マガジンのカバー画像

せいじ殿の13人 2002-20015 全10話

10
2003年2号店草刈房の駅をオープンさせ 2015年にニューヨークを決断するまでの なくてはならない13人との出逢いと失敗を 全10話で語っていきたいとおもいます。
運営しているクリエイター

記事一覧

鴇田和也。10/13 Vol.50

第10話 最終回 震災を乗り越えた房の駅は次々と多店舗化。 ショッピングモールにも出店するよ…

SUWA SEIJI
1年前
58

親戚。5/13 Vol.45

2006年、栗山房の駅がオープンした。 売上も順調。 納得感があったお店をつくれた。 そしてス…

SUWA SEIJI
1年前
47

兄の腹の底。7/13 Vol.47

諏訪商店、取締役専務になり2年がたった2011年。 房の駅は順調に店舗を増やし 卸部門 営業部も…

SUWA SEIJI
1年前
45

仲間に差し出せなかった手。9/13 Vol.49

第9話 「あぶない!!!!!!」一瞬のことだった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー…

SUWA SEIJI
1年前
56

大先輩のカッコ良さ。8/13 Vol.48

第8話 父の教えはこうだ。 諏訪商店 やますは問屋業からはじまり 卸先さまに支えられてきた。…

SUWA SEIJI
1年前
60

母 がくれた。6/13 Vol.46

父がつくった卸問屋である 現やます営業部の存在を毛嫌いしていた自分は 常務の「この会社は1…

SUWA SEIJI
1年前
52

同い歳への憧れ。4/13 Vol.44

2006年、房の駅3号店の場所が 決定した。 2号店の草刈房の駅をオープンさせるときは お店づくりのセンスはゼロだった。 完膚なきまで打ちのめされた納得がいかないオープンだった。お店づくりははっきり言ってトラウマになった。 口先だけの自分を突きつけられてから 2年。 徹底的にお店づくりと売場づくりの勉強をした。 読んだ本は2年で1000冊。 みた売場は500は超えていたとおもう。 研修も片っ端から20は行ったし 売場替え 売場づくりは500回。 デザインの専門学校にも通

恩師から無言の教え。3/13 Vol.43

2005年の真冬の2月 あんちゃん(現 寿一社長)がある研修に 自分を派遣した。 その研修は一見、…

SUWA SEIJI
1年前
55

歳下に救われる。2/13 Vol.42

2003年、この頃は体育会系で 社員教育は気合いと根性だった。 いらっしゃいませの数が少なけ…

SUWA SEIJI
1年前
56

同級生としての覚悟。 1/13 Vol.41

この章では「せいじ殿の13人 2003-2015」 2003年2号店草刈房の駅をオープンさせてから 2015年…

SUWA SEIJI
1年前
44