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父 諏訪廣勝の開発した商品。Vol.56

第6話
父は株式会社諏訪商店を創業するまでに
2社の卸売業者で働いていた。
その頃の話を聞くのが自分はすごく楽しい。


1社は現在、株式会社諏訪商店としても
株式会社やますとしても最大のライバルだ。
そこは今でも全国のお土産業界の先頭を走っている。
父はそこでいくつもの支店長や所長を経て
独立した。


当時の支店の倉庫の2階で毎日、
父が相撲をとっていた話がすごく好きだ。
それを付き合わされた後輩が
「お前のお父さんはヤンチャだったんだぞ〜」って
迷惑そうだけど
どことなく愛を感じる笑顔をみせながら
自慢げに話をする。
勝手に上野支店になる家を購入して
その会社の社長に事後報告をして
大怒られしたこととか とにかく
話がめちゃくちゃ笑。


まぁそんぐらいしてくれなきゃ
俺の父親は勤められませんな。


そんな父は行列になる今川焼き屋をみて
いつか今川焼き屋で独立すると思いついたらしい。

なんて安易な‼️



そこにコンセプトや計算も理論もない。
独立した理由は

「やりたいからやる」

だったらしい。
とにかくめちゃくちゃだ。


そんな父は自分の生まれる前に独立して
次から次へとヒット商品をたたき出す。
おかか梅、丸干しいわし、焼き蛤焼あさり、
カワハギ、干し柿、干し芋、バケツわかめ、
岩のり、青のり、黄金梅、いわしバーグ
菜の花鉄砲漬など伝説商品は数えきれない。
今でもヒットし続けている商品は数知れず。
商品開発力のために中国 台湾 フィリピンまで
行くことも何度もあった。
父が買ってきてくれるお土産が
楽しみだった。
買ってくるお土産のセンスは
まったくなかったけど笑


諏訪商店に入社した自分の目標は
父がまわった工場の数を超える、
父がまわった工場の回数を超える、
父がみた数を超えるだった。
努力がセンスに勝てる方法は1つだ。
数で勝つ。


そして父が縦横無尽に国産に限らず
外国産のものを積極的に取り扱ったことに
対抗するように
自分は千葉県産に重きを置いた商品開発に
専念した。
そして転機は突然訪れた。
世間で産地偽装や中国産の異物混入などが
連日、ニュースで流れ
食品業界への不信が一気に広がった。


自分はここぞとばかりに
自分が開発した千葉県産を売り込み、
父が開発した海外産だったものを
店頭からはずしていった。

それが功を奏して
世の中のお店が苦しんでいる時に
うちは過去最高売上を更新していった。


さぁ!勝ったぞ!
時代をこえて父に勝ったぞ‼️
と意気揚々と実家にいくと
父は農業を本格的にはじめていて
商品開発どころか
商品開発の根幹になる一次産業を
はじめていた。


用意されたのは
当時の定年60歳を超えたおっさんたちが
畑で作ったハヤトウリ20t。
これを醤油に漬けて売ると言う。


この出来事が後に房の駅農場の
根幹となり
株式会社諏訪商店の六次化のスタートととなり
全身SDGsのきっかけとなった。


創業者の勘っていうのかな。
一歩先いったつもりなんて
まったくないんだろうな。
悔しいけど勘とセンスでは勝てない。


塩漬けはうちの強みになった。
大根の漬物はうちの宝だ。
引退して何も口出さないくせに
いろいろやりやがって‼️



『諏訪聖二、どうする父さん』Vol.51-Vol.60(全10話)



でもさ、俺の商品開発力も
負けてねーだろ?
理解できないほど斜め上いってるだろ?
農業、製造、卸、小売、飲食
宿泊、ブライダル
これからも父さんができなかったことの
もっともっと想像の上を超えていくから。

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