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上野さんと最後のデート(フランス恋物語122)

Le dernier jour

2月19日、金曜日。

今日、上野さんは実家の仙台に帰省する。

パリ在住の彼は、「数日後パリに戻る。」と言っていた。

日曜の夜、「5日間限定の恋人」案を出した時、彼はこんな注意事項を言っていた。

「わかってると思うけど、俺は遠距離恋愛をする気はない。

俺が玲子のために東京に行くこともなければ、玲子が俺を追ってパリに来るのもごめんだからね。」

・・・私だって、遠距離恋愛をする気はない。

でも、「二度と会わない」みたいな言い方、さすがに寂しくない?


上野さんは、「17時過ぎに、東京駅発の新幹線に乗る。」と言っていた。

別れ際、彼はどんな言葉をかけてくれるのだろう?

少しは優しいこと言ってくれるのかな。

そして私は・・・彼のいなくなった後の喪失感に、耐えられるのだろうか。

Le matin

朝10時。

前夜に”上野さんの愛のフルコース”を受け、疲れ果てた私はぐっすり眠っていた。

ふと目覚めると、彼が私の顔をじっと見つめている。

「え・・・な、何!?」

上野さんはニコッと笑って、私にキスをした。

「おはよう。玲子。」

「お、おはようございます。

上野さん・・・何見てたんですか?」

彼は、私の頬を指でなぞりながら言った。

「いや、玲子の寝顔見るのもこれで最後だなと思って。

結構可愛い顔して寝てたよ。」

え、嘘でしょ!?

「ヤダ!!恥ずかしい!!」

上野さんは愛おしそうに私を見つめてキスをした。

「玲子でも照れたりするんだな。」

・・・あぁ、こうやって一緒に目覚めるのも、これで最後か。


ベッドでイチャイチャしていると、上野さんが聞いた。

「どうする、玲子?最後にもう1回したい?」

え・・・どうしよう!?

したいような、したくないような・・・。

いや、もちろんしたいんだけど・・・したら、上野さんを帰したくなくなる。

「いいえ・・・やめておきます。」

彼は意外そうだった。

「あ、そう・・・。」

でもすぐ笑顔になって、私の頭を優しく撫でた。

「・・・だよな。またしちゃったらきりがないもんな。」

「そうです。

・・・それに私、上野さんと外でデートもしたいし。」

「そうだよな。最後だから思い出作らなきゃ。

じゃ、そろそろ準備しようか。」

「はい。」

目覚めてから1時間・・・私たちはやっとベッドから抜け出せたのだった。

三菱一号館

私が初めに彼を連れて行ったのは、丸の内にある三菱一号館だった。

【三菱一号館】
三菱が東京・丸の内に建設した、初めての洋風事務所建築。
1894(明治27)年、開国間もない日本政府が招聘した英国人建築家ジョサイア・コンドルによって設計された。
全館に19世紀後半の英国で流行したクイーン・アン様式が用いられている。
当時は館内に三菱合資会社の銀行部が入っていたほか、階段でつながった三階建ての棟割の物件が事務所として貸し出されていた。
この建物は老朽化のために1968(昭和43)年に解体されたが、40年あまりの時を経て、コンドルの原設計に則って同じ地に復元された。
この復元に際しては、明治期の設計図や解体時の実測図の精査に加え、各種文献、写真、保存部材などに関する詳細な調査が実施された。
また、階段部の手すりの石材など、保存されていた部材を一部建物内部に再利用したほか、意匠や部材だけではなく、その製造方法や建築技術まで忠実に再現するなど、さまざまな実験的取り組みが行われている。
19世紀末に日本の近代化を象徴した三菱一号館は、2010(平成22)年春三菱一号館美術館として生まれ変わった。

明治・大正時代の建築物が好きな私はこの一画がお気に入りで、東京駅周辺に友達が来た時はよく案内していた。

ランチは、前から気になっていた美術館併設のカフェに入ることにした。

(上野さんが「もう和食じゃなくていいよ」というので、今回は洋食メニューのカフェを選んだ)

