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上野さんと類先輩とアンドレ(フランス恋物語121)

Le 4eme jour

2月18日、木曜日。

”5日間限定の恋人”として契約した上野さんとの日々も、4日目を迎えた。

昨日は休みだったので、鎌倉デートをした。

そこでは上野さんの意外な素顔を発見したり、お互いの気持ちを正直に話したりして、二人の絆が深まった一日だった。

上野さんは、私にこう言った。

「玲子のこと好きだけど、俺はパリに帰らなければならない。

悲しいけど、期間限定でしか一緒にいられない運命なんだよ。」

モテ男な上野さんに『好き』って言われただけでも、私は幸せだった。

遠距離恋愛はやらない主義なので、彼の言うこともよく理解しているつもりだ。

でも、せっかく気持ちが通じ合ったところなのに、明日で別れるなんて寂しすぎる・・・。

どうしても、この気持ちに嘘はつけなかった。

L'offre

休みを1日挟んで、私は不動産屋に出勤した。

朝礼の後、私は店長に呼び出された。

「橘さん、ちょっと話があるから、休憩室に来てくれない?」

え、いきなり呼び出しって何だろう?

最近仕事上でヘマをやった覚えはないが。

もしかして、類とのことがバレたとか・・・!?

知らなかったとはいえ不倫になっちゃうし、クビとか配置換えとかなったりするんだろうか・・・。

何を言われるのかドキドキしながら、部屋に入った。


向かいの席に座り店長を見ると、明るい表情をしていた。

どうやら悪い話ではなさそうだ。

じゃあ、話って・・・何!?

店長は穏やかな口調で語りだした。

「橘さん、4月から正社員になる気はない!?」

え・・・正社員!?

前から「毎年このタイミングで、ヘルプの派遣から正社員に登用される人はいる」という話は聞いていたが、まさか自分に声がかかると思ってなくてビックリした。

「え・・・私ですか!?」

「そうだよ。」

店長はニコニコしながら言った。

「橘さんは特にノルマはないけど、なんだかんだで契約に繋げてくれているし、何よりもお客様からの評判がいい。

これから経験を積んで本気で取り組んでもらえば、もっと伸びると思うんだ。

毎年この時期になると、人事部から「正社員に推薦したい人がいたら報告するように」と言われているんだけど、橘さんなら是非お薦めしたいと思って・・・。」

知らなかった・・・・。

店長にそこまで評価してもらっていたとは。

「そうなんですか・・・。」

支店長は、「返事は急がない」と言った。

「返事は2月中にもらえるかな?

もし正社員になったら、配属はこの自由が丘店じゃないかもしれないけど。

同じ社内の人間として、君が活躍するのを楽しみにしてるよ。」

私は今夜、上野さんに相談しようと思った。

「わかりました。またご連絡します。」

いつも以上に愛想良く返事をすると、私は職場に戻った。

Le rapport  de Rui

今日、久しぶりに類と二人で仕事をする機会があった。

彼と二人きりで車に乗るのは、まだ気まずい。

別れた後もその横顔は相変わらず美しくて、彼の付ける香水は私好みのままだった。


車が走り出すと、類は離婚調停中の妻との近況報告をした。

「玲子ちゃん・・・妻のことだけどさ。」

「うん・・・。」

「ちゃんと話付けようと思って、久しぶりに電話したんだ。」

・・・あ、ついに連絡を取り始めたんだ。

「そしたら、向こうも考えが変わったみたいで、『希望の額のお金を払ったら離婚してもいい』って。

来週には会う約束したから、早ければ2月中には離婚できるかもしれない。」

類の離婚の話がこんなに順調に進んでいるとは意外だった。

「そうなんだ・・・。」

運転中の類は前を向いたまま、私の手を握ってきた。

「だから、玲子ちゃん・・・。

正式に離婚が成立したら、俺ともう一回付き合って。

疑うようなら、離婚成立後の戸籍謄本でも何でも取ってきて見せるよ。

もうこれで気になることは何もないだろ?」

私はその手をそうっと抜くと、彼の元に戻した。

「離婚が成立しそうでおめでとう。

これでやっと、正々堂々と恋愛できるようになるね。

でもね、その相手は私じゃない。

私の心は、もう類にないから・・・。」

急な心変わりに類は驚いたようだった。

「それ、どういうこと?

