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類先輩の、罪深い隠し事(フランス恋物語115)

人員交代

2月1日、月曜日。

不動産屋に出社すると、40歳くらいの見知らぬ女性がいた。

開店前だから、お客さんじゃないな。本社の人かな?

間もなく朝礼が始まり、マイホームパパ店長がみんなに呼びかけた。

「みなさん、おはようございます。

前にも話した通り、事務の田中さんが来週から産休に入ります。

こちらの方は、田中さんのお仕事を引きついでいただく佐藤さんです。

では、田中さんから挨拶をお願いします。」

店長に促され、田中さんと佐藤さんはそれぞれ挨拶をした。


私が働く自由が丘店は、店長、男性営業マン5人、営業アシスタントの私1人、そして女性の事務員さん2人という形態で動いている。

二人の挨拶が終わると、事務を牛耳っているお局社員・鈴木さんがしゃしゃり出てきた。

「田中さん、今までお疲れ様でした。

元気な赤ちゃん産んで、落ち着いたらまた見せに来てね。

佐藤さん、私がしっかり教えるので安心していいわよ。

わからないことがあったら何でも聞いて。」

彼女は悪い人ではないのだが、いかにもワイドショーとか噂が大好きなおばさんで、私は少し苦手だった。

彼女は超絶イケメンな類のファンだったので、特に彼女には目を付けられないよう、細心の注意を払っていた。


一通り挨拶が終わると、最後に店長が二人の歓送迎会のお知らせをした。

「みなさん、来週2月9日火曜日、お二人の歓送迎会をします。

定休日の前日なので、なるべく参加してくださいね。」

私は特に予定がないし、田中さんには色々お世話になったので参加しようと思った。

みんなには秘密の彼氏である類も、飲み会が好きだから参加しそうな気がする。

私たちはお付き合いを始めてから、毎週火曜の夜から水曜は一緒に過ごしているが、歓送迎会の後もきっとそうなるだろう。

みんなにバレないようにわざと離れた席に座るとか、別々に帰るように工夫しなきゃな。

いかに秘密裏に職場恋愛を続けるか・・・。

そんなスリルを味わいながら、私と類は日々の仕事をこなしていた。

Les films français

2月8日、月曜日。

私たちが働く不動産屋は水曜定休で、もう1日はバラバラで休みを取る。

平日は希望を出せば大体休めて(※土日祝休めるのは基本的に冠婚葬祭のみ)、あとは主任がみんなの予定を見てシフトを決めていた。


この日、私と類は珍しく揃って休みだったので、前日の晩から私の家で一緒に過ごしていた。

「いや~、今週は玲子ちゃんと2回休みが同じで嬉しいな。

明日出勤したら、明後日また一緒にいられるなんて。」

いつも素直に愛情表現する類は、こんなことでも喜んでくれる。

もちろん私も、類と一緒にいられるのは嬉しい。


寒がりでいつもくっついていたい私たちは、おうちデートが多かった。

社員の類の方が帰りが遅いので、「先に私が自分のうちに帰り、後で類が訪れる」という形が基本になった。

私が類の家に行ったのは初めてお泊まりした時だけで、まだ彼の家には自分の荷物を置いていない。

特に必要性がなかったので、合鍵の交換もしていなかった。


この日は私の家で、フランス映画の鑑賞日とした。

フランス語力をキープしたい私と、日本とフランスのハーフでフランス語を話せる類にとって、フランス映画を観ることは二人の共通の趣味だった。

私たちはソファに座ったり寝そべったりしながら、TSUTAYAで適当に借りてきた映画を延々と観ていた。

類の様子を観ていると、字幕なしでも耳で理解しているのがわかって、「やっぱり、子どもの頃からフランス語に慣れ親しんでいる人は違うな」と感心した。

いいな~類は。そんなにフランス語が聴き取れて。羨ましい。」

悔しそうに言うと、類は私の髪を撫でながら言った。

類の香水の匂いは、私の気持ちをそっと癒してくれる。

「当たり前でしょ。

俺の母はフランス人で、子どもの頃からフランス語で話していたんだから。

こう見えて、昔は日本語と両立させるの大変だったんだよ。

玲子は生粋の日本人なんだから、俺と張り合わなくていいんだよ。」

「そりゃ、そうだけど・・・。」

私は類と付き合っていくうちに、チャライのはルックスと口調だけで、本当は真面目で努力家なんだと気付くことが多かった。

そのギャップに惹かれ、私はもっと類を知りたいと思うのだった・・・。

作戦会議

その晩のこと。

愛し合った後、私たちはベッドの中でイチャイチャしていた。

類は急に思い出したように、「ねぇ、明日の作戦会議を立てようよ。」と言った。

私には何のことだか、さっぱりわからない。

「作戦会議って何?」

類は、私の唇をなぞりながらいたずらっぽく言った。

「ほら、明日の夜、歓送迎会があるでしょ?

俺たちの関係がバレないように、どうやって自然に振る舞うかっていう作戦だよ。」

「あぁ、そういうことね。」

わざわざ”作戦会議”と名付ける類が可愛らしい。


類は、自分が思い付いた”作戦”を披露した。

「まず集合だけど、派遣の玲子ちゃんは19時に上がるでしょ?

