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諏訪聖二流の商品開発 全10話

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Vol.31-Vol.40(全10話) やますの商品開発に対する想いや大切にしていることを事例をふまえて伝えていきます😊
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記事一覧

ありがとうは言わない。Vol.40

ありがとうは言わない。Vol.40

20年前、千葉みやげなんだから千葉県産のもので
商品開発をしたいと手を挙げた。
「ただでさえ国産のものは高いのに千葉県産になったら商品は今の価格の3倍以上だから売れないに決まっている」と言われた。

工場に千葉県産に原料を変えたいと打診しても取り合ってすらもらえなかった。
生産者のところに行くと「生でだいたい売れるから加工にまわすもんなんてないよ」とあしらわれた。

房の駅の店頭に意気込みを込めて

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色盲との戦い Vol.39

色盲との戦い Vol.39

「入社にあたり色覚検査をしてください」
新卒でスーパーに就職するとき
健康診断で追加項目があった。

病院に行って
カラーチャートの前で
次々と外れる自分の色感覚。
赤が緑に緑が赤に
緑と茶色の区別がつかない。
灰色とピンク、
紫色と紺色の区別がつかない。

「色盲ですね」
診断結果を言い渡された。

色?!わからない?!
わかってない?!
ほんと?!
ほんとにわかってない?
今までずっと?

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もう開発しなくて良いよ。Vol.38

もう開発しなくて良いよ。Vol.38

数々の大ヒット商品とヒット商品。
2,000品を越える商品開発。
開発途中でとん挫した商品は20,000品を遥かに越える。
それまでの仕事や調査は全部、無駄になる。
商品開発は最終的にやっていることの90%は無駄だ。

とん挫する理由はいっぱいある。
原料調達がうまくいかない。
値段の折り合いがつかない。
工場が味を追求しきれない。
1回の製造量が多すぎる。など。

「無駄なことなんて何1つない」

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1番売れている商品をやめてまで千葉県産にこだわりますか?Vol.37

1番売れている商品をやめてまで千葉県産にこだわりますか?Vol.37

2年以上のニューヨーク滞在から帰国した3年前。
帰国後、自分は浦島太郎状態。お笑いをみても
35億っていうギャグが何で面白いかがわからなかった。理由なんてないんだろうが 2年のブランクは想像以上だった。コンビニのお弁当を食べてもパンを食べても、食感が3年前とは全然違う。たった2年なのに過去がわからなくなると商品開発1つ、できなくなる。人の感性や行動、常識も何となく微妙に違和感があった。

怖くなっ

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マネされたことに苛立つエンジョイピーナツVol.36

マネされたことに苛立つエンジョイピーナツVol.36

6年前、ハワイアンホーストみたいな商品を作りたいとおもい、ハワイの工場見学が決まった。そしてハワイ出張のために10日間のスケジュールを空けた。ところが工場見学は直前になり、キャンセルになった。時間が大きく空いた自分は行ったことがないニューヨークに行きたいと兄である寿一社長にお願いをした。理由はいろいろあるけどニューヨークを観てみたいとおもった。

そしてニューヨークへの出張が急遽決まった。
海外に

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売れるわけないですよ。Vol.35

売れるわけないですよ。Vol.35

ピーナツせんべい、通称ぴーせん。
15年前、ぴーせんのピーナツ(中国産)を
千葉県産のピーナツにして販売したいと
工場に伝えた。

こんな簡単なことができなかった。

工場長は
「値段がスーパーの3倍になりますよ?」
「誰も買ってくれないですよ」
「ぴーせんは安いから買ってくれるんです」
「房の駅でそんなものを売ってはいけない」
「売れるわけないよ」
と言い、製造を拒否。

ずっと昔、ぴーせんは高

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戦略なんてくだらない Vol.34

戦略なんてくだらない Vol.34

自分が諏訪商店に入社して房の駅に立ち上げるとき、いろいろな人に言われた。
「名物とか、房の駅って言ったらコレ!みたいなのつくらなきゃダメだよ」

簡単に言うけど「じゃあ自分で考えてみろよ?」と
心の中でおもっていた。

みんなクチばっかりだ。

いざとなったらアイデアすら出てこないし
出てきたとしてもカタチにはできない。

20年をふりかえって思うことは
そんなのは「お客様が決めること」
というこ

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残酷なまでに終売に追い込まれる Vol.33

残酷なまでに終売に追い込まれる Vol.33

2、3歳の頃
諏訪商店の加工場の作業台の上に座って
ど真ん中で手伝いのまねごとをしていた。
今の衛生環境では
考えられないことかもしれないけど
すごく平和な日々だった。

加工場のおばちゃんたちが
大した手伝ってもいない自分を
いっぱいほめてくれる。
いつしかグラムを計ったり
詰めたり、シールを貼れることが
誰よりも早くなっていた。

子どもながらに聞こえる
おばちゃんたちの面白い話や愚痴、
旦那

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伝説のスーツの男。 Vol. 32

伝説のスーツの男。 Vol. 32

小さい頃、食卓と茶の間には
いつも諏訪商店の商品が並んだ。
それが日常だった。

会社の敷地の中に実家があった。
庭にはわかめやカワハギ、あさりが干されていた。
駐車場に落ちている干しあがったあさりを
こっそり食べるのが楽しみだった。
これが自分の丈夫な胃袋を作ったとおもう笑

父が「舌がしびれないパイナップル」を
嬉しそうに自分に食べさせたことを
なぜか良く覚えている。

ヒット商品は
味なうめ

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全部をふっ飛ばす会心の一食 Vol. 31

全部をふっ飛ばす会心の一食 Vol. 31

株式会社やますを含むグループの
トップに立つのは株式会社諏訪商店。
株式会社諏訪商店は1969年創業。
創業の地は千葉県市原市玉前。
その後、成田空港を狙って富里に富里営業所、アクアライン 開通とともに館山営業所をかまえた。
本社は現在の市原市国分寺へ。
自分が入社する頃には千葉県の海産物の土産品卸問屋としては シェアと規模では間違いなく1番になっていた。

創業者諏訪広勝は自分の父。
海産物の土

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