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綿帽子 第十一話

「Oh,yeah?」

それで一括りできそうな事件だ。

延々とのたうち回った結果、どうやら一種類の抗生剤がマッチングしたようだ。

相変わらず昇圧剤は点滴し続けているけれど、暗中模索の闘病生活に希望の光が薄っすらと灯った瞬間だった。

先生が言っていた通り、この抗生剤が効果を発揮しているらしい。

今朝の巡回でも、原因となった細菌が何かは突き止められなかったのだが、順調に回復しているとの報告を受けた。

熱も変わらず37度台から38度台を行ったり来たりしているが、先生がそう言うなら信じるしかない。

おまけに

「◯◯さん今夜から食事が出ますから」

看護師さんがそう伝えに来た。

「どえらいハイペースやないかい!」

「それほんと大丈夫なの?」

そう思ったりもしたが、まあいい。
明らかに嘘だと見抜けるような顔をされるよりよっぽどいい。
食事ができるなんてどれだけ幸せなんだ。

例えお粥だとしても、口から物を食べられる充実感。

それ以上の快感は他にはない。

入院生活では食事こそが神なのだ。

食事をする為にその日1日を辛抱すると言っても過言ではない。

このまま上手く行けばベッドを降りてトイレまで歩いて行く許可が降りるだろう。

「転ばないようにしなきゃ」

そんな事を考えながら、俺はひたすら待ち続けた。

夕食が待ち遠しくて仕方がない。

「まだかまだなのか、早く老けるのは嫌だけど今日ばかりは時間よ早く過ぎてくれ」

待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待った。

「よっしゃやっと来たー!」

「〇〇さん夕食お持ちしました、ゆっくり焦らず食べてくださいね」

と、きっと言ったに違いない。

待ち焦がれた食事がやって来た感動が勝り、看護師さんがなんて言ったかなんて記憶には残ってはいない。

お粥に梅干し、見るからに味の薄そうな味噌汁だが、ちゃんとした食事が目の前にある。

よだれこそ出てはいないが、雰囲気だけは既によだれの先行発売が完了している。

ベッドの右横にあるリモコンで上体を起こせるように角度を付ける。

「よし」

はやる気持ちを抑えながら、テーブルの上に置かれたスプーンを手に取った。

「うん?」

「重い」

携帯電話を重く感じてはいたのだが、スプーンまで重いとは。

上体を起こした体制で物を掴むのと、寝ている状態で携帯電話を胸の上に乗せて操作するのでは勝手が違うらしい。

お粥をひとさじ掬って口に運んでみる。

ゆっくりと舌全体で味わうようにしてから喉の奥に流し込む。

久々の食べ物の感触だ。

「お粥なんて普段なら絶対食べたくないくらい大っ嫌いなのに、今日は感動で涙が出そうなくらいに美味しく感じる」

と、そんな気の利いたセリフを言ってみたかったりするのだが、味がしない。

「薄味で味なんて全く感じないぐらいに調理してあるんだろうな、仕方ない味噌汁を飲むか」

「あれ?こっちも薄いな」

「いくら何でも味噌汁でここまで薄味だと食べた気が全くしないだろう、もう少し美味しく作ってくれたらいいのにな」

そんな愚痴を言いたくなるくらいにひどく薄味だ。

だけど仕方ない、早く元気になるためには食べるしかないのだ、喉を通るだけましなのだ。

「そうだ、梅干しは最後まで取っておこうと思ってたけど食べてみよう、そうすれば少しは美味しく感じるはずだ」

梅干しの乗った小皿を手に取ってお椀の上で反転させる。

うっかり小皿ごと落としそうになったけど、梅干しは無事にお粥の上に着地した。

躊躇なく掬って口に放り込む。

「あれ?酸っぱくない」

不思議に思って、もう一度確かめるように梅干しの果肉の部分を噛んでみた。

やっぱり全く味がしない。

「変だなこの梅干しも薄味って、いや、梅干しで薄味ってあるのか?というか全く何も感じないんだけど、何だこれ?」

何かが変だった。

病院食だし俺みたいに弱ってる患者用に薄味にしてあるのかと思っていたが、これは違う。

「これ、味を感じないんじゃないのか」

頭の中では「落ち着け、冷静になれ」と、連呼している俺が居たりするのだが、こいつは流石に手に余るかも知れない。

何回も味噌汁を飲んだり、お粥を食べたり、梅干しを舐めまわしたりと試してはみるのだが、やっぱり何も感じない。味を全く感じることが出来ないのだ。

「味覚異常か」

「目、耳、ときて口」

そうやって考えてみると、なるほど何となくだけど合点がいくような。

入院してから臭いだけは敏感に感じるなと思ってはいたのだが、多分本当に味を感じないのだ。

五感の内の幾つかが極端に衰える。

それを補うように機能している部分が勝って活躍するようになる。

人間の体っていうのは、そんなふうにできているのではないか?

一瞬にして様々な連想が頭の中を駆け巡る。

「なんてこった」

この後お袋がまた様子を見にくると言っていたので、冷蔵庫にあるプリンを取ってもらおう。そして試してみよう。

希望とは常に絶望と隣り合わせにあるものなのか。


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