そろそろ認めます。ハイ。
頭でっかちの私は「スピリチュアル」の世界が理解できません。
でも、子供の時から神様や仏様は信じてました。
お天道様が見てるよ!と言われると、馬鹿正直に行動をして何度頭を叩かれたことか…。
逆にお化けや幽霊なども信じてしまうので
今でもそういったテレビ特集(今時やってるのかな?)も一切見ませんし、ホラー映画や小説もシャットアウトです。
それでもやっぱり、スピリチュアルは理解できません…「でした」と過去形を付けれるように
なってきた気がします。
見えないけど「ある」ものに気付いたからです。
空気も「ある」 命も「ある」
電気も「ある」 愛も「ある」
熱も「ある」 思いも「ある」
時間も「ある」 風も「ある」
音も「ある」 感覚も「ある」
光も「ある」 言葉も「ある」
神も「ある」 仏も「ある」
雰囲気も「ある」 意思も「ある」
ウィルスも「ある」もちろん細菌も「ある」
コレらは目で見えないけど、
間違いなくあるんですよね…。
春ごろから中医学を学びはじめました。
中医学は「気というモノがある」と仮定してます。
頭でっかちの私は「Q.そもそも気とは?」を考えはじめて動けなくなっていました。
最近やっと「気というものがあると仮定」して話を聞くことができるようになってきました。
一旦認めてしまうと、
色々と繋がりはじめます。
先日久しぶりに、とあるお寺の坐禅会に参加しました。
20-25分の座禅を3回するのですが、
動けないからこそ感じる存在がありました。
目は薄目ですが開いているので、認識できるのは存在だけ。
かなり抵抗してましたが、
そろそろ認めるとしましょうか。
「ある」んですよ。何かしらの存在が。
それが自分の内にあるのか、外にあるのか分かりません。
「そこにある」ことを感じるんです。
何もしませんよ。「ある」だけなので。
「事実」がそこにあるのと一緒。
良くも悪くもない。
ただそこに存在するんです。
「怖くない」ということを知ると、
途端に感じられるようになるんですね。
結論を言うと、
「なので、そろそろ認めようと思います。」
です。
…覚悟しないとね。
私は世の中から不定愁訴、慢性の症状で悩む人がいなくなってしまえばいい、と思ってます。
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