなるのよ。 「近頃の若者は」って言うなだけど、近頃の若者、特に20代は言わないのよね。 小声で、下を向いて、カバンを机に起きながらぼそぼそと。 いやいや、それって挨拶ちゃうよ。一人言よ。 数年前異動した人なんて、2年隣の席にいたけど、一回もおはようって言わなかったわ。 根気強く言

          挨拶ってコスパ最高の行動だと思うんだけどどう思う?

          自意識はどこに宿るのか

          お父さんとお母さんが出会ってなかったら、あなたは生まれなかったのよどうもこの言葉に、昔から首肯できなかった。 自分が自分であるという意識を、血統やロマンチズムに求めることができなかった。 家族を軽んじたのでも、両親の出会いという事実にロマンを感じなかったのでもない。 ただ、漠然と「自分は自分だ」と思っていたのだ。 自分とは、これまで何を経験しどのように考え、どんな人と関わってきたかによって作られる自己の「物語」ではないかと感じていたのだ。 物語が紡ぐ自己この感覚は大人にな

          自意識はどこに宿るのか

          ぴかぴかの商品、ぴかぴかのゴミたち

          早朝の繁華街。 路上にかたまるのはオール明けの若者と、ゴミ。 お店や事業者が、朝のゴミ収集にあわせて道路にゴミ出しをしている。 それをよけて歩く通勤者と、それに群がるカラス。気にもしない若者。 そのゴミの中には、カラスに食い散らかされて汚く広がった生ゴミもあるが。 さて、毎日ひときわ大きいかたまりがあるのですが、なんのゴミだと思いますか? 「環境に配慮した商品ですか?」ハンガー。梱包材。ダンボール。 ファストファッションのゴミである。 大げさでなく、ゴミ収集車いっぱいほどの

          ぴかぴかの商品、ぴかぴかのゴミたち

          言語化は「そうだよね」と確認すること

          なんにでも白黒つけない方がいい。 と、よく言いますよね。 それと同じく、「何でも言語化しない方がいい」と思うことがあります。 言語化し、それを誰かが受け取るということは、 是非はあれど共通認識をもった、ということです。 「なんとなく思っていたけど、やっぱり事実だった」 というのは、言語化したことによって起こります。 悪口は共感の確認作業わかりやすいのは、悪口。 暗黙の共通認識としてあっても、それを言語化し共有すると、そこからどことなく気まずさや居心地の悪さが生まれます。

          言語化は「そうだよね」と確認すること

          ウンチク型フォロー vs 共感型フォロー

          後輩がミスをした。 落ち込む彼女に「大丈夫、誰でもすることだから」と慰める。 年下が多い職場柄、後輩のフォローをすることも多いが、私はウンチク型フォローにハマって(?)いる。 人を引っ張りあげるのは「知識」単に「大丈夫」だけの精神論は、相手に(気を遣わせてるな…)と思わせなかなか通じない。 そこで、こんなことを話す。 「人間は一日に35,000回の"選択"をする。あなたは帰宅後の育児で20,000回くらい使うのだから、職場ではほどよくセーブしておいていいと思うよ」 「スト

          ウンチク型フォロー vs 共感型フォロー

          種をまくことのなんと地味なこと

          人生なにがきっかけになるかわからないから、あちこちに種をまいておこう。 ビジネス書籍を読んだことのある方なら、1度は目にした言葉。 しかし、これのなんたる不毛なものか。 文字通り「不毛」すぐに芽が出ないからこそ「種をまこう」なのだが、やはり成果が目に見えないものは続きにくい。 このnoteだって、自分の成長になってるかまだわかりゃしない。 すると、やる気も続かなくなってしまう。 種まきに楽しみを見いだすには人は「楽しい」という快感、「活かせてる」という充実感、その他なんら

          種をまくことのなんと地味なこと

          スカートとサンダルの併存戦略

          夏はサンダル。 近頃はスポーツサンダルも多く、脚にやさしい。 ところで、オープントウ(つま先が空いているもの)のサンダルって、ストッキング履けませんよね。 このスカート、素足にどうよ問題そうなると必然的に素足にボトムスとなりますが、「このスカートに素足(というか生脚)はなぁ…」というの、ありません? 具体的には、膝丈のフレアタイプ。 ストッキングでかっちり締めるならいいけれど、素足(生脚)には心許ない。 あれを履きたいとき、困るんだよなぁ。 スカートをとるか。サンダルをと

          スカートとサンダルの併存戦略

          1000円の哲学

          数年ぶりにあるお店に行った。 有名な洋食店で、手頃な価格ながら本格的な料理がいただける、お気に入りだった。 表の看板を見ても、この外食インフレ下、変わらない値段。 よしよしと思いお店に入る。 が! 残念の三連呼まず店員さんの態度が良くない。 別に格別によくなくたっていい。お酒や料理をゆっくりいただくディナーならまだしも、ランチに過剰なサービスを求めるのは酷だ。 だが、愛想も悪いし、言葉づかいも適当。 以前を知っているだけに劣化を感じる。 肝心のお料理…。 あきらかに、質が

          1000円の哲学

          それは消費か、必要経費か。

          「大学で非常勤講師をしていたが、所得から必要経費が引けない」 そう言って米国人の知人は落ち込んだ。 そうなのだ。大学からもらう「給料」に、必要経費という概念はない。 経費として認められるのは、自分で事業をしているから。給料は、経費は会社が負担しているから、というスタンスだ。 (そのため税金は、収入→所得に換算してから算出する。必要経費が引けないかわり。) サラリーマンに経費はない会社の経費を使う、という話ではないですよ。 サラリーマンが払うすべての支出は「消費」となってしま

          それは消費か、必要経費か。

          疲れた時こそ、

          疲れたら休む。そう思ってました。 しかし!働く母親には!休む時間はない! 物理的に不可能なら、精神論でなんとかしようというこの企画(次へは続かない)。 昭和の根性論じゃないけど、こんな仮説を立てました。 疲れた時こそ、TO DOリスト普段からNotionにTo Doリストを書き溜める。 このいいところは「何かやらねば、でも何をやれば」と思考の労力を割かなくていいところ。 このリストどおりにやっておけば、あら不思議。いつの間に仕事が片付いちゃう。 子ども用品の名前つけもあんな

          疲れた時こそ、

          心地良さを手放せ

          嫌までいかなくても、ちょっとしんどい。 新しいことだから、ちょっとめんどくさい。 そういう負荷を感じることがある。 既知の技術でこなせたら楽なのに。 だが、こういうときこそ、成長のチャンスなのだ。 ゾーニング人には「コンフォートゾーン」と「ストレッチゾーン」がある。 コンフォートゾーンは、居心地良く、リラックスできる領域。 ストレッチゾーンは、少しストレスを感じる領域。 ちなみにそれより外はなんだったかな、「パニックゾーン」だったかな。ここには行きたくない。 仕事でもな

          心地良さを手放せ