新お笑い論⑤ ネタのイージー革命について

 「ネタ見せ番組ブーム」についてひと通り説明したところで、別の観点から、お笑い第五世代について考えていきたい。それは、プラットフォーム自体が変化したことで、それに併せて、ネタ自体が独自の進化を遂げているからである。どういうことかというと、芸人の笑いのスタイルは洗練されていき、ネタ(芸)の精度が高まった。それはつまり、芸を的確に伝える技術と、確実に笑いを取るための方法論が確立されたということである。その点について順を追って説明していきたいと思う。

ネタのイージー革命

 その要因のひとつとして、ネタ時間が短縮されたことがあげられる。それはネタ番組全体でいえることだが、ネタを披露する時間が極端に短くなってしまったことで、つかみから、ネタフリ、オチまでの時間がこれまでと比して短くなってしまったのである。とくに、コンテスト系のネタ番組では笑いの数(ボケ数)が得点に影響するため、効率的に多く笑いを取らなければならず、ネタをたたみかける必要があった。
 そういった経緯があり、その過程で、ネタ自体がとても分かりやすくなっていったと考えられる。分かりやすくなったというと語弊があるかもしれないが、90年代に複雑化していった笑いとは正反対の方向に変化したといえる。それはネタの質(センス)は変わらずに、ネタを伝える技術が飛躍的に向上したのである。その結果、「ネタのイージー革命」が起こったのではないかと考えている。
 「ネタのイージー革命」とはいったいなにか。つまりそれは、客(受け手)の笑いのツボを的確に捉える技術であり、極端に言えば、ネタを見た瞬間に反射的に笑えてしまうようなネタの技術のことである。そんなことがありえるのか、と思われるのかもしれないが、他の時代と比較して、そのように進化していると思うのである。そしてそれは、こうすれば笑いが取れるというノウハウが蓄積、的確に笑いをとるための精度が向上が深く関係しているのである。
 まず、押さえておきたいのは、インターネットの出現である。情報社会と呼ばれるようになり、あらゆる情報がネット上に蓄積され、簡単にネットワークにアクセスできるようになった。それは、お笑いについても例外ではない。同様に、ネット上にお笑いの情報量が蓄積されていったのである。その中でも重要なポイントは、ネタ及びネタ番組などのお笑い番組の動画が、動画サイトにアップされていったことである。その結果、いつでもネタをみることが可能となったのである。そうすることで、笑いを研究したり、分析することが以前よりも容易となった。お笑いの教科書やお笑いの方程式と呼ばれるものが、なんとなくではあるが、体系化されていったのである。
 そしてそれらの要素が複合的に絡み合い、次第に、お笑いのレベルは底上げされていったのである。なにが面白くて、面白くないか、それらを模索していた時代とは異なり、お笑いを評価するための基準が形成されていったのである。


島田紳助の言葉

 その決定的なきっかけとなったのは、2003年に開催された第三回のM-1グランプリだと思っている。それは笑い飯がネタを披露した後の、審査員である島田紳助の「去年よりセンスそのままで技術がアップしているんですよね」という発言である。この解説により、その後のM-1グランプリの方向性であったり、センスが重視されていた90年代とは異なり、芸人が技術の重要性を実感した瞬間であるだろう。少なくとも、ぼくはそう認識している。その年の前年に、笑い飯はダークホースとして出場し、Wボケというスタイルで高評価を得ていた。芸としては未完成の状態であるが、ネタ自体が評価されることになる。その時点では、センスをより評価されていた。そしてその翌年に、全審査員から高評価を得ることになり、その評価された点は前述の通り技術面での向上である。いかにセンスを際立たせるための技術が必要であるか。笑い飯の漫才は、ある意味で、その後のお笑いの方向性すら決めてしまうようなとてつもないネタを披露したのである。
 その後、笑い飯に習うようにして、芸人はテクニックに磨きをかけていく。そのため、少なからぬ、打率は高くなっていったように思う。しかし、そのいっぽうで、ある一定のレベルで均一化してしまったことも事実である。個人的な意見であるが、その点については、そこはかとない物足りなさを感じたことも事実である。


2000年代以降の消費者

 このような経緯があり、芸人のネタが向上し、ネタのイージー革命が起こったのである。最後に、さらにもう一つ重要なことをここで指摘して置かなければならない。それはある意味コペルニクス的転回のようなことである。ここにたどり着くまでに、お笑い第五世代について色々と解説してきた。それは、大量生産(ネタ番組自体)、大量供給(芸人自体)、大量消費(観客自体)についてであり、ネタ番組ブームが発生した契機についてである。ネタ番組の多様化、そして上記で説明したネタのイージー革命が関係している。
 だが、それらはあくまでも、お笑い第五世代についての解説にすぎず、検索すれば得られる情報にすぎない。ここからは、個人的な見解となり、まったく別の観点から、お笑い第五世代について考察したいと思っている。そしてそれは現段階で憶測の域でしかない。だが、今後のお笑い界にとって議論すべきテーマだと勝手に思ってもいる。
 つまりそれは、大量消費者(観客自体)についてである。2000年代以降の消費者は、「お笑いの消費の仕方が変質」しているとぼくは思うのだ。以前、「お笑い感覚」について解説した。お笑い感覚とは、なんらかの刺激を受けて、脳内で笑いへと変換したり、シュミレーションする機能のことである。ようするに、なんらかの現象であったり、対象を、お笑いへと変換し、消費するための能力のことである。なにがいいたいのかというと、その消費する能力が、2000年代以降の消費者は、変化しつつあるのではないかと思うのである。
 それはつまり、「お笑い感覚」の劣化に着目したいと思っている。次回、大量消費者の消費の仕方がどのように変化したのかを考えてみたいと思う。

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