松本信者論 第二章 松本人志のカリスマ性

一九九四年九月一日、松本人志著の『遺書』が発売された。発行部数は二三一万部を超え、芸人としては驚異的な売上である。『遺書』が発売される以前から、松本人志はカリスマとしてお笑い界を牽引していたが、それが大衆に認知されるようになったのは『遺書』が発売されて以降ではないだろうか。松本人志の取巻きや松本信者のみならず、大衆までも巻き込むことで、松本はお笑い界のカリスマとして社会を席巻したといえる。

当時を振り返ると、九〇年代の中頃の時代は、閉塞感や終末感の漂う暗い時代であった。『遺書』が発売された数ヶ月後に、阪神・淡路大震災があり、地下鉄サリン事件があった。悲惨な事件や災害が重なり、とても不安定な状態だったといえる。ただでさえ、バブルが崩壊し、拠り所としていたものが瓦解してしまった時代に、社会の底すらも抜けてしまったのである。

これまで当たり前だったことが否定されてしまい、拠り所とするための新しい何かを求めるようになった。その穴を埋めるために必要とされたのが、スピリチュアル本であったり、ソフィーの世界のような哲学的な本である。その一つの役割として『遺書』は人々から求められるようになったのである。

松本人志がカリスマ性を獲得していく過程を振り返ると、大きく分けて三つの区分に分けることができる。そのターニングポイントは松本が活躍したいくつかの時代に位置され、一つ目は二丁目劇場、二つ目は東京進出、そして三つ目は『遺書』の発売以降だと考えられる。それらはあくまでも目安であり、さらに細かく分けることが可能であるが、松本の変遷を捉えるためには重要だと思われれる。

それらの時代を中心にどのような経緯で、松本はカリスマ性を獲得していくのか。それらを考察する前に、われわれはまずカリスマについて知っておく必要がある。社会学者であるマックス・ウェーバーのカリスマの定義を参考にしながら、カリスマおよびカリスマ性を獲得する過程を説明していきたいと思う。


カリスマについて

そもそもカリスマとは、どういう意味なのか。カリスマ美容師やカリスマ経営者など、メディアを介して耳にしたことはあるかと思う。だが、われわれが日常的に使うカリスマという言葉は、本来の意味を離れてしまい、憧れの対象や影響力のある人に対して使われているにすぎない。その定義でのカリスマは、高い専門性と固有のオリジナリティを兼ね備えており、大衆を魅了するような人気者を指す。現在では、インフルエンサーと呼ばれる人々が、情報発信の新たなカリスマとして登場しているが、同義的に近い意味合いである。

本来カリスマという言葉は、預言者・呪術師・英雄などに見られる超自然的・超人間的・非日常的な資質を兼ね備えた人のことを指す。元々の語源は、古代ギリシア語の「恵み」、「好意」、「喜び」から派生した「カリス」という言葉に由来する。その後、新約聖書で、「神より賜った能力」「神の賜物」を意味する宗教用語として用いられるようになったのである。

現在のカリスマという言葉は、宗教としての意味合いは薄れているように思われる。だが、上記の説明からもわかるように、カリスマは常人を超えた資質を備え、天才、鬼才、異才などの言葉で形容されるように、崇拝されるような特別な存在者であることは間違いない。

このような使われ方をするようになったのは近代になってからであり、社会学者であるマックス・ヴェーバーが、カリスマという言葉に新たな解釈を加えて再定義したとされている。ウェーバーの定義では、日常的なものを超えた非凡な資質に対する畏敬の念に基礎をおく支配関係とされている。ウェーバーいわく、カリスマの特別な資質に対して信奉する人々は情緒的に魅了されてしまい、承認を求めて服従するようになるということである。

この点についてウェーバーは、地位や伝統的な権威に対して服従してしまうのでは無論ない、と指摘している。その理由として、そもそもカリスマという抽象的な概念は客観的な判断ができないため、「没価値的に」扱う必要があると説明する。没価値性(価値自由とも言われている)とは、「社会科学において認識の客観性を保つためには、一定の価値基準に従って善悪、正邪の判断を迫るような態度をとるべきでない」という立場である。

なんらかの現象を認識する際、人によってそれ自体を判断する仕方や観点が異なるため、ましてや盲信している人々に正確な価値基準などあるはずがない。そのため、あらゆる価値観に対して中立的になることなど不可能ということである。それは、それぞれが特定の立場から物事を判断しているため、彼ら固有の立場を考察し、それぞれの主張を理解してあげることが重要とされているのである。それはつまり、客観的にカリスマを評価することは難しいため、信奉者がどのようにカリスマを評価しているか、という点をウェーバーは重要としているのである。

上記のことからもわかるように、ウェーバーの考察の対象は、カリスマに対してではなく、それを信奉する人々ということになる。カリスマ性は、もともと備わっていた性質というわけではなく、カリスマ性を獲得するための条件として、資質が備わっていたにすぎない。そのため、カリスマ自体を分析するよりも、カリスマを信奉する人々に目を向けることが重要なのである。

