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1000円の哲学
数年ぶりにあるお店に行った。
有名な洋食店で、手頃な価格ながら本格的な料理がいただける、お気に入りだった。
表の看板を見ても、この外食インフレ下、変わらない値段。
よしよしと思いお店に入る。
が!
残念の三連呼
まず店員さんの態度が良くない。
別に格別によくなくたっていい。お酒や料理をゆっくりいただくディナーならまだしも、ランチに過剰なサービスを求めるのは酷だ。
だが、愛想も悪いし、言葉づかいも適当。
以前を知っているだけに劣化を感じる。
肝心のお料理…。
あきらかに、質が落ちている。
お値段据え置き、お肉の厚さ3分の1。
以前は、おなかいっぱいになるボリュームだったのに、それも少ない。
「〇〇のジャガイモを取り寄せて…」とこだわりのあったマッシュポテトは、かろうじて健在か。
お店の生存戦略
あと200円上げていいから、品質を維持して欲しい。
品質は下がっていいから、値段を据え置いてほしい。
このお店は2を選んだ。結果、私はすごく失望した。
しかし、1で喜ぶ客もいるだろう。それに、品質はそのまま値上げしても「値上げしたなぁ」と思うだけで、その裏にあるであろう葛藤や状況の変化へ思いを馳せることも、そうそうない。
これも「選択と集中」
ランチにも、哲学が求められる。
たくさんの客に来て欲しいのか。
より美味しい料理を食べて欲しいのか。
客に何を提供したいのか。自分達は何をしたいのか。
それが明確でないと、客には伝わらないし、再来はない。
哲学に正解はない。
たかがランチ、されどランチ。
明日は、どの哲学を食べに行こうか。
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