説田

身体障害当事者として相談員をしています。主人と大学生の娘とセキセイインコ1羽と暮らして…

説田

身体障害当事者として相談員をしています。主人と大学生の娘とセキセイインコ1羽と暮らしてます。時々折り紙、時々読書。岸田奈美さんを密かにリスペクト。

最近の記事

障害のあるわたしが考える、身体障害者の会はどうしてあるのか、立ちはだかる大きな壁は必ずしも、高齢化とか障害の重度化だけではないのでは?みたいなはなし

 なかなか書きに来れなかった。それなりに理由がある。 考えても仕方のないことなんだろうけど、想いのたけを書ききってしまおうと思う。(長文ご容赦です、、、2000字超えました)    わたしが所属している身体障害者の会は、もとはといえば『傷痍軍人さん』たちの会だった。(傷痍軍人さんとは、戦争などで傷痍を負った方々のことらしい。)そんな会の中で、生まれつき身体に障害のある者にはなかなか役が回ってこない上、本来身体障害者がやっていきたい目的とは違うことをしていた。『生まれつき』と『

    • 障害のあるわたしが考える、世の中の人は障害者をなんだと思っているんだろうってな話。ほぼ愚痴?

      ピアカウンセリング一例  障害当事者として、ピアカウンセリング(相談)窓口に座っていると、思いもかけず、『おいおい、それ、あたしに言っちゃう?』という場面にぶち当たる。  たとえば、 『せっかく障害者になったのに、なにも得なことがないんだけど。』 。。てな感じのやつ。  それ、障害者に面と向かって言うか、普通。  あ、普通って言ったらダメか、普通のモノサシは人それぞれだし。  でもまあ、でもそれくらいストレートな方が、素直で可愛らしいわな。  先日なんか、 『

      • まずは障害者どうし仲良く出来なくて、何が出来ると言うのだろう、なはなし

         3月末で、婦人の会という団体が、会長不在となり、事実上、消えたみたいになったのだけど、それだと対外的に??いろいろと支障が出てくるので、とりあえずの代表を決めてもらう場を設けた。  最近、老人会や婦人部が解散する話をよく聞くけど、今は引き受け手がおらず、大変なようだ。(PTAならあみだくじだけどな。)  最初は、障害のあるご婦人の集まり、家庭の太陽である女性が障害者の場合、家族が家事を手伝ってくれても、自分に自信が持てず暗くなってしまう、そういった状況から、そういった女

        • 障害のあるわたしが『親亡きあと』を考える日【最愛なる父のこと】

          私が死んだらうちの子は!?  「親亡きあと」講演会を開催すると、ものすごい希望者があるそうだ。 かくいう、わたしのところにも相談にみえる方はいて、これが最近非常にしんどい。聞くのがしんどい。我がことに変換して考えてしまう。  親さんのいう『うちの子』とは、40代~50、60代を指すのだ。 40、50代にもなる息子、娘を、子ども扱いして、自分が死んだあとまで、自分の子が本当に生活していけるのかと心配する、底抜けに、永遠に、休むことなく心配し続ける。 そう、私の父のように

        障害のあるわたしが考える、身体障害者の会はどうしてあるのか、立ちはだかる大きな壁は必ずしも、高齢化とか障害の重度化だけではないのでは?みたいなはなし

        • 障害のあるわたしが考える、世の中の人は障害者をなんだと思っているんだろうってな話。ほぼ愚痴?

