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大先輩のカッコ良さ。8/13 Vol.48


第8話

父の教えはこうだ。
諏訪商店 やますは問屋業からはじまり
卸先さまに支えられてきた。
だから卸先さまの迷惑になるようなことはするな。
観光地に房の駅は出さない。
バスの誘致を房の駅ではしない。
これが父と自分の間にあった唯一の約束だった。


2011年の震災をきっかけにお土産業界?
観光業界は一気に疲弊した。
卸先さまをまわっても
「もうダメだよ」
「あとつぎがいないよ」
「景気が悪すぎる」
「最近の客は何も買わない」
と愚痴のオンパレードだった。


それならまだ良い。
「やますさんの一人勝ちだよ」と
一見、褒められてるような
完全な皮肉を面と向かって言われることもあった。


昔の自分ならココで「今なんて言った?それ嫌味?」「良くないのは景気のせいじゃないし、自分たちがやってないだけでしょ?」って言い返していたとおもう。


でも大人になった。
満面の笑みで
「ありがとうございます😊みんなでがんばりましょう❗️」って心の底から言いかえしていた。


同業他社がどんどん問屋業への力を
フェードアウトしていく中
やます営業部は
卸先さまの御用聞き訪問をはじめ
営業のカタログづくりに力を入れて
定期新聞を発行したり
ポスターやのぼり旗、
時にはオリジナル商品をつくったりと
ありとあらゆる支援を
卸先さまに向かってやっていった。


でもあるとき我慢ならないことがあった。
やますマークを商品にいれるな。と言われ、
そしてやますはいろいろなところに
商品を卸していて
どこでも売ってるから売れない、と
いつもの文句からはじまり、
房の駅とやますのせいで売上が落ち
千葉の観光がダメになったと言われ
鼻で笑われた。
やますの営業部をみるようになってから
本気で問屋業を盛り上げていこうと
取り組んでいたから
すごくショックな言葉だった。


当時の成田営業所の所長の
ひらのんをはじめ、営業マンみんなが
一生懸命やっているなか
こんな愚痴や嫉妬や妬みにさらされていた。
ひらのんは自分よりもひと回り上の大先輩だ。
にもかかわらず自分に対して
上司としてたて 一切、嫌な顔をしない。
自分が感情的になり
卸部門の不甲斐なさに
ドアに穴を開けたこともあったし
モノを叩きつけることもあった。
厳しい言葉をぶつけることも多かった。
それでもひらのんは震災のときも含めて
やます営業部を守るため
恥やプライドを捨てて頑張ってくれた。



自分が一生懸命やってることを
バカにされることは平気だ。そんなのは慣れている。
でもキザな言い方になるけど
仲間の頑張りを笑われることは
納得がいかない。


当時、やますの営業部で最大の取引数があったのは
成田参道だった。昔は100件、当時は50件以上。
ところがどんどん疲弊していって
夕方の15:00にはシャッターが閉まる。
夏は暑いことが理由で休み。
何もない土日も店が閉まってる。
こういうの諏訪商店として黙ってたせいで
観光地がダメになっていった。


やっぱうちのせいか・・・・。


愚痴や妬みの中にいるのはやめた。
父との約束を破る覚悟ができた。


卸先さま数が最もある成田参道に
房の駅をオープンをすることを決めた。
この閉まったシャッターを開けさせる。
夜は20:00まで オープン
そして年中無休‼️
みんな変われ❗️と願いを込めた決断だった。


卸部門の営業部長になっていた ひらのんに
卸先さまを敵にまわす決断を相談すると
ゴクリとツバを飲んだ。
そして「大丈夫です」と言った。
大丈夫の意味は
卸先さまからくるだろう
ありとあらゆる言葉を
営業部長として全部受けるという覚悟だ。
ひらのんカッコいいでしょ?
カッコ良すぎるでしょ?
ひらのんのおかげで
自分はいつも悪者になる決断ができた。


ひらのんと一緒に
卸先さまに出店の報告をすると
「裏切り者❗️」
「恩知らず❗️」
「義理も人情もない、非道だ❗️」
とまで言われ、塩をまかれたこともあった。
でもなかには
「ともに頑張りましょう❗️」と
勇気づけてくれた卸先さまもいた。


頭をさげることは
カッコ悪いことじゃないって
教えてくれた大先輩は
今年、役職定年を迎え
やますの営業部は新時代へ。
卸部門に対して縮小するつもりもないし
手を抜くつもりもない。
先輩たちが繋いできた伝統を守り
卸先さまの繁栄をめざし
卸部門を再拡大するのみだ。


『せいじ殿の13人 2003-2015』
Vol.41-Vol.50(全10話)


PS
是非、今の成田参道を見に来てください。
うちの力では絶対ないけど
伊勢神宮にも京都にも負けない世界が
そこにあるはずです😊

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