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探究学習の先にある日本教育の問題点

今日は日本教育とカナダ教育の両方を経験した私が日本教育の問題点をカナダ教育の視点から考えて行こうと思います!✨

日本は探究国になりつつある。


私自身日本の教育は近年、探究学習がものすごいスピードで進んでいると思う。
総合型選抜の枠が増えたり、探究授業が促進されたり、探究の部活やゼミが高校にできたり、探究するための塾や組織が生まれたり、多方面から学校教育は探究を進めてる。

「日本は暗記ばっかりで授業はつまらないけど北米は暗記が少ないから良い!」みたいなことを言う日本人留学生はこれから少しづつ減っていくんじゃないかな?

私が高一で、日本にいた時は「探究?何それ美味しいの?」みたいな高校だったのに、この間「探究」をテーマにテレビに出てた。(笑)
そのくらい、すぐにでも「探究」で日本教育を変えようとする動きが全国的に高まっているんだと思う。

実際に文科省が提供するデータを見ると、日本教育が、変化しているのはどうやら事実らしい。

国のために探究せよ!ってのは…どうなん?

なんで国はこんなにも「探究」を促進させようとするのか?
それは、ズバリ!将来、社会では、学力の高さに加えて問題発見力や問題解決力を備えた人材が必要とされるから。

先生、教育関係者の皆さん!あなたは社会のために働いていますか?生徒のために働いていますか?

もし生徒のために働いているのであれば、社会の取り組みに単に生徒を利用されるために探究を行うのはなんだか嫌な気持ちになるんじゃないかな。

生徒の君もなんかモヤモヤするよね。

だから私は個々の人生を充実させるためのものであるべきだと思う。
探究とは、社会を変える力を持つ一方で、自己成長や充実感を得るための力もあるんだから。

「無意識的探究」と「意識的探究」

自己成長や充実感を得る探究には条件があると思う。それは、「受験で有利になるから…」「学校からやれって言われたから…」といった「意識的探究」ではなく、「やってみたい!」、「面白そう!」、「解決したい!」という純粋な気持ちから生まれた「無意識的探究」であること。

学校や受験校からの指示で探究を半強制的に行うと、社会に利用された結果に終わってしまうかもしれない…

だからこそ!本当の「探究力」を手に入れ、人生を充実させるためには、自分の興味や好きなことに探究心を向けることが結局大事なんだ。

「マイ」を大切に!


認定NPO法人カタリバが提供する「マイプロジェクト」では探究学習は探究学習なんだけど、中でも「無意識的探究」に分類されると思う。(分類するとすればの話)

「マイプロジェクト」通称「マイプロ」は、身の回りの課題や関心をテーマにプロジェクトを立ち上げ、実行することを通して学ぶ、 探究型学習プログラム。
この「マイプロ」が大切にしているのは、小さくても実際に起こす「アクション」と、プロジェクトに対する「主体性」。

実際に私が参加した年に賞を取ったのはそういった「マイ」を大切にしている「無意識的探究」に取り組んだ生徒たちだった。

なぜそういった人達が賞をとり、社会に認められるのか?それは「意識的探究」は意識しなければ止まってしまう一方で、「無意識的探究」は止まらないから。

「無意識的探究」は、圧倒的な探究内容の深さとスピード感、そして受験や学校からの指示がなくても続く持続力を持ってる。

セントリベルに運営メンバーとして入る学生は「意識的探究」を入口に入ってくる人もいれば「無意識的な探究」を入口に入ってくる人もいるけど、入った時点でやっぱり内容の深さとスピード感、そして持続力がある人は必ずと言っていいほど「無意識的探究」を行っている人が多い。
好きだから、やりたいからやる!その気持ちが1番原動力を放つんだと思う。
だから、「あ、今、自分意識的探究だな」って思った人は大丈夫!今からでも変えられる。私がそうだったからね。

この「無意識的探究」は、生徒の人生の解像度を高めながらも、方針として課されている「社会貢献」という部分も本質的に解決へと導けると思う。
つまり、「社会のための探究」ではなく、「生徒自身のための探究からの社会!」ってこと。
そっちの方がきっといい社会になる!

でも学校の先生は方針上、生徒の気持ちとか関係なく、生徒に探究をさせる必要があるよね。じゃあ、どうすれば生徒が「無意識的な探求」を行い、人生の解像度を高められるのか?

その鍵は「選択肢」を増やすことにあると思う!

「選択肢」を与えよ!


カナダの中高には「Explore Club(探究部)」や「Social Explore(社会科探求授業)」などがある。けど、それ以外であまり探究という言葉は使わない。
代わりに演劇、写真、法律、プログラミング、フランス語、スペイン語、ダンス、木工、アニメーション、映像、先住民族、フィットネス、料理、編物、会計、マーケティング、起業家精神、アート、リーダーシップ、学習補助など、日本で言う五教科を学んだ上で「選択肢」がばっかみたいにある😂

しかもそれだけじゃないの、高校2年時には「国語」を学ぶにしても「クリエイティブライティング」、「メディア」、「文学」の3つに分かれ、「数学」を学ぶにしても「微積分数学」、「数学基礎論」等に別れてる。(理科や社会も同様)

また、さらに大きな「選択肢」としては、大学受験だけでなく、短大や専門学校、就職やギャップイヤーなど、多様な進路を提供している。

この多様な「選択肢」の中から物事を決定する際に生徒は「将来はこうなりたいからこの授業を取ってみよう」「この授業興味あるから、面白そうだから取ってみよう」そうした自分を考える時間が生まれる。

日本では、なぜ国語を学ぶのか?数学を学ぶのか?よくわかっていない生徒が多いんじゃないかな?
「数学ってなんのために勉強するの?将来使わないじゃん!」みたいな生徒もよくいるし、それっぽい答えを頑張って返す先生も正直いるよね。

その一方、カナダではこうした「選択肢」を与えることで自分にしかない価値を生み出すことができてる生徒が多い。

でも、日本で突然、授業の種類を増やせだとか、進路の種類を増やせだとか、そんなことを言っても、ものすごい力を持っている政治家が居ない限り変わらない。少なくとも10年以内に方針が変わることは無いと思う。
変わったところで生徒も何を選んだらいいのか分からないしね。だって文系理系でさえみんな半年くらい悩んじゃうんだから。

でもそんな私たちでも今できることがある。


それは授業のやり方の「選択肢」を増やすこと!
例えば、カナダでは第二次世界大戦についての授業の場合でも、生徒はプレゼン、ポスター作成、動画作成、ショート映画撮影、詩、歌、ダンス、漫画、絵本、エッセイなどの選択肢が与えられ、その中から学んだことを表現する。

これにより、生徒は自ら選んだ方法で表現し、得意な分野や興味のあることを見つけることができる。

そして、自分の意志で進路や授業選択、今の日本で言えば学部選択などの、大きな選択を行えるようになる。

⬆️上記の記事で以前、自分で選択をしなければ後悔することも出来ないという話をした。

(ってか私、活動休止中なのになんで記事書いてるの笑、多分「無意識的探究」ってやつ?)

今のあなたの授業、そして探究が普通になった未来のあなたの授業は生徒が納得のいく人生を歩むことができるのだろうか?

あなたが先生でも生徒でも、保護者でも、できることがあるはず。

そこの君「探究学習」をちょっと「無意識的探究」してみない??!

Created by SERUCHOCO

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