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壊れていく営業部。 Vol.55

第5話
父はアクアラインが開通するという情報が入ったとき、千葉の南房総に多くの観光客が来ると予想して館山に諏訪商店 館山営業所をつくった。配送センターを兼務した事業所だ。


千葉の観光業の同業他社は
だいたい南房総に集中している。
諏訪商店の本社は千葉の真ん中の市原市。
南房総の観光業としてはすごく不利だ。

例えば買い物をしようとした時
商品に南房総という表記と
市原という表記だったら
南房総の表記が入ってる方がかなり有利になる。
もうひとつ不利だったのは
南房総へは高速道路もなく
配送するにはかなり遠かった。
その点においても
同業他社と比べて不利となっていた。
この館山営業所はその打開策となり功を奏して諏訪商店の売上は飛び抜けて過去最高となった。


その数年後に自分が入社することとなる。
その後、父は引退し、2009年には
自分が房の駅の事業部部長を兼務しながら
卸部門の営業部長を担うことになった。


このときには館山の営業所まで
高速道路がのびていて
本社から1時間もかからなくなっていた。
でも自分はあえての下道。
本社から2時間30分かけて
お得意先様まわりのためや館山営業所の
ミーティングのために通った。


うちの営業マンがどんな道を通って
日々営業をしていたのか?
右は絶壁、左は崖崩れしそうな壁。
対向車が来たらすれ違えない。
そんな道も多かった。
運転するだけでも緊張する。
ちょっとノロノロ走っていると
慣れた車があおってくる。
こんな道を毎日通ってたのか・・・。


そうか。館山に営業所ができて
営業マンがこういった道を通らなくて
よくなったんだ。
父からのメッセージのような気がした。



お得意先様をまわればまわるほど
父との無言のキャッチボールがはじまった。
お父さんは元気にしてるかい?と
言われることは毎度。
お得意先様からは昔話で父とのエピソードを
2時間も3時間も語られる。
同業他社との売場の取り合いで大ゲンカしたこと、
新商品を許可なく勝手に置いていったことや
何百万もする冷蔵庫を卸先のお店に配って
売場を強引に諏訪商店のものにしていったこと、
卸先に集金に行く時間がないからチャラにした話など父の武勇伝を山ほど聞かされた。


お前はどうだ?
と父から時を超えた無言のキャッチボール。


あるお得意先様のお店の前を
スーツ姿で通ったとき
「あんた諏訪さんのところの息子だろ?」
「そうです」と答えると
「似てるわ〜同じシルエットしてるわ〜」って
言われた。
「あんたも真面目に働いて立派になりなさい」と
言われたことがすごく嫌だった。


父に似てると言われるのがすごく嫌だった。


そんなある日、2011年3月11日
東日本大震災。とてつもない転機が訪れた。
営業部長だった自分は
これをきっかけに館山営業所を閉鎖し
本社に統合することを決断した。
表向きは経営的な部分で
館山まで高速道路ものびたし
在庫も1倉庫の方が扱いやすいしと
統合の理由はいくらでも並べられた。
高速道路もできたしあの道を通らなくても良いし
あとは自分が悪者になって
スタッフに伝えて完了。
冷酷な決断をスタッフに突きつけた。


自分が館山営業所のこんちゃんに
「館山営業所を閉鎖して本社に統合します」と
突き放して言ったとき、涙を流して
「力及ばずすみません」と
こんちゃんに言わせてしまった。
でもあたたかい言葉なんてかけたら
なおさら、踏ん切りがつかない。
冷酷を貫いた。


その帰り道
父のところに寄り、
「館山営業所を閉鎖することにした」と
言いにいくと
「あんちゃんから聞いた。高速道路も延びたしな」とみかんを食べながら一言。
納得してるのかどうかもまったく
わからないほど気持ちの入ってない言葉だった。


父は兄と自分が壊していくことを一切、反対もしない。どんな気持ちなんだろうか。聞けばわかることだけど聞いたところで何も変わらない。壊すものは壊す。それが会社を前に進めることならば。


もし兄や自分が父の顔色や感情を考えて
築きあげてきたものを守るだけだったら
きっと今の会社はない。

だから冷酷なまでに壊す時は壊すと決めている。

この年、震災を経験した会社は
売上こそ前年を下回ったものの
利益は守り切った。


『諏訪聖二、どうする父さん』Vol.51-Vol.60(全10話)


小さい頃から父に似ていると言われることがすごく嫌だった。今でも嫌だ。きっとこの先もずっと嫌だ。でも大好きだぞ笑




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