つれづれなるままに、日暮らし、硯(すずり)に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとを、 そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。(徒然草) 暇つぶしに、iPadを触りながら、アレコレ考えたことを 好き勝手に適当に打ってたら、なんか面白くなってきたかも、的な。 難しいことは書けません。 自分の頭の中を少し客観的に見れたらいいなと気軽に始めます。 どうぞよろしくお願いします。 1
実家は「モノ」に溢れていた。 爪切りやハサミだけでも何個出てきたか…。 ナッツやテーマパークの缶や箱に詰め込まれた文房具。錆びたピンやクリップ。色の褪せたノートやメモ帳。少しカビの入ったカバンや小物入れ。 そんなモノたちがたくさんあった。 ので 「父の大切にしていたモノ」以外を手放した。 父の大切にしていたモノを残すため、 母はずっと執着していた服や布、カバンを 「ここに入ってるのを捨てて」と言い出した。 天秤にかけたのだ。 自分のモノと父のモノを。 モノに溢れた空間
頭でっかちの私は「スピリチュアル」の世界が理解できません。 でも、子供の時から神様や仏様は信じてました。 お天道様が見てるよ!と言われると、馬鹿正直に行動をして何度頭を叩かれたことか…。 逆にお化けや幽霊なども信じてしまうので 今でもそういったテレビ特集(今時やってるのかな?)も一切見ませんし、ホラー映画や小説もシャットアウトです。 それでもやっぱり、スピリチュアルは理解できません…「でした」と過去形を付けれるように なってきた気がします。 見えないけど「ある」ものに
「お客様に喜んでもらえたのか、本当のところはわかりません。」 と、最近セラピストになった方がいう言葉に考えさせられちゃいました。 私も以前は同じことを思っていました。 「本当に楽になったのかな?」 「そりゃ少しくらいは楽になっただろうけど、社交辞令じゃないのか?」 っていつも不安でした。 いつまでだろう…🤔まだ4.5年前は不安に思っていた気がしなくもない…。 そりゃ、 もう少しやれた事はあったんじゃないか、もっと勉強してたら色々と関連性もみてあげられたのに…とは思うと
私にはママ友の枠を超えた友人が2人います。 1人は好戦的だけど良妻賢母の猛獣。 1人は穏やかな策士であり猛獣遣い。 そういうと怒られそうですが、でもたぶん2人は「言い得て妙」と笑うでしょう。 彼女たちが私をどう見てるかは、わかりません。 年齢も3歳ずつ離れています。私が最年長ですが、彼女たちと話していると、それを感じたことはありません。 得手不得手がそれぞれに違い、リーダーがいるわけでもありません。 数ヶ月前「穏やかな策士の猛獣遣い」の友人が旦那さんと別居しました。
最近「お外」に出る事が増えた気がする。 看板のない整体院を始めてかれこれ8年になろうとする。よくやってられるな、と我ながら感心する。まぁパートのママンたちより手取りは少ないかもね。 接骨院を辞めてから、紹介のみでやってきた。 『一見さんお断り』ってヤツ。 間口を狭くして、 敷居を少し高く、 気持ちの上で暖簾をくぐって、ここに来てほしい。 「治してほしい」じゃなく、 「治したい」「治す」という気持ちで来てほしい。 そんな思いがあったし、 なにより3人の子供かかえて働く場
コロナが出てくる前に、 それまで借りていたお店(施術部屋)を解約して、出張のみの営業、根なし草状態になりました。 「お店」と言っても、 かつて料亭だったらしい古い格式のある屋敷をコミュニティの場として活用されていた離れの一室を、間借り。 看板も出さず、宣伝することもなく、 紹介のみでの営業でもなんとか楽しくやらせていただいてました。 とても大好きな場所でした。 たぶんその部屋との相性が良かったんだと思います。 なので、 その場を離れる決意をするのはとても勇気が必要でした
今年の春に遠方の大学を辞めて戻った長男に噛みつかれたので、 食いちぎる勢いで思っていたことを言ってしまった。 彼にとっての悪者は、母親の私。 いいんじゃね?それで。 キミがそれを理由に動き出すのであれば、私は悪者でいい。 …と思っていても、傷つかないわけじゃない。 良くも悪くも「お互いさま」だ。 はぁ、大人気なかったな、と思いながらも 「コーヒー美味い」 と少し寒くなってきた外を眺めながら思う。 がんばれ、長男 がんばれ、私 私は世の中から不定愁訴、慢性の症状
