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障害のあるわたしが『親亡きあと』を考える日【最愛なる父のこと】

私が死んだらうちの子は!?

 「親亡きあと」講演会を開催すると、ものすごい希望者があるそうだ。
かくいう、わたしのところにも相談にみえる方はいて、これが最近非常にしんどい。聞くのがしんどい。我がことに変換して考えてしまう。

 親さんのいう『うちの子』とは、40代~50、60代を指すのだ。

40、50代にもなる息子、娘を、子ども扱いして、自分が死んだあとまで、自分の子が本当に生活していけるのかと心配する、底抜けに、永遠に、休むことなく心配し続ける。

そう、私の父のように。

 わたしの父は、何でも計画的に先々を見据えていろいろ考えるタイプで、相談者と父が重なってしまい、切なくなる。
 もし、私が、相談者の息子さんのように、結婚しないでずっと実家にいたら、きっと同じように、ただただひたすら私を心配し、私の知らないところを、あちこち奔走するんだろう。

 中学のとき、私は脊椎側弯症で手術することになり、中2の半ばで3ヵ月入院することになった。退院してもなかなか登校することが出来ずにいた。
 中1の時の担任の先生が家庭訪問を何回もしてくれて、先生と解決策を模索している間、父は父で、学校に相談に行っていたと後から聞いた。

「うちの子は留年した方がいいでしょうか」 

 先生は、とてもびっくりしたと仰っていたが、父は父で、「留年しなくていいらしい。よかったなー、お父さんはホッとした。」と言っていた。

。。。そこじゃないけどな(笑)

 わたしの父の、ちょっと的外れ(ごめんー)な配慮はまだまだある。
一番は、私が結婚して家を出てからの、大掛かりなリフォームだ。
 実家の維持管理など、面倒を見れない(であろう)一人娘の私のために、大好きだった芝生の庭を、コンクリートで埋めた。雑草がはえて、体の不自由なわたしが草取りできないだろうと思ってのことだ。
 そして、コンクリで固めたついでに庭の3分の2程度のスペースをサンルーム風にした。手の不自由なわたしが洗濯物など外に出て干したりしなくていいように、ここに干したらいい、と言っていた。

おとーさん、私は嫁いだよ??
出戻るの前提??


 娘(父からいう孫)が生まれたとき、乾燥機を買ってくれて、いつ洗濯してもすぐ乾くようになった。
 娘がピアノを弾くようになって、全然弾いてなかったピアノの調律をしてくれた。まだまだ使えるし、いずれうちに運ぼうと思っていた。
 母が買った大切なアップライトピアノだった。

 あるとき、お父さんは終活する!!と宣言した。
そして、たくさんあった背広、ネクタイなどのほとんどを、あげたり捨てたりし始めた父は、わたしのものも捨てたと母から聞いた。慌てて電話したら、『大切なものは捨ててない』と言っていたが、、、
 残っていたのは、卒業アルバムだけだった。

 お父さん、わたしはお父さんと違って友達おらんし、卒業アルバムなんていつ見るよ、どちらかというと苦い思い出しかないし。

 母が亡くなって、断捨離に拍車がかかった父は、『ねずみが出た!』といって、こともあろうに、大切な大切なアップライトピアノを捨てた
文句を言ったら、『ねずみにかじられた。処分に4万もかかったのに』と逆切れぎみに言われ、いくら言ったところで戻ってこないし、80歳すぎた父を責めても仕方ない。

 そう!ピアノは戻ってこない

 ピアノの件があってから、あまり帰らなくなった。わたしのためのリフォームも、わたしが自宅開業を考えたときに使いやすくしてある間取りも、帰ると切なくなってしまう。だって私たちは、たぶんそこには戻らない。
 結婚して、アパートを転々としていたわたしたちだが、やっと終の棲家を見つけて住んでいる。たぶんずっとここに住む。

 父はきっと、いつまでも子供だと思っている。

 50歳を超えた娘を。

子どもには変わりないんだけどね。

 こんな父だけど、いつまでも長生きしてほしい。
 今年は娘の成人式だし、(来年か)、晴れ姿を楽しみにしててほしい。

 相談者には寄り添いすぎてはいけないけれど、次の来所を心待ちにしているわたしがいる。親が安心する生活ってなんだよ?って思うときもあるけど、、とにかく健康に気を付けて、頑張ろう。

 お父さん、いつまでも元気でいてね。

 

 

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