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兄の腹の底。7/13 Vol.47

諏訪商店、取締役専務になり2年がたった2011年。
房の駅は順調に店舗を増やし
卸部門 営業部も大きく売上を伸ばしていた。
怖いぐらいの順風満帆だった。


ところが3月11日あの東日本大震災が
突然、やってきた。


自分は車の運転中だった。
大きく揺れて目の前でゆっくりと電柱が倒れた。
房の駅全店から一斉に報告の電話がきた。
お客様にケガなし、スタッフも大丈夫。
お店も大きな損傷はなし。


良かった。と素直におもった。


ところが橋の上に車がさしかかったとき
ラジオから東北地方で
3メートルの津波の情報が流れた。
その情報は5メートルになり10メートルになり
訂正され30メートル以上と流れた。
その瞬間に遠くにみえる工場地帯から
火があがった。
道路は歪みがひどく
液状化もあり大渋滞だった。
電柱も倒れていて通行止めの場所が
何箇所もあった。
裏道を使い市原にある茂原街道沿いの
草刈房の駅になんとか着いたとき
あたりが真っ暗になり
吸い込まれるような感覚があった。
その1、2秒後、パッと明るくなり
今まで聞いたことがない大きな爆発音、
そして大きく揺れた。


地震?!爆発?!
なに?!パニックだった。
携帯電話は誰とも繋がらなくなった。
市原のコンビナートの石油関連会社で
地震が原因の爆発だった。
爆発音は2回、3回と続いた。




当時は携帯電話もガラケー、LINEやSNSみたいなものはなかったから情報が全然はいってこなくなった。全社スタッフが全員無事だという連絡を
把握できるまで8時間以上かかった。


そこに追い討ちで
福島原発の問題がおこる。


会社として、リスク予想はほぼゼロだった。
食糧不足、水不足、ガソリン不足、停電。
翌日、朝イチで
全卸先様、生産者、メーカーと工場、
関係各社に連絡をとるように指示を出した。
全員で手分けをして連絡をとっていく。
ホワイトボードと地図に
被害情報や現状がどんどん書き込まれていく。
連絡がとれないところも含めて
落とし込んでいった。


これヤバイやつだよね?って
きっと政府より早く気づいた。


そこから
ガソリンの満タン給油の指示
食糧や水の確保、
2人1組で移動することなど
先まわりをした指示を次々と出していった。
それでも
計画停電や作物の出荷停止や許可、道路状況や避難解除、避難所拡大などの情報が目まぐるしく
アップデートし指示が追いつかなかった。
今みたいに会社も組織化されてないから
連絡の連携も構築しながら進めていった
感じだった。


ガラケーのメールを打つ右手と左手は
間違いなく当時の女子高生の3倍以上のスピードだったしホワイトボードのペンは30分ごとに
インクがなくなっていった。


売上は間違いなく大きく落とし
赤字に転落するのは
想像に難くなかった。


経費をおさえこむ指示は
急ピッチに進み
全ての広告宣伝費と販売促進費はゼロ。
消耗品などは節約の嵐のような指示。
シフト調整の指示。
注文したもののキャンセルも徹底させた。


そして目に入った勘定科目は
「人件費」だった。
冷酷に非道に
兄である寿一社長に
社員の給与と賞与カットの進言をしにいった。


このままだと赤字だから
先まわりして
社員の給与をカットして
賞与をナシにしようとおもうんだけど。と
自分が言うと


役員は全員良い。
でも社員はない。それはない。
絶対ない。
もっとやれることがある。と
一蹴された。


それ以上の言葉も
それ以下の言葉もなかった。
もっとやれることって・・・・。
これ以上、何をやるんだよ。
正直、やることはなかった。


途方にくれかけたその日のこと
社員数名が自分のところにきて
「給与をカットしてください」
「うちは共働きだから賞与はいらないです」
「社員からアルバイトにしてください」と
言ってきた。
あーーーーーーーーーーーーーーー
社員を大切にするって
口ばっかりだったんだな自分。って
気づかされて悔しかった。
兄の寿一社長が言いたいことがわかった。


やれることはまだある。
みんなならきっとやってくれる。
大丈夫。
大丈夫。
大丈夫。
人生ではじめて
神社にいき
ありえない金額の賽銭を入れて
神頼みをした。


「みんな全力でいくから誰一人倒れないようにお願いします🙏」



そこからは怖いぐらい1人1人が動いた。
誰も来ない駐車場に商品を並べて売る営業部長。
出荷できる野菜を全量おさえこみにいくスタッフ。
不安な生産者に声をかけ続けるスタッフ。
物流会社が麻痺してるなか夜通し荷物を運ぶ社員。
真っ暗な店内で声をだして売込みをするスタッフ。
冷房も暖房も使わないスタッフ。
爪楊枝1本、削減にこだわるスタッフ。
経費削減のため家から雑巾を持ってくるスタッフ。
この1万倍ぐらいみんなやってくれた。
結果、この年も翌年も黒字で勝ち越した。


自分がもしあのとき経営者だったら
あの判断はできなかった。
寿一社長は兄だ。
兄弟経営を評価されることが
良くあるけども
でも兄だから着いていってるわけではない。
いろいろな経営者を間近でみたけど
他の経営者の人が聞いてないことを前提に
控えめにいうと圧倒的な経営者だ。
きっと経営者が寿一社長でなければ
自分はとっくに独立している。


今日も仲良く兄弟経営😬


『せいじ殿の13人 2003-2015』
Vol.41-Vol.50(全10話)

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