子供たちの長期休暇は、 結構な量のフラストレーションが溜まる。 ということで、7月終わりごろに 「自分と向き合う」という夏休みの宿題を決めた。 これら6項目 ・筋トレ ・掃除 ・断捨離 ・振り返り(日記) ・瞑想 ・鏡に写った自分を見る をヤツらが夏休みの間、つまり8/31(水)まで真剣に取り組むことにした。 春に長男が戻ってきた時に結構な断捨離をしたつもりだったけど、それでもまだまだ詰めは甘かったようだ。 当たり前だと思っていたモノ、 例えば収納ケースやそれらに入っ
私は自分がそんなに好きじゃない。 でも、なんで自分が好きじゃ無いのか分からない。そうじゃなければならないと思ってるのか。 子供が思春期で迷い、悩み、もがいているのを見ていると、涙が出てくる時がある。 あぁ私もそうだった…と。 まだそこで私はもがいているのかもしれない。 こんなオバサンになっても、あそこから抜けていないのかも。 なんで私は自分に満足をしないのだろう。 いいじゃん、もう半世紀もこんなんなのだからそろそろ慣れろよ、と思う。自分を認めろよ、と。 何を求めている
50代から始めたFOOTケア👣 BODYケアからの「足」って結構マニアックな世界に入ってきたなと、今なら分かる。 狭い世界に入れば入るほどお友達が増えるのね!!ビックリです!! 「足を入れた瞬間」ではなく、 「入れば入るほど」なのがミソかも。 そしてズブズブと深みにハマるんですね。抜けられなくなる理由がわかります。 そしてこのお友達たちが「仲間」なんですね。 「遠くへ行きたければみんなで行け」ってヤツだな、と。 …まぁ良い方向にであればいいのですが😅 2ヶ月にわたって
最近ヨガを始めました。 と言っても、 自宅でモニター見ながら見様見真似ですが。 以前からヨガのインストラクターの知人はいましたし、お客さんにもいらっしゃいました。 が、興味なくて😅 ところで。 足の相談をされることが増えました。 この季節は疲れが溜まりやすいのか、いつもと違う不調を訴える方がいらっしゃいます。 あるお客さんの話では天文学的になんちゃらの門??が開いている時期だからだとか…🤔💦 『うなぎ食ってもダメなの?』と聞いたら笑われました。 どうやら「そういう季節」
「オンナはいいよね、気が楽で」 とか、 そんなこと言ってる人はまだいるのかな? 数年前に経営者のコミュニティの朝活のお誘いを受けたことがあります。 子供達が夏休みということもあって参加させてもらった後に、お約束の役員さん?の勧誘タイムがありました。 早朝は夜と違って仕事などの予定がない。 だから朝の集まりに参加できないという理由はない。 朝の時間を有効活用し、今後の経営に…云々。 という内容だったと思います。 40代の男の方が熱心にお二人でお話をしてくれました。 入会
先日とある古民家でのマルシェにてフットケアの出店をさせてもらった。 有難いことに満員御礼で、足を見させていただいた方たちに感謝するばかりでした。 駐車場まで主催者さんや他の出店者さんたちが、チェアや道具などの搬出を手伝ってくれた。 重い荷物ばかりなので、皆さん疲れているだろうに申し訳ないと思うと同時に、ここでもやはり感謝した。 と、その時、 「フットケアもセッションなんですね」と 主催者さんの1人がおっしゃった。 ん? セッションとは? よく分からずに流してしまった
子供たちも成長し、可愛くない「漢」と化したヤツらに口出しするのも面倒くさい。 けど、ダラダラと家にいる奴らの存在によって生まれるイライラする負の感情。 で、そのフラストレーションは別のところに向けよう!と考えた。 そんな時。ふと思った。 「自分と向き合う」って具体的に何をするんだろ? で、ネットに聞いてみた。 「自分と向き合う」「行動」と入力。えぃ。 ・ノートに書き出す ・ひとりの時間を作る ・信頼できる人と話す ・内側に意識を向ける など…なるほど。 でも、具体的
ポテンシャルが高い、ポテンシャルが上がる、とか何度聞いてもポテンシャルってなに?って思う💦 なかなかカタカナ語が定着しない…orz. 聞いても忘れる。 軽く調べても「へー(°_°)」で終わる。蓄積を感じない…。 なので、ポテンシャルというのを調べて、じっくり考えてみた。そのほうが定着するかな、と思って。…まぁ、暇だったんです(笑) で。ポテンシャルとはその人に潜在する能力のことのようですね。φ(°°)ヘ-. つまり、もともとその人の持っている力、備わっている装備、才能