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ACT.85『膝下解明』

キハの裏で

 当日の天気は、曇天の中に陽射しが時折差し込むといった状態であった。そうした中で、屋外に保存されているこの場所のメイン的な存在であるキハ183-214を撮影する。夕日を受けて輝く国鉄色は、日本人のDNAを刺激する格別の情景である。
 さて。こうして炭鉱鉄道の開発歴史や石勝線の開通と安平町を形成した歴史を2つ眺め、保存車も共に観察した。
 しかし、この場所には隠れてまだ保存車がいるのである。

 キハ183系の後方。同じ線路上に、茶色い貨車が共に西陽を浴びて保存されている。
 この車両は、日本の貨物鉄道史に於いて最大勢力を拡大し、通称『ワムハチ』として呼ばれていたワム38000形である。
 見た感じでは2両が連結され、その更に奥には車掌車が連結されている。1本の独立した貨物列車のようになっているように錯覚する、立派な展示だ。
 しかし、キハ183系にD51形蒸気機関車にと道の駅の主役の車両たちとは異なりスポットライトを浴びないのがなんとも侘しい。

 車両を近くで。
 キハ183系に関しては曇天の中で撮影したので、せめて…ではないが近くに停車しているワムハチを光線の良い中で撮影できたのは良い成果となった。
 関西・東海圏でもつい10年ほど前までは製紙輸送として何十両も連ねたワム80000が走行していた。そうした中で、ワム80000は平成の時代まで駆け抜け、日本の2軸貨車のベストセラーになっていったのである。
 かくいう自分も、1回だけ敦賀方面だったかの廃車回送に向かうワム80000を島本駅で観測した事がある。あれが餞の走行だったのは、現在なんとなくの推測であるが。
 日本全国の貨物駅に並び、連絡船で航送され。貨物輸送の主軸として我が国に貢献した貨車なのである。

 正面に立つと、貨車らしくのっぺりとした佇まいが印象的だ。
 ものを運ぶ為の車両として、一切合切の個性を捨てたような姿は実に微笑ましいものである。
 そして、何処か貨車としての佇まいに色も相まってか安心感も得られるのがこの車両独特の個性ではないかと思う。
 そんなワム80000。貨車としての製造量数は我が国最大の26,605両を誇ったのであった。昭和35年、荷役の機械化促進に伴い登場した貨車であり、特徴は側面に大きく出ているのであった。

 ワム80000の特徴。
 それは、側面の扉の解放が両側から可能になっており、かつワイドに開く事である。
 車両の半分近くを占める大きな扉は、車両の収容能力と荷物の積卸しに威力を発揮した。
 なお、この車両の形式の頭に振られている単語、『ハ』に関してはこの貨車が背負って登場した使命、『パレット輸送』に関しての役割を示している。
 先ほども記したが、ワム80000は相当な両数の製造がなされた。元来より、国鉄では1つの形式の車両を大量に製造し増備している時期が存在する。
 この道の駅で保存されているD51形蒸気機関車が製造台数、1,115両。そして電車化の時代に入って東京・大阪の大都市にて活躍した103系電車が3,449両と製造されていた。しかし、ワム80000形は『貨車』というその性質を抜きにしても、群を抜く製造量数が弾き出されたのである。
 その数、なんと26,605両だ。ここまでの製造両数を弾き出した車両は、後にも先にもワム80000のみである。
 この製造数の中で、後に走行改良や速度に対応した番台区分、派生形などが誕生するのだが、その数は圧倒的だ。我が国の貨物輸送の中で圧倒的な存在感を放ったと言っても過言ではない。

 但し、この圧倒的な製造両数が影響したのかコンテナ式の貨物輸送に転換した後にも、6,588両が貨物鉄道部門の分割民営化先であるJR貨物に継承され、トドメを刺し損ねたような格好となった。まだまだしぶとく生き延びたワム80000は、そのまま製紙輸送などで活躍する。
 JR貨物で最後の活躍をしていた残りのワム80000たちは、製紙輸送の乗り入れ先であった岳南鉄道での引退に合わせて平成24年まで活躍していた。
 そして、この安平町でひっそりと佇む2両たちの他にも、保存車たちを多く有している。
 中には倉庫として廃車時に販売され、山奥や都会の中で暮らしているものも存在するが、こうしてじっくりとその姿を観察できる機会は非常に稀である。
 状態も綺麗で、非常に見応えのある貨車であった。

個性的なしんがり

 ワム80000形を2両見た後、後方には車掌車が連結されていた。
 国鉄時代、ヤード式の貨物列車には決まって車掌が乗務し、そうした車掌たちの勤務環境を設置すべく編成の最後尾には車掌車が連結されていた。
 写真の車掌車は、ヨ3500形。トキ900という貨車からの改造編入も込みにして、1,345両が製造された車掌車である。
 北海道ではヨ3500形としてそのまま活躍し、個性的な1段リンク式のバネ台車はそのままにされている。(中には本州で活躍していた仲間がヨ5000形への編入改造を受けている)
 さて、この車掌車…ヨ4647を見て気がつく事があるかと思われる。通常、貨物列車としての活躍では必要ないものが装着されているのだが…