だから早めに店に入って、端っこの席をキープしておいて。

で、俺たち社員は20時に店に着くから、なるべく俺は後ろの方を歩いて、玲子ちゃんから離れた席に座るようにするよ。」

うん・・・それならいけそうな気がする。

「了解。わかった。後は、帰りだね。

二次会はカラオケがあるらしいけど、類は行くの?

私は一次会だけで帰るつもりだけど。」

類は甘えた表情で言った。

「行くわけないじゃん。俺も一次会で帰るよ。

早く帰って玲子ちゃんと二人きりになりたいもん。」

じゃ、問題は帰りだな。

「そっか・・・。一緒には帰らない方がいいよね?

タイミングを遅らせて店をバラバラに出て、うち集合にしようか?」

類はその”作戦”に賛成した。

「そうだね。玲子ちゃんは先に帰って。

俺は多分店長につかまってそうだから、適当にあしらって1本後の電車には乗るようにするよ。」

「じゃ、それで決定ね。」

私たちは計画を立て終わると、キスをして眠りに就いた・・・。

歓送迎会

2月9日、火曜日。

歓送迎会の日。

私は19時に不動産屋を上がると近くのカフェで休憩し、19:45には歓送迎会のある居酒屋に到着した。

まだ誰もメンバーは来ていなかったので、作戦通り端っこの席に座って待つことにした。

20時を過ぎると、社員たちがぞろぞろとやって来た。

欠席者はゼロで、自由が丘店のメンバー全員が集まったようだ。

類は作戦通り後ろの方にくっついて、私から一番離れた席に座った。

・・・よし、作戦成功だ。

私はホッと胸を撫で下ろした。

忠告

・・・しかし、恐れていたことが最後の最後に起こった。

お開きとなり、テーブルで会計のお金を集める頃、たまたま隣に座ったお局・鈴木さんが、私だけに聞こえるようにボソッと話しかけた。

「橘さん、あなた最近類くんと仲良くない?」

類をお気に入りの鈴木さんは、みんなの前でも堂々と”類くん”と呼んでいた。

「いいえ、そんなことないですよ。

私は社員のみなさん全員と同じように接しているつもりですけど・・・。」

私は平静を装っていたが、鈴木さんが「家政婦は見た」の市原悦子みたいに見えてきて、急に怖くなった。

どうしよう・・・。

上手く隠しているつもりだったけど、もしかして気付かれているのだろうか。

彼女は嫌味ったらしい言い方で、私に親切な忠告をした。

「類くんは誰もが認めるイケメンだから、橘さんが憧れる気持ち、わかるわよ。

でもね、好きになっても無駄よ。

あの人、既婚者だから。」

え・・・!?

私は、頭が真っ白になった。

既婚者だから・・・。

既婚者だから・・・。

既婚者だから・・・。

鈴木さんの言葉が、頭の中でループする。

私がショックを受けているのを見て、彼女は満足そうに離れて行った。

私は遠くにいる類を目で追った。

類も、私のただならぬ様子に気付いたようだった。


とにかく、店を出なきゃ・・・。

私は挨拶もそこそこに、足早に店を出た。

一人で歩きながら、さっき鈴木さんが言った言葉を反芻する。

類が既婚者って・・・。

類はチャラくて年齢不詳だし、生活感皆無だし、結婚指輪してなかったし、結婚してるかどうかなんて考えたこと、一度もなかった。

彼女がいるかどうかは、あんなに心配してたのに・・・。

でも、家に行った時だって明らかに一人暮らしの部屋だったし、私がチェックしても女の影は全くなかった。

かといって、わざわざ鈴木さんが嘘を言うとは思えない。

一体・・・どういうこと?

類の言い訳

「玲子ちゃん、待って!!」

もうすぐ駅に着くというところで類が追いつき、私の腕を掴んだ。

「類・・・。」

振り返ると、心配そうな表情の類が立っていた。

幸い周りに他の社員はおらず、私と類の二人だけだった。

「どうしたの、玲子ちゃん。顔色悪いよ。

鈴木さんに、何か意地悪なことでも言われたの?」

私は心を落ち着け、類の目を真っ直ぐ見据えて言った。

「類・・・聞きたいことがあるの。

鈴木さんから聞いたんだけど、類が結婚してるって本当?」

類の顔がみるみると青ざめていくのが見える。

「ごめん。玲子ちゃん、ずっと黙ってて。

俺、結婚してるんだ・・・。」

・・・気が付いたら、私は類の頬を平手打ちしていた。

痛そうに顔を歪めた類の顔は、悔しいくらい美しかった。

「最低!!私は自分がバツイチなこと、初めにちゃんと言ったよね?

なんで類は正直に話さなかったの?

