SUWA SEIJI

食を通して千葉を世界一の観光地へ🌏 株式会社やます代表😊 千葉観光土産の問屋業と房の駅…

SUWA SEIJI

食を通して千葉を世界一の観光地へ🌏 株式会社やます代表😊 千葉観光土産の問屋業と房の駅のお店を中心に 食堂、カフェ、農場、通販も営んでいます。 このnoteは自分自身の過去を描くことにより スタッフやお客様、いろいろな方に やますが描く未来を感じて頂ければと想い はじめました😊

マガジン

  • 諏訪聖二、どうする父さん 全10話

    父が築きあげてきたものを壊しながら危機を乗り越えていく話です😊

  • せいじ殿の13人 2002-20015 全10話

    2003年2号店草刈房の駅をオープンさせ 2015年にニューヨークを決断するまでの なくてはならない13人との出逢いと失敗を 全10話で語っていきたいとおもいます。

  • 諏訪聖二流の商品開発 全10話

    Vol.31-Vol.40(全10話) やますの商品開発に対する想いや大切にしていることを事例をふまえて伝えていきます😊

  • 諏訪聖二、黒字独学 全10話

    房の駅が赤字転落から独学で一気に黒字になっていくまでの話をまとめました。

  • 諏訪聖二、房の駅を立ち上げるまで。全20話

    房の駅がオープンするまでの2年間を20話にまとめて綴ってみました

最近の記事

拝啓 父上 Vol.60

間に合った。 自分の声で 自分の言葉で伝えられて良かった。 公の場でこんな文章を書くことを 許してください。 諏訪商店の創業者の生き方と その歴史との繋がりを紡いでいく君たちにも なんとか知ってもらいたい、カタチに残したい! という想いで 書き綴らせてもらいました。 最後までよろしくお願いします。 第10話最終回 どう仕事と向き合うのか。 どう自分と向き合うのか。 カッコいいとは なんぞや。 父さんの背中が教えてくれた。 今は小さくなったけど 命を懸けたその背中に教わ

    • 親孝行なんてしない。Vol.59

      第9話 父の昔話がすごく好きだ。 伝説的な武勇伝。 でもまわりの仲間がそれを語るのを聞いて あーーーー武勇伝じゃなくて しかももっとヤバい話だし!みたいな。 ・うちの母親を売り子で働かせて 義理の父親にこんなことをさせるために 嫁にやったわけじゃねーと言われ 連れて帰られそうになった話とかも 何度聞いても面白い。 昭和ってヤバい‼️ ・バケツわかめという商品が売れたから バケツいわしやったら不漁で予約したお客様の 家を1軒ずつまわるハメになったこととか。 ・アサリにカ

      • 破られた父との約束。Vol.58

        第8話 小さい頃から これをしたらご褒美をあげるみたいな ことは諏訪家には一切なかった。 母はとても厳しく 見返りを求めることもなければ 見返りを求めることも許さなかった。 勉強して良い点数をとったら 何かを買ってくれることもなかった。 勝ったら夕飯が豪華になるとかで 釣ってくることもなかった。 会社の手伝いのときもそうだった。 手伝いたいなら手伝え。 「見返りを求めない」ということ。 それはイコール「約束をしない」と いうことになる。 そんな父との唯一の約束が

        • 父を超える瞬間。Vol.57

          第7話 前にも話した話だが 父は自分を怒ったこともないし 否定したこともない。 あれしろ これしろ こうあるべきだという ことすら 言われたがことがない。 何をしても叱られない。 その一方で母はとにかく厳しかった。 だから怒られそうなことは だいたい父に言う。 その典型的なパターンは夜中のおねしょだ。 普段は母親っ子なのに 夜におねしょをした時は 父を起こして パンツを出してもらったり 着替えをさせてもらった。 父は自分には怒らないし、 叱らないし、 否定をしないと

        拝啓 父上 Vol.60

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        • 諏訪聖二、どうする父さん 全10話
          10本
        • せいじ殿の13人 2002-20015 全10話
          10本
        • 諏訪聖二流の商品開発 全10話
          10本
        • 諏訪聖二、黒字独学 全10話
          10本
        • 諏訪聖二、房の駅を立ち上げるまで。全20話
          20本

