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綿帽子 第三話

こりゃあ親不孝の報いが来たかな。

絶体絶命の状況に置かれると、とかく人間というのはマイナスなイメージを抱きやすいらしい。

先程の話に戻るが、肺炎を患った俺は何とか半年後に退院出来たものの、毎日24時間マスクを着けっぱなしの生活を余儀なくされた。
それが八年ほど続く。

もちろん一日中マスクをしているので、部屋の内外関係なく寝ている時も例外ではない。免疫力の低下により白血球の減少が回復しない為の防御策として義務付けられたのだ。

半年も入院していた訳だから、直ぐに身体が回復するはずもなく、日常的に不便なく歩けるようになるまでに約1年半ほどの時間が必要だった。

段々と身体がしっかりとしてきて一安心と思いきや、今度は原因不明の歯痛に悩まされることになる。
その為の改善策として3年間毎日ガムを噛み続けた。

退院後も肺炎が完治したというわけではなく、プレドニンというステロイドの錠剤を飲み続けなくてはならなかった。
どうやらそのプレドニンの影響で口渇状態になり、唾液の分泌が減少して口の中が乾き、歯がスカスカの穴だらけの軽石のようになっていたらしい。

そこに水分が吸収されるとスポンジのように一気に膨張して痛みが発生するのだ。
唯一の治療法としてガムを噛むように指示されたのだが、ガムなんて毎日噛める代物ではない。

それでもこの耐え難い痛みが治るのであればと、必死にガムを噛み続けた。

キシリトール配合のガムでと指示されたので、努力はしてみたのだが、こいつが中々に辛く、口の中全体に甘ったるいハッカのような味が1日中続くと想像してみてほしい。
痛みと胸焼けの相互作用が延々と続くのだ。

後々分かったことだが、肺炎になった原因は当時通っていた精神科医の処方が間違っていた為らしい。

不安障害を患い精神科の方には現在も通院しているのだが、発症当時は統合失調症と診断されてしまっていた。
その為、そういう処方を何年も繰り返された後に薬剤性のショックを起こしてしまい、この肺炎に至ってしまった。

どうりで薬を飲んでも飲んでも、苦しみが一向に解消されることもなく、ただ時間のみが過ぎて行ったはずだ。
おかげで現在では風邪薬すらまともに飲むことができない。

ある日突然、不安発作を起こして救急車で病院に運ばれた。その病院の心療内科で統合失調症だと診断された。

本人にはまるでその自覚がなく、逆に疑いの目でしか主治医の顔を見られなかったのだが、それを告げられた両親にしてみれば、そのショックは大きかったのだろう。

やがてこれが俺の人生を深い闇へと追いやるきっかけとなっていく。

そんな俺に光明が見え出したのは親父の死後3年ほど経過した頃である。


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