        • まずは障害者どうし仲良く出来なくて、何が出来ると言うのだろう、なはなし

        • 障害のあるわたしが『親亡きあと』を考える日【最愛なる父のこと】

          障害のあるわたしが、『あの山』に上って「やっほー!」って叫んで帰ってくるくらい嬉しかったはなし

          恩師からお手紙が!! まず、経緯はこちらから。  とあるテレビ番組で、有名芸能人が卒業アルバムをめくりながら、同級生との思い出を語って、そのうちの誰かと番組サイドがコンタクトを取って、有名芸能人が思い出を語っている様子VTRを見せて、記憶のすり合わせやらなんやらで、笑いあり、涙あり、するヤツがあるけど。(←タイトルは自主規制しといた方がいいんだろうか?w)    で、番組最後には、『たくさんいる同級生の中で、○○さんの記憶の中から、自分を思い出してくれて幸栄です』的なコメ

          障害のあるわたしが、『あの山』に上って「やっほー!」って叫んで帰ってくるくらい嬉しかったはなし

          障害のあるわたしが障害者の結婚について考えてみた①

          初めての結婚相談  あるとき、聴覚障害の方が相談にみえた。  最近は、ビデオ電話が発達して、聴覚障害の人がわざわざ事務所に出向かなくても、相談が可能になってきた。  でも、やはり年配の方には苦手意識があるようで、こうして事務所で話を聞くときもある。 あ!!そうそう、 わたしは手話ができるのです!! 手が不自由だけど。  聴覚障害者のご夫婦のご相談、50代の息子さん(独身・健聴)の将来が心配なご様子。来所はお父様。(会話は手話で)  知り合いに聴覚障害の子がいるので、まだ

          障害のあるわたしが障害者の結婚について考えてみた①

          障害のあるわたしが『あの山』を思い出そうと恩師に手紙を書いたはなし

          何年振りかの直筆の手紙  前回の投稿で、恩師の賀状メッセージが意味不明、じゃなかった、自分の記憶に残ってなくて、こともあろうに先生を認知症扱いしかけたはなしを書いた。    だけど、それを書きながら、このことは、大変失礼ではあるけど、先生にも伝えたい!!という想いがどんどん強くなっていった。 曲名を聞いても思い出せなかったこと 先生が学年違いをしておられるのかも?と思ったこと YouTubeで調べて聴いたこと そしたら、ボタボタとあふれ出た涙のこと、 当時わたしは先生が、

          障害のあるわたしが『あの山』を思い出そうと恩師に手紙を書いたはなし

          『あの山』が全然思い出せなくて、恩師を認知症扱いしたはなし

          大好きな恩師からの年賀状  障害のあるわたしの生い立ち③で、私に自信をつけさせてくれた担任の先生について少し書いた。音楽の先生で、手の不自由な私をクラス伴奏者に選んでくれたおかげで、低かった自己肯定感がずいぶん癒された。  学年途中で、私は背骨の手術のため3ヶ月ほど休学することになり、先生と離れることになった。退院して戻ってきた時には、産休に入られてしまって会えずじまい。再会したのは、ずっとあとの教育実習の時だったっけ。  どうしてかわからないけど、すごく大好きな先生で

          『あの山』が全然思い出せなくて、恩師を認知症扱いしたはなし

          障害のあるわたしが悩む、それは合理的配慮か過剰なサービスか

          年末の買い出し~レジかごバッグ編~ 手の不自由なわたしが食料品を買いにいくときは、いつもレジの人に「このレジかごバッグに直接入れてくれませんか」と頼んでいた。  コロナ前の話だ。  レジかごバッグのときだけでなく、他のサイズのエコバッグを使うときも、ダメ元で「直接入れてってもらえませんか。入れかたは文句言いませんので。」とレジの人に頼んでいた。  何度か同じような時間帯に通い、顔を覚えてもらい、手が不自由なわたしの申し出は、合理的配慮として快く認められている。 。。。と

          障害のあるわたしが悩む、それは合理的配慮か過剰なサービスか

          あけましておめでとうございます。障害のある人もない人も共にnote生活を満喫できますように。今年もよろしくお願いします。

          今年の目標:日記に挑戦する。ある方の【10年日記】に触発されて、私も挑戦します。 『5年日記』を。 。。。10年ちゃうんかい!! なんかね、 怖くて。 振り返るのが。 50歳もすぎると、悲しいことも多いもの。 、、てゆーか、振り返る楽しみは 『1年書き終わってから』 なんですけどね(笑) 頑張ります!! 昨年、ご縁をいただいたみなさま、今年もよろしくお願いします。 ※#タグたしちゃいました(笑)公言は大きく!