ここは、明治時代銀行の営業室として使われていた空間で、クラシカルで重厚な雰囲気がすごくいい。


ランチタイムはいつも混むらしいが、遅めの時間だったのですんなり入ることができた。

私たちは、グラタンやサンドイッチ、サラダなどがのったワンプレートランチを頼んだ。

見た目が色鮮やかなだけでなく、味も繊細で美味しくて、ここにして良かったと思った。


店内を見渡しながら上野さんは言った。

「俺が東京で活動していた時はこの建物なかったな・・・。

洋風だけど、やっぱりパリの建物とは違うんだよね。

それを比較するのもなかなか面白い。」

彼がこの建物に興味を持ってくれて、私は嬉しかった。

「そうなんですよ。

一度ヨーロッパに住んでその街の雰囲気にどっぷり浸かってから、日本に帰った後こういう建物を見ると、新たな発見があっていいんですよね。

ただ『建物が綺麗』っていうだけじゃなくて、先人の知恵や想いとか歴史を感じてもらいたいなと思って選びました。」

彼は美味しそうにコーヒーを飲みながら言った。

「俺、玲子とデートするの楽しいよ。

玲子と一緒に出かけると、色んなことに気付かされる。

もっと一緒に色んな所に行きたかったな・・・。」

心なしか、その笑顔はちょっと寂しそうに見えた。

La cour

ランチを終えると、三菱一号館美術館と丸の内パークビルディング(ブリック・スクエア)とに挟まれた「中庭」に案内した。

「東京の中心にいる」とは思えないような、都会の喧騒を忘れさせる楽園的な場所で癒される。

「へぇ、なんかこの雰囲気フランスっぽいね。

庭から美術館側を見ると、東京じゃないみたいな・・・。」

初めて連れて来られた上野さんは感心していた。

「私、ここ大好きなんです。

バラの季節はとても綺麗で、ずっと見ていたいくらい。

クリスマスのイルミネーションもロマンチックで、素敵ですよ。」

上野さんは、私の肩を抱き寄せて言った。

「東京駅の近くにこんな場所があるなんて知らなかったよ。

教えてくれてありがとう。」

あれ?・・・今日の上野さんはめちゃくちゃ優しい。

最終日だからかな。

私は照れ隠しに、「次の場所へ行こう。」と誘った。

明治生命館

三菱一号館の1ブロック先に、明治生命館はある。

ここも私のお気に入りの場所で、友人をよく案内するスポットだ。

昭和初期に建てられ、現代建築には見られない重厚さと細やかな装飾、そして戦火を潜り抜けたという歴史に、私はすごく惹かれていた。

【明治生命館】
1934年(昭和9年)3月31日に竣工。
設計は明治末から昭和初期にかけて活躍した建築家で、東京美術学校・教授の岡田信一郎氏。
戦時中の金属回収、東京大空襲、そして終戦後はGHQに接収され米・英・中・ソの4カ国代表による対日理事会の会場として使用されるなど、昭和の激動の時代をくぐりぬけてきた建築物である。
昭和31年、アメリカ軍からの返還が正式決定され、同館の屋上で返還式が執り行われ、同年、返還後の復旧工事が完了。
往時の姿を今に伝える建築物として、平成9年重要文化財に指定された。
現在、1階店頭営業室や、対日理事会の会場となった2階会議室をはじめとする執務室、応接室などを一般公開している。

中に入ってみると、柱はもとより壁、床にもふんだんに大理石が敷き詰められ、淡い照明とともに重厚感と気品が感じられる。

私はこの建物の魅力を語った。

「さっきの三菱一号館は明治ですけど、これは昭和初期に建てられたものです。

空襲を潜り抜けて、戦後GHQに使われたっていうのがすごくないですか?」

私が説明すると、上野さんは驚いていた。

「知らなかった・・・。丸の内にこんな建物が現存するなんて。」

・・・上野さんでも知らないものがあるんだと私は意外だった。


本当は、2階にあるマッカーサーも出席したという会議室を見せたかったのだが、あいにく平日ということで入れなかった。

上野さんは「またいつか帰国した時、土日に見に行くよ。」と言っていた。


「1階の”ラウンジ”は平日でも見学可」ということで、私たちはソファに並んで座った。

周りに人はおらず、静寂だけが辺りを包んでいる・・・。

上野さんは私の手を握り、ぽつりとつぶやいた。

「この空間だけ、ゆっくりと時が流れているみたいだね・・・。」

「はい・・・。」

私は顔を上げ、高い吹き抜けの天井を眺めた。

びっしりと並んだ花形の飾りが、とても豪華で美しい。

この建物があまりにもヨーロッパを模倣しているので、私は感じたことをそのまま言った。

「今、日本っていうよりヨーロッパのどこかにいるみたい。

ここがパリだったら良かったのに・・・。

そしたら上野さんとさよならせずに済んだのにな。」

てっきり上野さんに「バカだなぁ」と言われると思ったのに、彼は何も言わなかった。

彼は今、何を考えているのだろう?

