綿帽子 第四話
別段、俺は病気自慢が趣味という訳ではない。
毎日を平穏に過ごしたかっただけだ。
「嗚呼、明日になればこの苦しみから解放されていますように」
と、空に向かって叫ぶことにうんざりしていただけだ。
ベッドに寝ながら何が原因となって、ここまで追い詰められる状況に至ったのかと考えてみる。
思考という思考は全て苦しみの中にあり、判断が正常なのかは定かではないけれど、それでも思いつく限りを頭の中でピックアップしていく。
しばらく考えていたが、逆に収拾がつかなくなってきた。
恐らく今までの自分が置かれていた環境、自分の行い全てが裏目に出た結果がここに繋がったのだとは思う。
病院から追い返されたと前述したのだが、そこは現在入院している病院ではない。
思えば問診の時から嫌な雰囲気は感じていた。
問診時に必ず過去の病歴全てを聞かれるのだが、人間馬鹿正直に何でも答えれば良いというわけではない。
普段の自分ならもう少し冷静に考えることができたとは思うのだが、如何せん意識を保っているのが精一杯な状態。
我ながら良く答えられたものだと自分を褒めてやりたいぐらいではある。
ただ、そこで不安障害の出発点まで話してしまったのは失敗だった。
「統合失調症」
この言葉の威力だけは計り知れないものがある。
精神科、心療内科に通ったことがある方なら誰もが経験していることだとは思うのだが、そもそも1回の診察時間が約5分から10分、長くてせいぜい15分という短い時間の中で、患者の状態全てを把握するというのは不可能に近いと自分では思っている。
実際に出発点で統合失調症と診断された俺は、薬剤性の肺炎を乗り越えてから二度ほど他の精神科の病院を渡り歩き、そこで病名が神経症に変化する。
正に自分が抱えていた大きな闇に一筋の光が差した瞬間であった。
神経症も更に病院が変われば、そこではまた神経症だがどちらかと言えばパニック障害がきつく、不安障害のうちであるとこれまた変化する。
さて、俺を前回死の淵まで追いやってくれた統合失調症という病名はどこに行ったのだろうと、診断したお医者様を非難したい気分にもなったりはするのだが、自分にとって正に救世主的な存在となった先生のお言葉を借りれば、こういうことになるらしい。
「こういったことは例えると伝言ゲームなんです。医者が変われば見解も変わる、けれどもカルテに書かれている事を全て検討した上で治療に当たっていかなければならないんです。だから申し訳ないのですが、私が次のお医者様にバトンを渡す時にはその事も明記した上で自分の見解を添えてお渡しします」
なるほど、俺が全てを理解した瞬間でもあった。
ただ、今回だけは失敗した。
錯乱しかかった状態で病院に行ったんだぞ、いくら熱が高くて意識朦朧としていても、そこで全てを曝け出す必要はなかったんじゃないのか。
むしろ何故そこまで話せてしまったのか不思議なぐらいなのだが、ともかく俺は統合失調症という病名を口にした。
その瞬間、問診していた看護師さんの目つきが変わったのだけは覚えている。
それまでも、体調を崩して病院に行く度にその事を話すのは辛く、カルテに病名が載っている以上仕方がないとは思っていても、それによって診断が変わってくる場合もあるということも否めなかった。
時には患者は貴方だけではないと看護師に門前払いをされたこともある。
神経内科を受診しようとして何故救急外来すら断られるのかは全くもって理解不能なのだが、断られたのだから仕方がない。重い頭痛と共に諦めて翌日出直した。
これは決して全てを誇張して語っている訳ではなく、ありのままの事実なのだ。
精神病を患っている全ての患者さん、そのご家族に対する世間の風当たりというのは2016年当時ではまだこんなものではあったのである。
血液検査をして炎症反応が高いため点滴も打たれた。前々日にも救急外来に訪れていたにも関わらず追い返された。ということは、前向きに捉えればその病院に拘るなということだったのではないか。
そんな風に色々とこれまで起こった事に考えを巡らせていた翌日、俺は危うく人間性を自分で疑ってしまいそうな行動に出るのである。
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