これまで繰り返し述べてきたように、信奉者は、カリスマの特別な資質に魅了されて、崇拝するようになる。ウェーバーは、その点について次のように説明する。

カリスマ的支配は、支配者の人(ペルゾーン)と、この人の持つ天与の資質(カリスマ)、とりわけ呪術的能力、啓示や英雄性、精神や弁舌の力、とに対する情緒的帰依によって成立する。

情緒的帰依とは、簡単にいいかえると、感性や情動に訴えられることで心を支配されてしまうことである。それは非常に信仰心の発生と似ていると思う。心理学者のマズローの言葉を借りるならば、それは至高経験に近いを体験をしたということである。至高経験とは、なにかに心を打たれ、最高の幸福を感じる瞬間のことである。それは意識して獲得するものではなく、あくまでも偶発的に出会うものである。もともと至高経験は、宗教的経験や神秘的経験をした際に、使われていた言葉である。マズローは、その言葉を応用し、世俗化する必要があったと説く。

われわれが、松本の笑いに感じた体験は、日常生活の中で獲得されたものである。松本の笑いに魅せられて、至高経験を獲得することで、情緒的に帰依することとなったのである。それらの束が、総合的な評価となり、いくつかの段階を経て、松本は笑いのカリスマと呼ばれるようになったのである。


松本人志のカリスマ性について

それでは松本人志のカリスマ性の契機について解説していきたいと思う。再度繰り返すが、松本人志がカリスマ性を獲得していく過程で、ターニングポイントとなった時期は、次の三つの区分に分けることができる。一つ目は二丁目劇場以前、二つ目はごっつええ感じ、そして三つ目は「遺書」の発売であるだろう。これらの時期に、どのようにして情緒的帰依を感じるようになるのか。各区分ごとに考察していきたいと思う。

まず、二丁目劇場以前をターニングポイントとした経緯について説明したいと思うのだが、それは世代交代が関係している。二丁目劇場がオープンしたのは一九八六年である。その前年には、漫才ブームが終焉し、紳助竜介が解散することとなる。少しだけ寄り道をするが、紳助は、舞台袖で出待ちをしていた際、たまたまダウンタウンの漫才を目にし、自分たちの限界を感じたそうだ。紳竜解散の会見では、「阪神・巨人やサブロー・シロー、ダウンタウンには勝てない」と、当時まだ無名であったダウンタウンの名前を挙げ、衝撃を与えた。

紳助という漫才ブームを牽引し、誰もが認める才能の持ち主が、ダウンタウンを認めることにより、彼らの評価は自然と高まることになる。その過程で、彼らを知らない人であったり、ネタを見たことがない人でさえ、賛美とともに自然と注目が集まるのである。その連鎖の繰り返しが、カリスマを育てる一つの要因だと思われる。つまり、ダウンタウンの近くにいる人、もしくは紳助のようなお笑い界の中での実力者が、彼を評価することで、ダウンタウンの評価は自然と高まるのである。そうすると、実力者の配下に位置する行為者たちは、ダウンタウンとの序列関係の見直しが行われる。そして同時に、ダウンタウンの取り巻きや関係者でさえ、彼らへの評価の位置づけを見直さなければならなくなる。よって、上位から下位へと評価の見直しが、連鎖的に降りていく。その結果、ダウンタウンは各方面から評価されるようになり、活躍の場が与えられたのである。

さて、話を戻し、改めて二丁目劇場の時代について説明しようと思う。

翌年、一九八七年四月、ダウンタウンのメイン番組『4時ですよーだ』の放送が開始される。関西のローカル番組ではあるが、テレビという拡散性の高いメディアにより、関西での知名度は上がっていく。今でこそ信じられない人もいるかもしれないが、当時のダウンタウンは、アイドルのような人気を誇り、若者から高い支持を集めていたのである。

二丁目劇場での活躍以前に、ダウンタウンの実力派は折り紙付きだった。数々の賞レースを総ナメにし、業界関係者からはこの時点で評価されていた。そして関西での確固たる地位を築き、『4時ですよーだ』の終了のタイミングで、ダウンタウンは東京へと進出することになる。


二つ目は、ダウンタウンの代表作といえる『ごっつええ感じ』である。ダウンタウンは、活動の場を東京へと移してからも、ダウンタウンの人気は衰えず、あらゆるバラエティ番組で活躍し、いくつもの冠番組を抱えることとなる。『ごっつええ感じ』を筆頭に、視聴率二〇%を越える人気番組を連発し、彼らは全国区の人気者となる。

ここで着目したい点は、彼らは有名人という地位を獲得することによって、お笑い界のみならず、芸能界での序列の上位者となったことである。それはまた、お笑い界においての経済資本の枠組みを変えてしまったということであもる。そしてそれは、芸能界での優位性を獲得することによって、権力を手にすることになる。その点について、P.D.マーシャルの『有名人と権力』を参考に解説したいと思う。

P.D.マーシャルは、有名人が権力を獲得していく過程で、どのように彼らを支持する共同体(経済・政治・芸術など)が出現し、有名人がどのような位置づけで、機能することになるまでのプロセスを考察している。同書では、有名人の概念を以下のように解説し、メディア装置の必要性について説いている。