Le quai

あっという間に17時過ぎになり、上野さんとお別れの時間が来た。

彼は、17:20発の新幹線で仙台に帰省する。

私は新幹線のホームまで見送ることにした。

彼は「ばあちゃんの好物だから」と言って、ホームのキヨスクで「東京ばな奈」を買っていた。

そんな優しい孫に愛されるおばあちゃんを、私は羨ましく思った。


ホームで一緒に並びながら、私たちは最後の会話をした。

上野さんは優しい笑顔で言った。

「玲子、5日間一緒にいてくれてありがとう。

すごく楽しかったよ。」

私は湿っぽくならないよう、明るく言った。

「私も楽しかったです。

宿泊費だけでなく、外食やらデート代やら色々出していただいて、ありがとうございました。」

彼は私の肩を抱き寄せた。

「いいんだよ、それくらいのこと。

俺のために色々”おもてなし”してくれて、嬉しかったよ。

もう玲子を抱けないと思うと、寂しいな。」

そんなこと言って、前は冷たいこと言ってたくせに・・・。

私はわざと意地悪く聞いてみた。

「でも、上野さん、この5日間が終わったら、もう私とは会わないみたいなこと言ってましたよね?

『俺が玲子のために東京に行くこともなければ、玲子が俺を追ってパリに来るのもごめんだからね。』って・・・。」

その言葉を聞いて、彼はバツが悪そうにした。

「そうだったっけ・・・!?

まぁ遠距離恋愛をする気はないけど、仕事で帰国した時、もしかしたら連絡するかもしれないな・・・。

その時、お互いに相手がいなければの話だけど。」

あれ・・・なんか初めより好転してる!?

「じゃ、私がパリに旅行に行った時、お互いに相手がいなければ、会ってくれるかもしれないってことですか?」

彼はいたずらっぽく笑った。

「・・・だね。

『二度と会わない』と決めるには、勿体ない女だということに気付いた。」

「何それ!?」

私は嬉しくなって、上野さんに抱きついた。


新幹線が近づくアナウンスが聞こえると、上野さんは人目も気にせずキスをした。

最後に彼は言った。

「そういえば明日、絵梨花の結婚式でナンパされたフランス人と会うんだよな?

あの男が声をかけるところ見てたけど、『その辺のモデルより美しい、イイ男だな』って思ったよ。

俺のことは気にせず、楽しんできて。」

私は負けじと言った。

「ありがとうございます。

確かに彼は、叶姉妹も求めるレベルの”グッド・ルッキング・ガイ”です。

でも、色気は上野さんが世界一ですよ。

・・・あと、あのテクニックも。」

彼は苦笑した。

「言うね~。玲子。

最後まで褒めてくれてありがとう。」

彼は私の頭を撫でると、新幹線に乗り込んでいった。

Chez moi

うちに帰った後、部屋のあちこちに上野さんと過ごした残骸が残っていた。

ぐじゃぐじゃになったままの布団の跡、上野さんが昨夜食べていたポテチの袋、彼に貸した大きめのトレーナー・・・。

寂しくて泣くかと思ったけど、不思議と涙は出なかった。

明日の夜、”グッド・ルッキング・ガイ”なアンドレと会うから!?

それもあるだろうけど・・・・やっぱり「上野さんとまた会えるかも」という希望が残されたからだと、私は思った。

André

その夜、アンドレから「明日、どこで食事する?」とメールが来た。

彼はフランス語講師のプライドなのか、単にめんどくさいのか、私に遠慮することなくフランス語でメールを送信してきた。

まぁ、簡単な文だからいいんだけど・・・。

私が「新宿か渋谷がいい」がいいと言うと、「じゃあ新宿にしよう」と提案され、19:30に新宿の彼オススメのフレンチで待ち合わせすることが決まった。


今日まではどっぷり上野さんに浸かっていたけど、明日からは頭を切りかえてアンドレ仕様にしなければ・・・。

久しぶりのフランス人とのデートに、私は気合が入った。


しかし、この”グッド・ルッキング・ガイ”がすごい曲者だということを、この時の私は全然知らないのだった・・・。


ーフランス恋物語123に続くー

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