 そう。このヶ所である。
 ヨ3500形…貨物列車として活躍したこの車両に、編成間を自在に行き来する為の幌は不必要である。この幌。実はこの車両の個性を知るのに必用不可欠なのだ。
 ヨ4647はJR北海道として分割民営化されてからも働いた貴重な車掌車の1両である。JR北海道に継承された後、この車両には新たな役割が与えられた。
 蒸気機関車で運転する観光列車、函館本線のSL函館大沼号の展望車として活躍したのであった。
 SL列車として連結される…という事は、即ち『客車と編成間を行き来が可能な構造』を取り入れる事を意味する。
 そうした事情で、ヨ4647の後方には『幌』が装着されたのであった。

 SL函館大沼号やSLすずらん号の展望車として貨物列車を外れて第2の活躍に励んだヨ4647。その後は平成27年度付けで廃車され、道の駅あびらD51ステーションにやってきた。
 なお、記してから気付いたので苦し紛れに捕捉するがヨ4647は国鉄時代、廃車され一旦は追分で保存されていた。車籍が復活し、本線上に戻って再びJRでの暮らしをしていたのだった。
 自分もこの幌装着の謎が解けた時は一安心なのであった。現在は再び廃車時と同じ追分…ではないものの、安平町の観光資源として第3の暮らしを生活している。
 写真は東急車輛の銘板と追分での所属を示す所属表記。
 車掌車としてはこうして、貨車と併結しているスタイルが1番様になるものだと思わさせられる。

最後のD51こぼれ話

 追分機関区は、何度も記すように『国鉄蒸気機関車最後の地』である。その後、追分機関区は悲運の不審火によって落城し、庫内に残された蒸気機関車たちは業火の中に巻き込まれ、何とも言葉に詰まる終わりを迎える事になる。
 と、そんな火災の中にて奇跡的に煙室扉と動輪の復活に成功したD51-241。この241号機は『国鉄最後の蒸気機関車貨物列車の牽引機』として誇り高い称号を授かった。
 安平町にて、現在は道の駅あびらD51ステーションの敷地裏にその姿を留め、『火災に巻き込まれた蒸気機関車たちの供養塔』のようにして追分駅・追分機関区の方角を向いて設置されている。
 そんなD51-241であるが、実は特別な蒸気機関車であったのだ。それは、
『煙突が台形の形状をしていた』
蒸気機関車だったのである。

※オーストリアで開発された台形状の煙突、ギースル・エジェクター。その技術評は世界に高い評価、高い実績を残して日本にやってきたのである。
(※写真は岡山県・倉敷市の同形保存機である)

 実際の煙突がこちらだ。
 D51-241は火災でその姿が消失していなければ、こうして特徴的な台形の形状をした煙突を構えてどっしりと綺麗に磨かれ静態保存されていたかもしれない。
 この台形煙突…に関しては、名称が存在している。
『ギースル・エジェクター』
と呼ばれるものだ。
 オーストリアの大学教授であるギースリンゲンが開発した煙突で、開発された後にはオーストリアにて採用されたが、後に海を渡って世界中でこの台形状の煙突は普及していく。
 日本では昭和38年に長野工場で国鉄が試験的にギースル・エジェクターをD51形蒸気機関車に装着して石炭の燃焼効率を確かめた事が始まりである。
 しかし、昭和38年といえば当時の国鉄は新幹線開業の1年前。そして在来線では電車の普及が進行しており、あくまでも実験名目程度であった。
 しかし、何故
「蒸気機関車の煙突を台形に?」
 という疑問が浮上するかもしれない。その形状には、大きな秘密が存在したのだ。

※台形のような煙突…ギースル・エジェクター。そのあだ名は『長靴』などと親しまれ、鉄道ファンの人気も高い形態であった。電車や近代化の時期と重なった事もあり大きな普及は見られなかったが、間違いなく我が国に功績を残した煙突であった。保存機も幾つか存在している。
(写真は岡山県倉敷市にて撮影)

