綿帽子 第十二話
「グレープフルーツが食べたい」
昨夜お袋に頼んだグレープフルーツが今日には到着するだろう。
甘味、塩味、酸味、を感じなければ、あとは苦味しかない。
味覚とはその4つに旨味を加えて基本の五味として表現するらしい。
午前中、看護師さんがやって来て心臓のエコー検査に連れて行かれた。
検査結果は後ほど先生の方から報告が来るそうだ。
時たま胸が締め付けられるようになって、深夜に起きてしまうのはその影響なのだろうか?
心臓に何かが起きているとしたらグレープフルーツはあまり良くはない。
ただ、
「もうグレープフルーツしかない!!」
俺の直感がそう言っている。
「もうグレープフルーツしかない」
なんのキャッチコピーにもなりそうにない、この14文字のひらがなとカタカナが相まって構成される滑らかな文字の配列が俺の脳裏にそう訴えかけるのだ。
昨夜のプリンは俺の予想を遥かに超え、クリーム色の甘い誘惑もその下に広がるココナッツブラウン色をしたビターな刺激も、俺の薄ピンク色をした正しく舌という名の孤高な牙城を崩すことはできなかった。
そう、俺は某メーカーのプッチンとしたらプリンと聳え立つ名高いプリンに敗北したのだ。
救世主はもはやグレープフルーツさんしかいない。
オセロは得意だが将棋は全くもって不得手という旧摂津の国産マイコンピューターもそのように解答している。
因みにアイスクリームに至ってはただの冷たい白の塊とでも言うべきか。
真冬でも好んでアイスクリームを食べる俺としては、この二大キングオブスィーツが全く意味を成さない独自のキングダムを形成するとは、正に青天の霹靂、真昼間に流れ星の如く、予想を遥かに上回るショッキングな出来事だった。
だが、これで舞台は整った。
グレープフルーツ王子が見事に俺の舌という名の堅固な城を切り崩すことができれば、グレープフルーツ王国の新国王の誕生である。
そして、荒廃していた王国に平和が戻るのだ。
「我、此処にあり、我に大業あり!」
「グレープフルーツ王万歳!!」
と、色々な妄想を膨らませたりもしていたのだが、ちょっと待て。
妄想が加速してグレープフルーツ王子が王座に就いてしまったじゃないか。
そもそもグレープフルーツ王国ではない。
味の王国と呼ぶのが正しいだろう。
味覚五大陸の覇者、味の王国である。
「テーストオブキングダム...グレープフルーツ王の凱旋」
まるでB級映画の邦題タイトルのようだ。
そうこうしているうちにお袋がやって来た。
相変わらず気の利いた事は何も言わないお袋だが、ちょっと疲れているように見える。
お袋とはずっと不仲だ。
俺が病気になってからお袋は更に我が強くなり、親父が死んでからは拍車が掛かったように極端な行動に出るようになった。
本当に血の繋がった親子なのだろうかというぐらいに性格も違い、これが病気を治す為の最大の難関となっていた。
「グレープフルーツ持って来たよ」
「ありがとう、早速食べてみるよ」
お袋はグレープフルーツを入れたタッパーを備え付けのテーブルの上に置くと、ベッドの横のパイプ椅子に腰掛けた。
これだけでも本来なら有難いと思わなければならない。
しかし、常に相反する俺もそこにいる。
普段二人でいてもお袋が一方的に延々と喋り続けるだけで、俺はそれが苦痛でならない。
お袋と話していても何一つ楽しいと思うこともなければ、面白いと思うこともない。
お互いが触れる話題にも共通性が全くなく、ただ時間だけが苦痛となって押し寄せてくる。
その繰り返しなのだ。
俺も精神の病にかかったわけだが、お袋も親父が死んでから確実におかしくなった。
それはごく普通に起こりうる現象なのかも知れない。
病気を治さなければならない息子と、病的になっていく母親が常に一緒にいる。
相反する環境も同時に進行しているのだ。
俺はグレープフルーツをフォークで突き刺して口に運んだ。
一気に口中に広がる爽やかな苦味。
「美味しい〜!!」
思わず叫びたくなった。
久しぶりに味わう充実感と共に押し寄せる安堵感。
恐怖ではない安堵だ。
味を感じられるという幸福感。
今まで感じたことのないような幸せをグレープフルーツ王が与えてくれたのだ。
残りのグレープフルーツも一つ一つゆっくりと味を確かめるようにしながら平らげた。
「有難う、美味しかったよ、グレープフルーツだけは味が分かるみたいだ」
「そうか、良かったな」
「だけど他は何も感じないみたいだ、これ治るんだろうか」
「それは私に聞かれても分からへんな」
「そうか、そうだよな」
それ以上何も会話もなく、ただ時間だけが過ぎていく。
やがてお袋はおもむろに立ち上がり、タッパーを持って来たトートバッグにしまうと
「また来るわ」
とだけ言い残して病室を出て行った。
不器用なお袋らしい、精一杯の優しさだった。
今となれば、そう思えるのだ。
しかし、人生タイミングというものがある。
お袋の心情を読み取ってやるにはあまりにも弱り切っていて、不安を大きく越えた心細さだけが残っていた。
人は、たとえ親子であってもお互いの事を完全に理解し合えるわけではない。
自分は変わることはできても他人を変えることはできない。
これは親子であってもそうなのだ。
15歳の頃から家を出ていた俺にとっては、母親こそが唯一の肉親であり、また一番慣れない存在なのであった。
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