松本信者論 最終章 笑いの神が死んだ

 私は「松本信者」として、これまで一貫して松本人志の笑いを肯定的に捉えてきた。しかし、本論も終盤に差し掛かり、そろそろ結論に向かって議論を進めていかなければならない。笑いの神が死んだとはどういうことか。なぜ、笑いの神は死んでしまったのか。それは冒頭で記したように、私が信仰していた笑いの神に対する冒涜でもあるだろう。その点について順を追って説明していきたいと思う。

 これまでの議論では、松本人志がカリスマ性を獲得していき、神格化していくまでの契機について考察してきた。松本人志という存在を抽象的な観念とし、次第に信仰の対象としはじめることになるのだが、その重要な手がかりとして「虚構」という概念に着目した。松本の笑いがそれ以前の笑いと異なるのは「虚構」をもとに笑いを生み出しているからである。その新しい笑いにわれわれは魅せられ、それが至高体験として経験されることになったのである。その結果、われわれは松本人志に対して情緒的に帰依することになり、松本に信仰心を抱くようになったのである。松本を神格化し、松本の笑いに崇高性を感じるようになったのである。
 前章では「信仰としての笑い」として、その点について説明した。松本を崇拝する人々は、松本を信仰することで、松本の笑いに絶対性を感じるようになり、松本の作り出す笑いを普遍的な真理として受容するようになる。そのため、意味のわからない笑いでさえ、可笑しみを探求し、松本の意図を汲み取ろうとするのである。これがわれわれが松本を神として崇めるようになったカラクリである。
 つまり、われわれは松本に「幻想」を抱いていたということである。九〇年代以降、松本が熱狂されはじめた理由は、その幻想があったからに他ならない。幻想を頂いていたからこそ、当時の松本の笑いが成立していたのである。「信仰としての笑い」は、その幻想が多くの人の間で共有され、その幻想自体が大きければ大きいほど、その笑い自体も拡張していくことになるのである。それは「意味のある無意味」という概念を用いて説明したのだが、松本に対して幻想を抱いている状態では、どんな笑いであろうとも、それがナンセンスな笑いであったとしても、そこに意味を求めて過剰に解釈されてしまうというのである。九〇年代の松本の笑いは、図らずもイマジネーションの向こう側で成立した稀有な笑いであったといえる。ただ、それは笑いの本質を捉えていないのでは、という反論も想定されるだろう。しかし、そもそも笑いに本質などなく、ユーモアとは意味が過剰に溢れている状態のことを指す。信仰としての笑いは、ある意味、究極の笑いの形であるし、バフチンの唱えるグロテスクリアリズムが機能している状態であるともいえるだろう。
 さて、それでは本題に入ろう。つまり、「笑いの神が死んだ」というのは、その「幻想」が雲散霧消してしまったことが関係している。それゆえに、われわれの「幻想」は解体されてしまい、図らずも我に返ってしまったのである。なぜ、幻想は解体されてしまったのか。それはつまりどういうことなのか。その要因はいくつか存在する。その点については順を追って説明していきたいと思う。


アンチ松本人志について  

 二〇〇〇年代頃からだろうか。ネット上で松本を批判する人々が現れはじめた。面白くない、つまらない、昔のほうがよかったと挑発や誹謗中傷が増えていった。その要因としては、インターネットの登場が関係してくる。九〇年代の時点で松本の笑いを否定するものは少なからずいたが、ネットが普及する以前は情報を発信する場がなかったため、否定的な意見が可視化されることはなかったと思われる。そのためそれらの情報がわれわれの目に触れることはなかった。しかし、ネットが普及したことで、アンチ同士で連帯することが可能となり、松本の笑いを否定する声が大きくなっていったのである。
 そのような批判に対して、私は懐疑的だった。なぜ、彼らは松本を批判するのか。なぜ、彼らは松本の笑いが理解できないのか。私の勝手な解釈であるが、それは彼らに松本の笑いを理解する能力がないためだと決めつけていた。しかし、私の意に反して批判の声は次第に大きくなり、不本意ながら松本の笑いに対して疑念を抱かざるをえないようになったのである。松本の笑いは、私が思っているように普遍性を兼ね備え、絶対的な笑いであるのか。そしてそれは今でも通用する笑いであるのか。そのような理由から、私はそれらを検証し、松本の笑いを見直す必要があると考えはじめたのである。
 まず、考えられるのは、アンチは幻想を抱いていないため、松本の笑いの本質を理解できないことである。それは前述したとおり、松本人志の笑いは幻想によって成立しているからである。松本の笑いは自発的に想像力を働かせて解釈しなければならない。それができなければ、意味不明な笑いとして受容され、彼らのようにつまらないと判断してしまうことになるだろう。
 次に考えられるのは、松本が本格的な笑いをしなくなったことがあげられる。二〇〇〇年を過ぎたあたりから、テレビというメディアの限界と、視聴者及び受け手の劣化に対して、松本は嘆くようになる。テレビ業界は、コンプライアンスへの取り組みが必要とされはじめ、表現の自主規制が増えていくようになった。テレビでは過激な表現は避けるようになり、松本の目指している方向性とは異なり、視聴率を意識した分かりやすい番組作りを作りはじめることになる。そのため、九〇年代のような過激な笑いや複雑な笑いができなくなり、つまりそれは松本の表現できる場がなくなったことを意味するのである。そのような経緯もあり、松本の笑いは以前と比して明らかに分かりやすいものになったと思われる。考えさせられる笑いではなく、考えなくても笑える笑い。そこには確かに物足りなさが感じられるだろう。それは信者の私としても言い訳しようがない事実である。
 松本の笑いの主戦場はテレビであった。だが、そこでやりたいことができなくなり、松本は本来のポテンシャルを発揮できなくなった。そのため、表面的な部分だけ汲み取って、松本人志を評価せざる状況にあったのである。アンチの評価は、そういう意味では間違いではなかったということである。


