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言語化は「そうだよね」と確認すること

なんにでも白黒つけない方がいい。
と、よく言いますよね。
それと同じく、「何でも言語化しない方がいい」と思うことがあります。

言語化し、それを誰かが受け取るということは、
是非はあれど共通認識をもった、ということです。
「なんとなく思っていたけど、やっぱり事実だった」
というのは、言語化したことによって起こります。

悪口は共感の確認作業

わかりやすいのは、悪口。
暗黙の共通認識としてあっても、それを言語化し共有すると、そこからどことなく気まずさや居心地の悪さが生まれます。
「〇〇さんも思っているのだから、これでいいのだ」という免罪符のような感情すら生まれます。

職場で言い出しにくいことも、言語化してしまうと角がたつこともあります。
ひと続きの机で、領域侵犯をする隣席の同僚。
さりげなくそちらへ押しやるも、気づくとこちらに雪崩てくる書類。
度を越したら言うべきでしょうが、相手との関係性、今後の関わりを考えていくと、何も言わない方が得策かもしれません。

ノンバーバル・グレーゾーンへ居続ける

我慢するのではなく、認識の共有をやめる。
「あの人も嫌ってるんだな」:誰かに吹聴される、イジメにつながる
「この人には近づかないでおこう」:必要以上に距離を置かれる、周りに気を遣われる

共有した相手から、どこにその認識が広がるかわかりません。
すべての影響を予測するのは無理です。

思ったことをすぐ口に出してしまうのは、この共有が多すぎるのだと思います。
基本的に、マイナスの意識はマイナスのエネルギーを産み、伝播されます。
だから、わざわざマイナスの意識を言語化し、共有することはないのです。

言語化する前に、非言語化の今だからこそある状況に、目を向ける。
一度言葉にすると、もう前には戻れないのです。

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