もう、新しい彼氏ができたの?」

私は、「パリ在住」の部分だけ省いて上野さんのことを話した。

「前の日曜日、友達の結婚式で昔気になってた人と再会して、付き合うことになったの。

その人、36歳の人気カメラマンで、すごく色気があって、”いかにも大人の男”って感じで魅力的なんだ。

だから、類が離婚できたとしても、私は付き合えない。」

私の突然の報告に、類は肩を落とした。

「そっか・・・。」

私は努めて明るく言った。

「でも、ちゃんと離婚できそうで良かったじゃん。

晴れて独身に戻れるんだよ。

私も経験あるから、離婚できた時の喜びって、すごくわかる。

ある意味、結婚した時よりも嬉しいくらいだったもん。

だから・・・まずはそれを喜んで。」

類は無理して笑っていた。

「そうだね・・・。」

私は彼を励まそうとした。

「大丈夫だよ。

類はイケメンでめちゃくちゃモテるんだから、すぐに新しい彼女できるよ。

でも、次は勢いで結婚せず、当分は独身貴族でいてね。」

「・・・・・・。」

私の言葉は皮肉にしか聞こえなかったようで、これ以上類は返事をしなかった。

Le dîner

上野さんとの最後の晩餐は、下高井戸にある創作料理店だった。

ここは美味しいだけでなく雰囲気も良く、デートにピッタリなお気に入りの場所だ。

お店に入った瞬間、「いいじゃん、この店。」と上野さんも太鼓判を押していた。


乾杯の後、私は早速正社員の打診があった話をした。

「良かったじゃん。おめでとう。」

上野さんは、私の仕事ぶりが店長に認められて嬉しいようだった。

「この話って、受けた方がいいと思います?」

なお及び腰な私を見て、彼は信じられないという顔をした。

「え、なんで迷うの?

だって、前にこの仕事好きって言ってたじゃん。

自分が”好き”って思える仕事を、上の人に認められるなんてすごく光栄なことだよ。」

・・・確かに、その通りだ。

なんで私は、不動産屋の正社員になるのをためらっているのだろう?

一度自分の考えを整理してみることにした。

「一番は、まだその覚悟がないからですね。

あとは、土日祝休みじゃないこと。

それから・・・前カレが同じ職場にいるから・・・とか?」

上野さんは、仕事に対して生半可な気持ちの私に喝を入れた。

「玲子・・・、前に『あんまり結婚願望がない』って言ってたよな?

それだったら、これから一人で生きていくことも考えて、本気で仕事に取り組まなきゃダメだよ。

今まではイベントコンパニオンとか受付とかしてたみたいだけど、それが一生できる仕事じゃないことぐらい、わかってるだろ?

せっかくありがたい話を受けたんだから、チャンスだと思ってやってみなよ。」

「・・・はい。」

彼の言うことは正論すぎて、グゥの音も出ない。

上野さんは付け加えるように言った。

「あと、前カレのことだって、もうすぐどうでも良くなるよ。

4月になったら異動になるかもしれないし。

そういえば・・・その人から何か話はあった?」

私は、今日類から受けた報告をそのまま伝えた。

「ふ~ん。思ったより離婚の話進んでるんだな。

玲子はヨリを戻す気はないの?」

その質問に、迷いはなかった。

「ないです。

『そんないい加減な人だったんだ』っていう不信感は一生消えないので。

今回は、上野さんのことを話して『新しい彼氏できたから、もう付き合わない』って、断る口実に使わせてもらいました。」

上野さんは苦笑した。

「まさか、そんなところで俺が登場するとはな。

まぁ、お役に立てるのならお安い御用だよ。

もうすぐ”実在しない彼氏”になっちゃうけど、どうぞ自由に使って。」

彼は最後まで、私が調子に乗らないよう、しっかり釘を刺すのだった。

André

その日は”上野さんとの最後の夜”ということで、今までの総決算ともいうべきフルコースメニューで私は愛された。

もちろん、受け身なだけでは面白味がないので、私もできる限り奉仕はしたが・・・。


彼が私を攻めている最中、不意に携帯が鳴った。

しばらく無視していたが、電話は鳴り続ける。

「ごめんなさい・・・。誰からかな?」

上野さんはゾクッとするような目で私に命令した。

「いいよ、玲子。そのまま電話に出て。」

強い口調に逆らえなくなった私は、仕方なく電話に出た。

「Allo,Reiko? C'est André.」

・・・それは、絵梨花ちゃんの結婚式で連絡先交換をしたフランス語講師・アンドレからだった。

そうだ・・・。

ずっと上野さんと一緒にいたから、この”グッド・ルッキング・ガイ”に連絡することをすっかり忘れてた。

私は、久しぶりのフランス語に頭を切りかえた。

「Oui, c'est moi. Ça va?」(えぇ、私よ。元気?)