 まず、蒸気機関車の煙突は細長いパイプのような円筒形をしている。
 このパイプ形の煙突であると、石炭で水を沸かして煙管から蒸気を排出する際にどうしても通り道が狭く蒸気の流れが悪くなる。
 そうして、燃焼効率…からの排気効率を高める為に開発されたのがこのギースル・エジェクターであったのだ。
 ギースル・エジェクターを装着する事によって、それまで円筒形状で蒸気の通り道に限界があった設計に大きな余裕ができた。
 筒を拡げて台形状にする事によって、それまでより多くの蒸気を排出出来るようになったのだ。この燃焼効率は、しっかりとデータにも反映されている。
 従来の煙突では燃焼効率が悪かった分、石炭を節約して燃焼効率の向上を図ったギースル・エジェクター。それまでの問題であった火の粉の減少にも繋がり、実験の成果では9〜15%の石炭節約・火の粉の減少などが反映された。もちろん、牽引力も向上し大きな成果を立てた。
 そうして昭和38年以降での日本での実証実験を経て、この追分で国鉄最後の蒸気機関車による貨物列車の先頭に立ったD51-241。昭和50年にその大役を終えるまで、ギースル・エジェクターは我が国で『長靴』などと愛称が付けられ親しまれたのであった。
 なお、この『ギースル・エジェクター』に関してはイギリス発祥の人気作品『きかんしゃトーマス』にて『とくせいのえんとつ』として作品にも登場した有名な煙突なので、興味のある方は是非調べて頂きたい。

別れへ

 再び、安平町道の駅あびらD51ステーション。キハ183系が展示されている屋外で撮影をもう少しだけ。国鉄由来の『おおぞら』のマークが、曇天ながら精悍に輝いている。
 自分が訪問した時間帯は、アウトドアイベントや大道芸のイベントの開催されていた時間帯であり、昼下がりは盛況であったものの時間を過ぎると段々と縁もたけなわ…状態になったのか撤収の用意が始まった。
 こうしてイベントの開催はよくあるのかわからないが、次回はもう少し車両に接近して撮影できるような日に向かいたい。

 当日は建屋内に保存されているD51-320の屋外出しの日ではなかった為、近くに置かれたマンホールと撮影。道中にも同じような蒸気機関車柄のマンホールがあったが、こちらは鉄道に因んだ施設の膝下とあってしっかり色味が入っている。
 また機会があれば、あの綺麗な蒸気機関車を屋外で撮影してみたいものだ。
 キハ183系に関しては屋外保存が基本である為、冬季から春季まではブルーシートで保護をしているものの、D51-320については基本的に屋内…建屋内保存の為、常時観察が可能になっている。
 百聞は一見にしかず。この連載を読んだ後、北海道の方。また、北海道に行くという方は是非とも艶やかな蒸気機関車と一度対面してほしい。

 道の駅を離れる前に、改めて保存されているD51-320を。
 道の駅…として地域の複合施設のような役割を果たし、北海道を走るドライバーたちの憩いの場、休息の場として稼働している同施設だが、そうした施設として機能しているのが勿体無いレベルにてこの施設は非常に楽しかった。
 この蒸気機関車の艶。見る者を圧倒するクロガネの迫力は、後悔しない事間違いなしである。320号機の、『火災で消失した分の仲間たちまで生き抜く』という決意がその艶には篭っているように感じられた。

道の先

 キハ183系が置かれている場所と、蒸気機関車の保存されている建屋はこのようにして並んでいる。訪問した日の運が良ければ…でキハ183系とD51形蒸気機関車の並びを観測する事が可能なのだが、今回ばかりは仕方がない。え?見たいって?では

 中に入って、土産物コーナーでの並び。ここならいつでも共演が楽しめるのです。(お前が使いたかっただけやろ)(可愛さ満点ですよね)
 それにしても、追分機関区に石勝線開通での功績。共にこうしてデフォルメ化されてまで後世に語り継がれているのは素晴らしい事ですよね。

 折角なので、案内看板も記念撮影。
 鉄道ファンたちの用語であったD51…デゴイチもこうしてSLブーム以降は市民権を得て、道路標識になるなんて蒸気機関車の炎が消えようとする昭和50年の頃には誰が想像したのだろうかなぁ。
 ま、当然ですがD51…という言葉に関しては英訳されても表記はそのままです。(だよね)

 去り際にツーショットもう1度。
 この子は俺が大事に飼育しますからね!!!(ペットなのか?)
 いつかまたこの場所に戻る事を誓って、あびらD51ステーションを離脱。良い道の駅なのでした。

情景

 道の駅あびらD51ステーションを離脱した。
 折角なので、2回も旅で訪れた道を撮影しておきたいとして苦しんだ?坂を撮影した。
 北海道らしい?といえば北海道らしいのか、よく先が見渡せる爽快な大地であった。小高い丘の上に見えた景色は、汗をかき息を上げて振り返ると充分すぎる感覚を得られる。
 実際は道の駅なので、自動車にバイクでの訪問が適切なのだろうが、鉄道+徒歩で訪問してもこうした情景を拝む事の出来る素晴らしい場所だ。
 道の駅あびらD51ステーションは、追分駅からこの坂を上った先に到達する。道なりに向かえばたどり着く場所なので、是非とも鉄道でも行ってみてほしい。
 石勝線の時間に関しては一才考えていなかったが、到着した列車で少しだけ何処かに行ってみようか。そう考えつつ、道を踏み締め坂を下ったのだった。追分駅はもう少し先である。

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夏の思い出

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