        記事

          父 諏訪廣勝の開発した商品。Vol.56

          第6話 父は株式会社諏訪商店を創業するまでに 2社の卸売業者で働いていた。 その頃の話を聞くのが自分はすごく楽しい。 1社は現在、株式会社諏訪商店としても 株式会社やますとしても最大のライバルだ。 そこは今でも全国のお土産業界の先頭を走っている。 父はそこでいくつもの支店長や所長を経て 独立した。 当時の支店の倉庫の2階で毎日、 父が相撲をとっていた話がすごく好きだ。 それを付き合わされた後輩が 「お前のお父さんはヤンチャだったんだぞ〜」って 迷惑そうだけど どことなく愛

          父 諏訪廣勝の開発した商品。Vol.56

          壊れていく営業部。 Vol.55

          第5話 父はアクアラインが開通するという情報が入ったとき、千葉の南房総に多くの観光客が来ると予想して館山に諏訪商店 館山営業所をつくった。配送センターを兼務した事業所だ。 千葉の観光業の同業他社は だいたい南房総に集中している。 諏訪商店の本社は千葉の真ん中の市原市。 南房総の観光業としてはすごく不利だ。 例えば買い物をしようとした時 商品に南房総という表記と 市原という表記だったら 南房総の表記が入ってる方がかなり有利になる。 もうひとつ不利だったのは 南房総へは高速

          壊れていく営業部。 Vol.55

          本社倉庫のパンク。Vol.54

          第4話 本社の隣が実家だった。 この実家がすごいデカい。とにかくでかい。 どれぐらいデカいかというと テレビのCMの間にトイレから帰ってこれないぐらいデカい。しかも平屋。 だから父がインターホンと電話を間違えるのも 致命的だが 表玄関と裏玄関を間違えて出て行くのは もっと致命的だ。表から裏にまわるのに大体100m。家の中を通らず外を回った方が早い。 インターホンを押した人は前からではなく 後ろから登場されて 大体びっくりして悲鳴をあげる。 本社の隣が家ということもあり 3

          本社倉庫のパンク。Vol.54

          父、引退と引き換えたもの。Vol.53

          第3話 房の駅の2号店ができた時だった。 会長になっていた父が 「房の駅に足湯を作りたい」と言ってきた。 自分は何、好き勝手なこと言ってたんだとおもい 聞く耳も持たず。 だって足湯作るのにもお金かかるし 維持管理コストもすごい。 草を刈るだけでも大変なのに掃除したり と手間が多すぎる‼️ でも父は やると言ったらやる男なのは知ってる。 どんな手を使ってでも・・・。 ココは知恵比べだ。 絶対に足湯は房の駅に作らせない。 父と次男坊の直接対決だ。 待てよ。父のことだ、 油断

          父、引退と引き換えたもの。Vol.53

          魔法の言葉と右拳。Vol.52

          第2話 話は一気に自分が株式会社諏訪商店に入社した時まで先送りする。 以下は自分が諏訪商店に入社する経緯だ。 時間があったらみてください🙇‍♂️ ↓↓↓ Vol.12 https://note.com/seijiest23/n/n8e693cff2d80 Vol.14 https://note.com/seijiest23/n/naecad994af09 Vol.15 https://note.com/seijiest23/n/n29116a5c925b 入社した

          魔法の言葉と右拳。Vol.52

          父 諏訪広勝、自信満々。Vol.51

          第1話 この章「諏訪聖二、どうする父さん」では
父から譲り受けた諏訪商店を兄との兄弟経営の中で 数々の危機を父が大切に築きあげたものを 壊しまくって乗り越えてきたエピソードを 語っていきたいとおもいます。 壊していくなかで 父との会話は一切なし。 まだまだ元気に健在ですが 無言の会話に秘められた父への想いも含めて 全10話、全力で語っていきます‼️ ではさっそくはじめます❗️ 自分が生まれた頃は諏訪商店は成長期に入っていた。家の隣が会社だった。 でも家で父をみることはほぼ