無難な挨拶を返していると、上野さんはニヤニヤしながら私への愛撫を続けた。

・・・あ、ヤバイ。さっきより気持ちいい・・・。

電話しながら攻められるのは、かなり興奮してしまう。

しかし、元々苦手なフランス語の電話を、こんな状態で聴き取るのは絶対に無理だ。

上野さんによる刺激に耐えながら、私はなんとか言葉を発した。

「Excusez-moi, est-ce que tu peux parler japonais?」(ごめんなさい、日本語で話せる?)

アンドレは、たどたどしい日本語で話し始めた。

「僕は日本語話せるよ。

レイコ、食事に行かない?」

「食事?」

もちろん行くつもりだったが、上野さんの目の前で何と返答しようか迷っていた。

すると状況を察した彼は、攻撃の手を止めずに私の耳元でこっそりと囁いた。

「いいよ。どうせ俺はもうすぐいなくなる。

その男との食事、OKしな。」

私は命令通り、アンドレに「行きましょう。」と返事した。

彼は「明後日の土曜日はどう?」と聞いてきた。

土曜日・・・この日は、上野さんがいなくなる日の翌日だ。

アンドレに会えば、彼のいない寂しさも少しは紛れるだろう。

「土曜日、大丈夫です。時間と場所はまた連絡します。」

アンドレは「OK。連絡待ってるよ。」と言い、電話を切った。

はぁ・・・終わった。

なんとか無事に電話を終わらせると、上野さんはエロい表情で私に言った。

「玲子、よく俺の攻撃に耐えて、ちゃんと電話を終わらせたね。

頑張ったご褒美を今からあげるよ。」

「上野さん・・・。」

この後、彼の超絶技巧により、私は何度も絶頂へと導かれたのであった・・・。

La dernière nuit

終わった後、私たちはベッドの上で抱き合いながら会話をした。

最終日のこの時間、いつもと違って感傷的な雰囲気が漂っている。

「上野さん、明日何時ごろ東京を出るんですか?」

彼は、少し考えながら言った。

「そうだな・・・。

明日の夜、家族で晩御飯食べに行くから、19時前には仙台に着きたい。

東京駅を17時過ぎには出るかな。」

17時か・・・。じゃ、デートは東京駅周辺にしよう。

暗い気持ちにならないよう、私は明るい口調で言った。

「仙台の家族って、上野さんが言ってた”ばあちゃん”も一緒なんですか?」

その言葉を聞いた彼は、嬉しそうな顔をした。

「よく覚えてるね。

ばあちゃんは今も元気で、明日も一緒に食事に行くよ。

俺、おばあちゃんっ子だったから、帰省の時はいつも一番に会いに行くんだ。」

クールな上野さんから、そういう意外なエピソードを聞くのはすごく好きだ。

「そうなんですね。

じゃ、ちゃんと遅れないように新幹線乗らなきゃいけないですね。」

上野さんは少し寂しそうな顔をしながら言った。

「そうなんだよ。

本当はもっと玲子と一緒にいたいんだけど・・・ごめんね。

短い時間だったけど、毎日一緒にいられて楽しかったよ。

玲子、愛してる。」

上野さんが強く抱きしめると、私の目からは涙がこぼれた。

まさか「愛してる」と言われるなんて・・・。

この人は、愛情表現を小出しにするからズルイよ。

「もう・・・。これ以上好きにさせないでください。」

そう抗議するのが精一杯だった。


明日は、上野さんと一緒に過ごせる最後の日だ。

彼は、契約の時にこう言った。

「5日間一緒にいる間は、持てるだけの愛情を玲子に注ぐよ。

でも、その後のことは責任持てない。」

すごくクールで理知的な、彼らしいセリフだ。


しかし、この5日間の間に彼の心境に変化があったことを、私はまったく気付いていなかったのである・・・。


ーフランス恋物語122に続くー

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