          あけましておめでとうございます。障害のある人もない人も共にnote生活を満喫できますように。今年もよろしくお願いします。

          ユニバーサルマナー検定3級の認定証が届きました‼️

          ユニバーサルマナー検定3級の認定証が届きました‼️

          障害のあるわたしの悪戦苦闘なはなし

          年賀状作りに苦戦する。 正確に言うと、『宛名印刷』に苦戦しています。 住所録のことは、この前書きまして、、    筆王様のおかげで、目鼻がついたと思ったところが、やはりプリンターインクが少なくて、、あらかじめ近くの家電量販店までインクを買いに行ってたんです、、万全で臨んだ印刷のはずが、『ブラザープリンター』に特有の【目詰まり】にあっちまいまして、何回ヘッドクリーニングしても、全然改善されず、、の沼にハマりました。    どうしよう  故障?  買い替え?  いま?  

          障害のあるわたしの悪戦苦闘なはなし

          障害のあるわたしが、年賀状に悩むはなし

          今年もやっぱり年賀状 住所録がふっとんで、慌てて簡易住所録(無料のやつ)をダウンロードして、カタカタと入力して温めていたものが、いざ使おうと思ったときに、使い物にならなかった、、、  お義父さんが亡くなって、喪中はがきに使おうと住所録を開けようと思ったところが、開かなかったのだ。  どうしよう!!と思い、テンパって、半泣きで手書きした。  書いてみると、意外と手書きもいいかも、、と思ったのが懐かしい。  今年も、宛名は手書きしようと思っていたら、旦那が言った。  『

          障害のあるわたしが、年賀状に悩むはなし

          障害のあるわたしが考える、福祉サービスのこと。

          移り変わる福祉制度 ※あくまで個人的見解です。  かつて、【措置】という長い時代を、『弱くてかわいそうな』立場の障害者は手厚く守られながら生きてきたらしい。何も言わなくても、適切なサービスがあてがわれていた、感じなのかな。知らんけど。  鴨が葱しょってえっさほいさ、みたいなーー?知らんけど。    次に新しくできた【支援費制度】は、あっという間に終焉を迎えたし。 ずっと、サービスは『あてがわれるもの』だった障害者が、『さあ、今から選択権はアナタにあります。サービス、好きに使

          障害のあるわたしが考える、福祉サービスのこと。

          恋人はサンタクローース♪背の高いサンタクローース♪つむじ風邪こじらせてー。

          クリスマスをカップルで過ごしたい! 短大を卒業して、障害のあるわたしでも採用してくれた英会話教室。 頑張って、英語免許取っといてよかった!  当時は少し規模も大きくて、東海3県またいでいたくらい有名な英会話 教室で、私はそこで教材作りなどの事務をしていた。(戦力外?) 英語は大好きだったので、毎日毎日、英語漬けの毎日。 ある日、英語堪能な先輩に恋をした。 20歳の頃のおはなし。 毎朝、彼の机だけ念入りに拭く日々(笑) (※一応職員さんの机全部拭いてましたよ、もちろん!)

          恋人はサンタクローース♪背の高いサンタクローース♪つむじ風邪こじらせてー。

          障害のあるわたしの子育てのはなし

           障害のあるわたしの生い立ち1の中で、過保護な母について偉そうに書いたわたしだけど、『手の不自由なわたしが頑張って子育てする』ことに自己満足感を求めすぎるあまり、自分が子供にやりすぎたことは、結構たくさんある。てへぺろ(笑)最初はコレ。  園服は自分で着れるようにさせてください。 年少のとき、先生から言われたひとことだ。  ずっと、私が着せてました。はい。  ボタン、私がかってました。ごめんなさい。  こればかりはね、  すぐ、バレます。  子供はね、正直。 園服

          障害のあるわたしの子育てのはなし