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拝啓、山際淳司様。天国に行かれて29年。時が経つのは早いですね。スポーツの世界では「リベンジ」「下剋上」という言葉が多用されています

拝啓、山際淳司様

山際さんが天国に旅立たれて29年が経ちますね。もう、こんなに時が過ぎていたんだと、改めて思います。きょう5月29日は、山際さんの命日。山際さんへのファンレターを天国へ送りたいと思います。

1995年5月29日。46歳で他界された山際さん。あまりに早すぎる他界でした。あるスポーツ紙は、山際さんが亡くなったことを一面で取り上げていました。見出しに大きく「死」と書かれた紙面は、山際さんを失った悲しみを如実に表していました。

私が初めて山際さんの存在を知ったのは、1988年。NHKで毎週「大リーグアワー」というハイライト番組を見ていた時でした。軽妙な語り口から伝わってくる野球への愛情。私も一気に海の向こう、アメリカで行われているメジャーリーグのとりこになりました。

すでに名著「スローカーブを、もう一球」が出されていたのに気づかずに、私が初めて、この本を手にしたのは1995年の正月でした。

進学校の群馬県高崎高校が高校野球の秋季大会を勝ち上がり選抜切符を手にするまでの軌跡が描かれていましたね。その時のエースの川端俊介さんも、今や鬼籍に入られ、天国で山際さんと一緒に野球観戦を楽しんでいらっしゃるのでしょうね。

山際さんが他界された後に、スポーツの世界で二つの言葉が多用されるようになりました。「リベンジ」と「下剋上」です。

「リベンジ」は1998年に横浜高校で甲子園春夏連覇を達成し、西武に入団した松坂大輔投手がルーキーイヤーに使った言葉です。ロッテに敗れた後に「リベンジする」と語り、次の登板でロッテに雪辱したことを契機に、スポーツ界全体で使われるようになりました。

今年の選抜で、群馬県の健大高崎高が県勢初となる優勝を果たしました。昨年の選抜で敗れた報徳学園高(兵庫)に、今年は決勝で雪辱を果たしました。まさに「リベンジ」が達成されたのです。

山際さんの「スローカーブを、もう一球」が群馬県の高校を取り上げていたので、よりいっそう今年の選抜で群馬県勢が優勝したことは印象に残りました。

「下剋上」は元々、戦国時代の歴史の中で登場する言葉でした。現代では格闘技の世界では良く使われていたようです。

しかしプロ野球にポストシーズンでプレーオフ制度が導入されたことで、レギュラーシーズンの下位チームが上位チームを下して勝ち上がることでスポーツの世界で普及するようになりました。

各リーグ上位3位のチームが日本シリーズの切符を争う制度。「史上最大の下剋上」と言われているのが2010年。パリーグ3位だったロッテが、2位の西武、1位のソフトバンクを次々と下して、日本シリーズへ。頂上決戦でも中日を下して日本一となりました。

そして競技は変わりますが、バスケットボールの世界では、昨日の5月28日に「下剋上」が起きました。Bリーグのチャンピオンシップ(CS)に進出した広島ドラゴンフライズの快進撃です。

レギュラーシーズンは西地区3位。ワイルドカードでCSに進んだ広島。準々決勝で中地区覇者の三遠を下し、準決勝では西地区を制した名古屋に競り勝ち決勝へ。頂上決戦では昨季王者の琉球を下して、「下剋上」で初優勝を果たしました。

今年起こったスポーツシーンでも使われた「リベンジ」と「下剋上」。山際さんだったら、文章の中でどう使われるのかなあと、いつも考えています。

いつも隣に山際さんがいるつもりでスポーツを見ています。これからも山際さんの本を読み返しながら、私もスポーツのことを書き続けようと思います。

敬具


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