見出し画像

エコーチェンバーと謙虚な人

「ハリーポッターと賢者の石」みたいだな。


誰だってミスを指摘されるのは嫌だ。
それで助かることがあっても、基本的な感情としては嫌だ。
仕事なら、指摘されて結果的に成果があがればいいのだが、趣味や利害のないことなら、自尊心を失うだけと思う人もいるだろう。

それはお節介です えぇそうです

Voicy、という音声配信サービスがある。
無料なり有料で、一般人から著名人まで、運営の審査を通過したある程度上質な配信者が番組を放送することができる。
私は複数のチャンネルを毎日聞いている。
とある放送で、明らかに誤りがあった。
確かに誤りだが、前後の文脈から読み取ることもできる。
だが配信数分後のことで、もしかしたら修正するかもと思い、コメントでそれを指摘した。
配信者からは、「こんなのは明らかに誤りとわかるので流してください」とだけ、返ってきた。
まぁ、単なるお節介だしね。出過ぎた真似をしたかと、この時はこれで終わった。

別の放送で、また誤りがあった。
近代史の流れで、例えるなら「テポドンは韓国が隣国への威嚇のため打った」ぐらいの誤り(念のため説明すると発射したのは北朝鮮だし、威嚇の相手は隣国だけではない)。
いやいや、それ違うだから。
でも、これも視聴者には明白。
だから、今回は何も言わなかった。
その代わり、そっとフォローを外した。
間違いだらけの情報のシャワーを、これ以上浴びたくない。

打算的謙虚のススメ

音声配信なんて、趣味でやっていることだし、些細な間違い指摘のコメントにいちいち反応するのは疲れるかもしれない。
「好きにやらせて、わかる人だけわかってくれればいいから」というスタンスもわかる。

でも、こういう態度は、絶対に、自分が損をする。

そのうちイエスマンしか周りにいなくなるし、批判者はスルーされるだろう。
そんなとき、自分を正してくれるものは、どこにもいなくなる。
自分だけで自分を律しなくてはいけない。

SNSくらいは、心地よさだけでいいじゃない…とは思えない

SNSは細分化され、クラスター化し、エコーチェンバーに溢れている。
それは、いわゆる「クソバイス」「クソリプ」がいない世界で心地よいけど、承認欲求とイエスマンの固まりに、未来はあるのだろうか。

すべての発信者に「慎ましく批判を受け入れよ」とは言わないが、少なくとも「人の話聞かないと損するよ」とだけは言えると思う。



最後に、これは単なる「せっかくの指摘を無視しやがってコラ」という恨みではないことだけは、重ねて説明しておく。本当よ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?