有名人の概念は、意味の安定とコミュニケーションの<システム>として最もよく定義される。システムとして、有名人地位の状態は、現代文化における多様な領域や状態に変換可能なものである。このように、有名人地位の権力は経済・政治・芸術的な共同体において出現し、それらの諸領域で成功を差異化し、それを定義決定するやり方に作用する。有名人地位は、人に、ある種のとりとめのない力を授ける。社会において、有名人は他者についての声であり、合法的に重要な存在であることでメディア・システムに接続されている声である。

テレビというメディアは、ネットメディアとは違い双方向性に欠けており、どちらかというと一方的に情報を発信するためのメディアだといえる。マスメディアとして、ポピュリスティックな仕方を得意としており、そのため不特定多数の視聴者を獲得することができる。ダウンタウンは全国放送という巨大メディアで活躍することで、ローカル放送時代とは桁違いの視聴者からの支持を得ることになったのだ。P.D.マーシャルは、テレビやマスコミなどのメディア装置は、いっぽう的な情報操作による大衆の画一化につながる恐れがあり、それが行き過ぎると、大衆を扇動することになり、メディア装置から暴力装置へと変貌してしまうと説明する。

有名人の特性として、視聴者(大衆)から同一化を図られることが挙げられる。同一化とは、憧れの存在に近づきたい、なりたいという願望を、対象のもつ考えや感情・行動・属性を取り入れ、同様の傾向を示すようになる心理的過程とされている。いわゆる、服従のようなものであり、また情緒的帰依に通ずる考えである。

『ごっつええ感じ』による効果は絶大なものであった。この時点で松本人志のカリスマ性の質は、一段階上がることになる。つまり松本人志は、全国放送としての巨大メディアを獲得することによって、たくさんの支持者を集め、その総合評価として、さらなるカリスマ性を獲得することになったのである。

そして一九九四月九月一日、松本人志著の「遺書」が発売される。再度繰り返すが、発行部数は二三一万部を超え、芸人としては驚異的な売上である。遺書に関しては、見方によっては、思想書としても位置づけることができるだろう。それは、娯楽としてだけではなく、松本人志がなにを考えているか、松本人志とは一体何者なのか、といった謎めいたものを理解するために、たくさんの人々から求められるようになったからである。それは、松本人志の可笑しみに対してではなく、松本人志という存在自体が注目されるようになったということである。

信者およびフォロワーは、彼の思想や笑いを理解したい、そして彼に近づきたいと考えるようになり、その手助けとなったのは、遺書という松本人志の哲学が詰まった思想書である。『遺書』は、聖書のような役割を担っていた。お笑い芸人の条件であったり、芸人としてあるべき姿。そのような規律を提示することで、信者はより松本に対して信奉していった。

併せて指摘したい点は、松本の笑いを文章化したことである。複雑で難解だとされている松本の笑いを、わかりやすい言葉で表現されたことで、松本の笑いを理解していない人でさえ、同書を手に取り、入門書のような形で受け入れることが可能となったのである。言語化できるレベルで松本の笑いが理解されることで、感覚的な高度な笑いですら、少しずつ受容されるようになったのである。それは、松本人志の面白がり方が大衆に認知されたということである。

その後、『遺書』は、芸人を志す人々のバイブルとなるのである。松本の芸風を真似する芸人が増えたことも事実である。複雑で高度な笑いとされる松本の笑いを真似するのは、一見、無理難題なような気がするが、意味が理解できない笑いとして認識されたのではなく、意味不明なものが面白いという単純な理解だったのだと思う。そのため、松本を真似たシュールな芸をする芸人が当時たくさんいた。哲学者のアリストテレスは、創作をするうえで、再現することの重要性を説いた。模倣することで、その行為や思考を身体化できるということである。ただ、松本の笑いを受容するだけでなく、松本の模倣をしながら、自発的に笑いを生み出そうと試みるようになった。それは、まぎれもなく松本の功績であろう。


お笑い論一覧

差別と笑いの境界線① はじめに

新お笑い論① お笑い感覚
新お笑い論② お笑いの歴史について
新お笑い論③ お笑いブームとお笑いメディア史
新お笑い論④ 大量供給・大量消費。そしてネタ見せ番組について
新お笑い論⑤ ネタのイージー革命について
新お笑い論⑥ 動物化するポストモダンの笑いについて
新お笑い論⑦ フィクションから、ノンフィクション、そしてフィクションへ
新お笑い論⑧ シミュラークルにおける笑いの消費、そして松本の功罪
新お笑い論⑨ 笑いの消費の仕方について
新お笑い論⑩ お笑い第七世代による新しい価値観の笑いについて

松本信者論 第一章 松本人志について
松本信者論 第二章 松本人志のカリスマ性
松本信者論 第三章 虚構について
松本信者論 第四章 信仰としての笑い
松本信者論 第五章 松本の笑いとお笑い感覚
松本信者論 最終章 笑いの神が死んだ

リヴァイアサンの哄笑

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