後期松本人志について

「信仰としての笑い」が機能していた時期を前期松本人志と位置づけられるなら、その後の松本人志を後期松本人志と位置づけられるだろう。後期松本は、笑いへのアプローチの仕方が明らかに変化している。最も顕著だったのは、松本人志が若手の育成に力を入れ始めたことである。松本人志が意図的に後継者を育成しようとしたのかは定かではないが、結果が後継者を育てることに繋がったのである。
 松本人志は、「放送室」というラジオ番組で、面白い若手がたくさんいるが全く評価されないことを嘆いていた。そして、若手が活躍できる機会を作りたいと話していた。「すべらない話」は、そのようなくすぶっている若手を集めて座組された番組である。コンセプトとしては、落語のように何度話しても笑いが取れる話がある。それを披露する番組が作りたいということで始まった企画である。宮川大輔や千原兄弟、河本準一など。当時はまだ売れていなかったが、同番組を出演後に露出が増えることになった。そのような思惑で始まった番組は他にもあり、大勢の後輩と絡む「リンカーン」や、松本人志発案による密室笑わせ合いサバイバル番組「ドキュメンタル」があげられる。
 また、「M-1グランプリ」や「キングオブコント」などの笑いのコンクールの審査員として参加するようになる。これは後輩を育成するという意味でもとても重要な意味がある。どういうことかというと、松本が若手の笑いを批評し、点数付けを行うことで、松本の笑いの指標が可視化され、明文化されることになる。そうすることで、松本にとってなにが面白いのかということが明確になり、それがコンクール自体の方向性へと繋がるのである。同コンクールでは、何千人という芸人や素人が参加し、彼らが競い合うことで、必然的に笑いのレベルが上っていくことになる。コンクールというコンテンツが再評価されたことで、二〇〇〇年代にネタ番組ブームが起き、相乗効果的にネタの質と精度は向上することになったのである。
 つまり、後期松本は、お笑い界の組織づくりと、松本の作り出した笑いの体系化に力を入れ始めたということである。師弟関係のない松本にとって、いかにして芸を次の世代に伝えるか。それはとても重要なことなのである。
 
 しかし、それらの行為は、幻想の解体とカリスマ性の喪失を同時に意味することになるのである。
 以前、マックス・ウェーバーのカリスマ論を参照し、松本人志のカリスマ性が獲得されるまでの経緯について書いた。カリスマ論では、カリスマ性が失われてしまう理由として、次のように述べられている。ひとつは、カリスマが指導者となり後継者を指導すること。もうひとつは、カリスマの取巻きや支持者の集団を組織化すること。
 それらの指摘は、後期松本の行ってきたことと符合する点が多い。つまり、松本は後継者を指導し、笑いを組織化していくことで、同時にカリスマ性を失墜してしまったということである。ウェーバーの定義では、後期松本は官職カリスマとして位置づけられる。それは、カリスマ本来の非日常性的性質が失われ、日常化されてしまうということである。カリスマとは非日常的な性質があることで、民衆をひきつけ心酔させる。そして、人びとは情緒的に帰依することになる。それが失われてしまうということは、松本への信仰心も失われてしまうことを意味する。そしてその結果、松本に対する幻想が解体してしまうことになるのである。