類は言い訳がましく言った。

「だって、玲子ちゃん・・・俺に『彼女はいる?』とは聞いたけど、『結婚してる?』とは一度も聞かなかったよね?」

私は類を睨みつけた。

「そういう問題じゃないでしょ?」

類は力なくうなだれた。

「ごめん・・・。

妻とは離婚調停中なんだ。

もう別居して1年になる。

俺はずっと離婚したいって言ってるんだけど、向こうがなかなか応じてくれなくて・・・。

でも、別に暮らしてるし、妻に対して気持ちはないし、自分の中では夫婦生活はとっくに破綻してると思ってる。」

私は怒りの感情を込めて、類に訴えた。

「そんなこと言われたって、私、知らないよ・・・。

なんでちゃんと離婚出来ていないのに、私に近づいたの?」

類は申し訳なさそうに言った。

「初めは、好奇心からだった。

色んな女の子が俺のことを『イケメン』と言って寄ってくる中、玲子ちゃんだけはなびかなかったから。

でも一緒に仕事をしていくうちに、一生懸命頑張る姿に惹かれて、どんどん好きになっていったんだよ。

両想いになれるかもって思った時には、もう気持ちは止められなくなってた。

俺が既婚者って知ったら、玲子ちゃんは絶対離れていくだろ?

それが怖くて、黙ってたんだ・・・。」

そんなこと言われても・・・。

類の言葉を受け、私はどうすればいいのかわからなくなった。

類は「帰ろう。」と促した。

「ほら、ずっとここにいると、他の社員たちが来ちゃうよ。

とりあえず玲子ちゃんちに行って、そこでゆっくり話そう。」

まだまだ話したいことはあるし、他に方法もなかったので、私は類の言われる通りにした。

La dernière nuit

結局その夜も、類と一緒に過ごしてしまった。

「どうしよう・・・。

もうこんなに好きになっちゃったのに、別れるのは辛いよ。」

ベッドの上で、私は類の腕に抱かれ泣いていた。

「別に別れなくったっていいじゃないか。

今まで通り、仲良く一緒に過ごそう?」

類は私にバレるまで、ずっとこの状態を続けるつもりだったのだろうか。

「もう遅いよ。

・・・知ってる?

類が既婚者ってわかってるのに肉体関係を結んだら、私は奥さんに訴えられても仕方がない立場になるんだよ?

類は私が不倫相手の女になってもいいっていうの?」

類は指で私の涙をなぞりながら言った。

「妻にはバレないし、訴えられることもないから大丈夫だよ。」

「そういう問題じゃない。」

「じゃ、離婚に強い弁護士を雇って、正式に妻と離婚する。

そしたら、玲子ちゃん、もう1回付き合ってくれる?」

私は類のルーズなところが許せなかった。

「もう、無理・・・。やっぱり私たち、別れるしかないんだよ。」

「別れる」という言葉を聞いて、今度は類が嘆く番となった。

「イヤだよ。別れたくないよ・・・。」

私たちはどうしようもなくなって、二人で抱き合って泣き続けた。


「今夜が最後」という約束で、私たちは愛し合った。

初めは全然そんなつもりじゃなかったのに、類に抱きしめられると体が自然に欲してしまうのだ。

この時だけに見せる類の特別な表情も、あの香りも、もうこれが最後かと思うと、切なくて涙が止まらなかった。

「玲子ちゃん、愛してるよ。」

彼はいつものように愛の言葉を残して、静かに果てていった・・・。

Le matin

2月10日、水曜日。

翌朝目覚めると、類は私を抱きしめて言った。

「お願いだよ、玲子ちゃん。

どれくらいかかるかわからないけど、ちゃんと妻と離婚する。

そしたらもう一度、俺の彼女になって。」

私はそれを払いのけて、「無理だって。何度言っても無駄だよ。」と拒絶した。

この日は二人とも休みだったが、もうこれ以上一緒にいられる雰囲気ではない。

類は朝のうちに自分の荷物をまとめ、「帰るよ。」と告げた。

そして、最後にドアの前で私を強く抱きしめると、寂しそうな顔をして出て行った。

一人残された私は、類の香りの残った部屋で、声をあげて泣き続けた・・・。


いつもなら友達に泣きつく私も、この時ばかりは相談する気にもなれなかった。

一日中、類との色んな出来事を思い出して泣いてばかりいた。

しかも・・・明日から彼とは職場で顔を合わせ、何食わぬ顔で仕事をしなければならない。

派遣の契約期間は3月末までだから、辞めるまであと1ケ月以上もある。

私はここで初めて、職場恋愛の本当の地獄を知ったのだった・・・。


私は一人になって初めて、ミカエルのありがたみに気付いた。

離れていても私を疑うことを知らず、ずっと好きでいてくれたミカエル・・・。

本当にごめんなさい。

でも、謝ったところで、彼の心は戻ってこない。

何もかも、自分のいいように行動してきた罰が当たったのだ。

私は深く反省し、「今度こそ恋はお休みしよう。今こそ、仕事とフランス語の勉強に集中する時だ」と自分に言い聞かせた。


明日木曜の夜は、フィリップとエシャンジュの約束をしている。

私はいつも以上に、言語を学ぶことに集中しようと思った。

しかし、フィリップは私を異性としてほっといてくれないのだった・・・。


ーフランス恋物語116に続くー

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