          父 諏訪広勝、自信満々。Vol.51

          鴇田和也。10/13 Vol.50

          第10話 最終回 震災を乗り越えた房の駅は次々と多店舗化。 ショッピングモールにも出店するようになり 飲食業にも進出し始めた。 同時に4個も5個も新店舗オープンの準備が来てもビクともしない自分。 現ふさのえき食堂をやるのに魚の修行に行き毎日3000尾のアジやイサキを3枚におろした。 その最中にカフェをやるのに嫌いなコーヒーも飲みまくってソムリエみたいになった。 そして同時進行でパン工房をやるのにパンの修行。 房の駅のオープンも同時進行。お得意先様の大改装の設計施工管理責任者

          鴇田和也。10/13 Vol.50

          仲間に差し出せなかった手。9/13 Vol.49

          第9話 「あぶない!!!!!!」一瞬のことだった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 34歳になった自分に大きな転機がやってきた。 毎年、アホみたいに富士山をゼロ合目から登ることをしていた。しかも1週間に2回笑。 青木ヶ原の樹海で遭難からの回避。 頂上で風速50mの暴風雨の中のほふく前進。 いろいろあった。 今年も富士山に登ると決めて 本屋の登山コーナーに行くと 「槍ヶ岳(やりがたけ)」という文字に カラダが吸い込まれた。 写真をみただけで素人が登る山では

          仲間に差し出せなかった手。9/13 Vol.49

          大先輩のカッコ良さ。8/13 Vol.48

          第8話 父の教えはこうだ。 諏訪商店 やますは問屋業からはじまり 卸先さまに支えられてきた。 だから卸先さまの迷惑になるようなことはするな。 観光地に房の駅は出さない。 バスの誘致を房の駅ではしない。 これが父と自分の間にあった唯一の約束だった。 2011年の震災をきっかけにお土産業界? 観光業界は一気に疲弊した。 卸先さまをまわっても 「もうダメだよ」 「あとつぎがいないよ」 「景気が悪すぎる」 「最近の客は何も買わない」 と愚痴のオンパレードだった。 それならまだ良

          大先輩のカッコ良さ。8/13 Vol.48

          兄の腹の底。7/13 Vol.47

          諏訪商店、取締役専務になり2年がたった2011年。 房の駅は順調に店舗を増やし 卸部門 営業部も大きく売上を伸ばしていた。 怖いぐらいの順風満帆だった。 ところが3月11日あの東日本大震災が 突然、やってきた。 自分は車の運転中だった。 大きく揺れて目の前でゆっくりと電柱が倒れた。 房の駅全店から一斉に報告の電話がきた。 お客様にケガなし、スタッフも大丈夫。 お店も大きな損傷はなし。 良かった。と素直におもった。 ところが橋の上に車がさしかかったとき ラジオから東北地

          兄の腹の底。7/13 Vol.47

          母 がくれた。6/13 Vol.46

          父がつくった卸問屋である 現やます営業部の存在を毛嫌いしていた自分は 常務の「この会社は1つにならなきゃいけない」 という一言がきっかけで 少しずつ営業部に目を向けることになっていく。 営業部への無関心から一変、 物足らないことに対して 強く迫ることが増えていった。 遅刻に対しても理由なんか聞かない。 ヘラヘラしている営業マンに マットを床に叩きつけてイラ立ちを表現した。 陰口みたいなことが聞こえたら 「今なんて言った?もう1回言って?」と凄んだ。 雪の日に遅刻するスタッフ

          母 がくれた。6/13 Vol.46

          親戚。5/13 Vol.45

          2006年、栗山房の駅がオープンした。 売上も順調。 納得感があったお店をつくれた。 そしてスーパー時代の社長に連絡をいれた。 スーパー時代の社長とのエピソード 詳しくは↓ https://note.com/seijiest23/n/naecad994af09 https://note.com/seijiest23/n/n29116a5c925b 「もし良かったら自分がつくったお店をみてもらえませんか?」スーパー退職後、はじめての電話だった。 「元気で何よりだよ、楽しみ

          親戚。5/13 Vol.45