幻想から日常へ

 1970年(昭和45年)11月25日は、三島由紀夫が自決した日である。説明する必要などないと思うが、三島由紀夫は戦後の日本文学会を牽引し、耽美主義を代表する作家である。彼の表現に対する美への追求はストイックかつ妥協を許さず、完全主義者としても有名である。彼の思想や美学は、後世の作家に影響を与え、半世紀たった今でも読みつがれている。
 45歳という若さで三島由紀夫はこの世を去るのだが、その動機については不明とされている。だが、当時の三島は創作活動に対して限界を感じ始めたと言われている。それは自身の評価と世間の評価のずれに不安になったのか、それとも後続の作家に恐れをいただいたのか、才能が枯渇してしまったのか、定かではない。
 創作活動をする者にとって45歳という年齢は苦しい時期なのかもしれない。成熟を遂げて、あらゆるしがらみに翻弄され、その業界すらも背負って創作活動をしなければならない。私たちが創造すらできないようなプレッシャーがあるだろうし、個人で好きなことをしていた時とは明らかに異なるだろう。
 松本人志がネット上で批判され始めた時期は四十代頃である。同時期、彼は自身のラジオ番組で、テレビというメディアの限界と、大衆(視聴者)の劣化に対して嘆いていた。その後、テレビというメディアでの創作活動を捨て、映画という媒体に注力しはじめることになる。つまり、日本の外へ目を向けることで、活躍の場を見出そうとしたのである。
 三島由紀夫が自決した年齢を迎える頃、松本人志は結婚し、子供を授かった。三島の選択とは異なり、松本は自決という道を選ばず、家庭を持つという選択をしたのである。それらは相反するように思われるが、限りなくその出発点は似ているように思う。

 それは、彼の生き様に変化が訪れたことが関係している。
 ポストモダン以前の社会では、一般的なライフスタイルが存在した。それは大きな物語とも言われているのだが、いい大学に行き、いい会社に入り、いい嫁をもらい、子供を授り、一軒家を建てるという人生の理想的なライフスタイルのことである。だが、その大きな物語と呼ばれるものは、ポストモダン後に崩壊してしまい、当たり前だったことが当たり前ではなくなってしまった。そのため、私たちの社会では目標とする事や物がなくなり、拠り所とする物語が消滅してしまったのである。
 村上龍はその状況をうまく言い得たといえる。その言葉とは「ぼくたちの社会はなんでもあるが希望だけがない」という内容であると。私たちの生きる社会には希望だけがない。そのため、私たちは、虚構を拠り所を必要としてしまい、希望のない現実から目をそらそうとばかりするのである。
 松本の虚構的な笑いが求められたのもそのような理由がある。私たちは、大きな物語が機能しなくなったため、松本の虚構的な世界観を拠り所とすることになったのである。それは松本の笑いだけではなく、松本人志の生き様も同じである。非日常的な生き様を提示する松本人志に、われわれは魅了されたのである。それはつまり大きな物語の穴を、松本に対する幻想で埋めようとしたのである。
 つまり、こういうことではないだろうか。松本人志に対する幻想が消滅した理由は、虚構を捨て、ポストモダン以前のライフスタイルに身を置いたからである。そのため、われわれは、松本人志に対して、人間としてのリアル(人間味)を感じてしまい、その結果、幻想が消滅してしまったということである。松本人志は結婚しないと誰もが思っていたし、子供すら作らないだろうと思っていた。この思い込みこそ、われわれ信者の拠り所であり、それこそが松本人志を成立させていた「幻想」なのである。そこには松本人志というお笑い芸人の生き様があり、たくさんの信者が熱狂するほどの力があったのである。
 繰り返すが、笑いの神は死んだのである。いや、死んだのではなく、自ら自決することを選んだのかもしれない。それは、幻想を捨てた状態で、これまでとは違う仕方で笑いを追求しようとしているのかもしれない。幻想にとらわれず、真っさらな状態で追求する笑いい。松本は、これまで積み上げたものを破壊し、自らを初期化することで、次の時代に向けた新しい笑いを追求しているのである。

 

最後に

 松本人志の作り出す笑いは、以前比較しても引けを取らないくらい面白いと思っている。当時とやっていることは異なるかもしれないが、彼の作り出す笑いは今でも色褪せていない。しかしそれは、未だに私が幻想を抱いているのかもしれない。それは、もはや私には判断がつかないが、幻想は消滅したとしても、私は松本に対して未だに信仰心を抱いているように思う。このような文章を書いている時点で、私は紛れもなく信者なのだと思う。
 本論の最終章は、以前書いたものを再考し、書き直したものである。つまり、現時点での私のお笑い論の新作である。そして、近いうちに、「松本信者論」の続編として、後期松本人志を主題にした「松本人志論」を書きたいと思っている。それは「非虚構的な笑い」として、バフチンのグロテスクリアリズムという考え方から後期松本の笑いを捉えなおそうという試みである。いつになるか分からないが、でき次第、公開しようと思う。


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