新お笑い論② お笑いの歴史について

 本論は「お笑い論」である。「笑い論」ではなく、「お笑い論」である。私たちは、普段何気なく「お笑い」という言葉を使っているかと思うが、「お笑い」と「笑い」という言葉は一見すると同じような言葉に思われるが、意義は微妙に異なっており、私たちは無意識のうちにそれらを使い分けている。
 園芸評論家の相羽秋夫は、「お笑い」と「笑い」の違いについて、次のように定義している。まず、「お笑い」は、落語、浪曲、講談といった話芸から発生した伝統芸能と位置づけている。そして、新しいスタイルである、漫談、漫才、コント、そして新喜劇といった演芸の総称(今日芸)と説明する。つまり「お笑い」とは、演芸の一つの「笑い」というジャンルといえる。次に「笑い」については、それらを内包するカテゴリの総称と位置づけている。つまり、感情の表現としての笑い(感情表出行動)であったり、抽象的な概念としての笑いがそれに値するのだろう。
 本論は、あくまでも「笑いとしての演芸」という位置づけで展開されるため、「お笑い論」に絞り、話を進めていきたいと思う。しかし、本論を展開するうえで「笑い」自体にも触れることになる場合もあるが、現時点ではそれ自体を括弧に入れて、話を進めていきたいと思う。 

 お笑いを分析するうえで、その歴史を辿ることはとても重要なことである。私が分析の対象とする期間は、2000年代の前半から後半にかけての時代である。いわゆるお笑い第五世代を中心にした「ネタ番組ブーム」が重要なテーマとなる。
 それらを考察していくためには、まず日本のお笑いの歴史や成り立ちについて知っておく必要がある。日本のお笑いの歴史の起源は古く、古事記まで遡ることが可能である。民俗学者の柳田国男は「不幸なる芸術・笑の本願」(昭和21年)の中で、「日本人は神の怒りを鎮め、ご機嫌をとるために、宗教的儀式として、「笑ってもらう行為」をしていた」と指摘している。そして柳田は、文学としての笑いを考察することで、演芸(伝統芸能)として残っている日本の笑いを分析し、論じているのである。
 「お笑い」と「演芸」の関係については前述したとおりだが、柳田の指摘では日本の笑いの歴史に「演芸」はとても深く関わりがある。そして、それは同時に「お笑い」についても同じことがいえる。現在でも、日本の笑いのジャンルの主流は、演芸としての笑いであり、それはメディアやコンテツなどの表現の場を変えながら連綿と続いている。
 それでは、演芸の起源について簡単に説明しようと思う。
 古くは、奈良時代に大陸から伝わってきた散楽が演芸の起源とされている。散楽とは、物真似や軽業・曲芸、奇術・幻術(マジック・手品)、人形まわし、踊りなど、いわゆるエンターテイメント性の高い芸能のことである。現代でも、それらの芸能は独自の進化を遂げながら、今日芸にまで引き継がれている。例えば、物真似芸は能へと発展し、曲芸は歌舞伎へと発展している。そして、滑稽要素の強い軽業などの芸が、笑いを扱う演芸として姿かたちを変えながら現在でも残っているのである。
 演芸において重要なのは言うまでもなく「場」である。「場」とは、寄席であったり、劇場などの演芸を披露する「場」のことである。江戸時代半ばごろ、講談や落語などの興行が催される演芸場を「講釈場」「寄せ場」と呼ばれるようになったのが寄席の始まりといわれている。しかし、明治から大正にかけて様々な演芸が存在していたにもかかわらず、映画館やラジオなどの新しい娯楽が登場したことで、寄席全体の数が激減していくことになる。現在でも、演芸としての場は姿を変えて存在しているが、劇場、ライブハウス、地方営業、芸を披露する場は、コロナの出現により、存続の危機を迎えていることも事実である。
 そのような状況下で新たな演芸の場として注目されているのが、インターネットライブ配信である。ZAIKO、YouTube Liveなどのプラットフォームは現在とても注目されている。演芸の「場」が変わることで、「芸」自体も少なからず影響を受けて変質する可能性がある。それは、後述するつもりであるが、1925年(大正14年)にラジオ放送が始まったことで、エンタツ・アチャコのしゃべり漫才が誕生したように、メディアやプラットフォームのしばりの中で芸をすることで、新たな可能性に開かれているからである。

 次回は、お笑いブームとお笑いメディア史について見ていきたいと思う。

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