記事一覧
自分が少数派だった時、知ってもらう必要性に気付いたら、まずは他の少数派である人達を知ろうとしていますか?
そもそも自分が小さな頃から、何か違うなと感じていました。
普通の日本人家庭で普通の片田舎です。小学校のクラス単位でいえば、たまにいるちょっと変わった奴、その程度ですけどね。まあ、それでも本人にとってはずっと付きまとう悩みです。だからこそ、人と違うこと、について、よく考えていました。
そして、現代の多様性を認めようとする社会。難しいですよね。
どんな少数派でも当事者の言うのは大抵・・・・
「
何の変哲もないご近所の野山の眺め
自転車(ロードバイク)を趣味としている内に、隣近所の山を走る農道に向かうことが多くなりました。意外と整備がちゃんとされていて、すれ違う車もわずか、走りやすいんですよ。さらに最近気づいたのが、ロードバイク乗車中の天敵、風がないことです。周りが林なので天然の防風林になっているようです。
始めは、当然、周りはタダの緑一色でした。
走る最中、考えることもないので「たまに見かける花を見分けられるようにな
コミュニケーションも技術。教えることも学ぶことも可能なはず。
技術って言うと、仕事とか趣味とかの技術を思い浮かべがちだと思います。でも、普段の何気ない日常の会話も一つの技術として、改めて考えた方がよいと思うのです。
友達付き合いにおけるいじめ、仕事などにおけるパワハラ、男女間のコミュニケーションにおけるセクハラ、子育てにおける虐待、などなど、これらって、ほとんど技術の問題ではないでしょうか。
伝える技術、受け取る技術、読み取る技術、やってはいけない言動を
世代の違いでなかなか気付きにくかったこと『話せばわかる?』
前回の『察する』ということにも関わる考え方のお話です。
現在の日本は、世界中と関わり合いを持っています。その前に、日本国内の日本人だけでも、テレビやネットを通して地域問わず貧富問わずなど、広い範囲での関わりがあります。多様な価値観が存在することを実感しやすくなりました。それに対して、世代をさかのぼる程、地域だけであったり、家族と町内会だけになったり、関わる世界は少数の社会になっていくでしょう。
日本社会がまだまだ未熟な理由の一つ。専門家、そして、一個人をどう捉えていますか。
他の国は知りません。他の国と比べて、ではなく、まだまだこの国は発展・進化の余地がある、という意味で、未熟だと思っています。
Twitterで知性が脅かされているとか、そういうのを見掛けました。そして、よく普段から考えているこのことがまた頭の中に現れました。
問題の切り分けというのが適切にできていないことは世の中多いのです。
今日はその中でも、人間に対する評価について。
専門家というのがいま
人間はこれ以上進化の仕様がない?いやいや、まだまだ、その余地はいっぱいあるでしょう。その一、話すことについて。
創作物の中で、人間と言う種は、進化の行きついた先のように描かれることが少なくありません。だから、その先があるとすれば、超能力などの特殊な能力がそれだとして様々な作品で展開されています。わたしが今、パッと思い出せるのは、映画X-MENシリーズ、田辺イエロウ作の漫画BIRDMEN(小学館)ってところです。(少ないですね。もっと色々あったと思うのですが‥‥思い出せない。悲しい。)でも、最近、「いやいや、
もっとみる嫌悪感がある人物に対して 斜に構えて分かったように語ることに正しいことはありえない それが例え、署名されたプロの文章であっても
もう少し頻繁に書き込みをしようと思っていたけれど、結局、数か月が開いてしまいました。わたしのやること、こんなんばっかです。
さて、タイトルそのままなんですが、嫌悪感がある人物や特定の集団に対して、現実の会話はもちろん、Twitterの発信や、署名された記事(つまり仕事として書いたと思われる文章)で語られることについてです。
ここ数日では、ロシアによるウクライナへの侵攻の話で、ウクライナに降伏を
学校教育で英語が使えるようになるには
わたしが考えるようになったこと。その2です。
昔からの疑問、多くの人も思っているでしょうが、なぜ、どうやって幼い子供は母国語を学んでいるのかと言うこと。
これも、思いついた後、動物とつながるんだなと思いました。
多分、間違っていないと思います。
中学高校と6年間も学んでいたのに #使えない英語 問題の解決にもなります。
何処かで、子供は記憶することに優れ、大人は『つながり』を見つけることに長
日本の他人へ滅多に触れない文化
わたしが考えるようになったこと。
自分が周りの人とは違う発想をしたことをちゃんと書き留めてみようと思っています。
所詮は、発信が遅かったり、そんなに違いがあるものではないかもしれませんが。
最近、人間も所詮は動物なのだと感じることが多いのです。もしくはそう考えることで合点がいくことも多い。
この前の投稿で書き込んだ発達障害に関する話もそうですね。
今現在の話題に絡めると・・・新型コロナウイル
発達障害をどんな風に受け止めていますか?
それは、障害と書きますし、呼びます。
だけど、
よくよく考えてみて、周りを見て、自分を見ました。
その“周り”には、人間社会だけでなく、動植物も含みます。そして、生まれなかった者も、育たなかったも者も。
今、自分なりに発達障害と呼ばれるものを考える時には、“個性”と思います。
発達障害の話ではなかったかもしれませんが、SNSか何かのネット上で、障害とされることを“個性”と呼ぶことに反感を覚え
発達障害って知っていますか?
近年、発達障害と言う言葉が広く知られるようになりました。
十数年前くらいから徐々に広まったように思います。栗原類さんの告白とかも話題になりましたね。ただ、苦しんでいる人もいる“障害”を示す名前なのに、ネットでは簡単に人をそうと決めつけ、軽々しく使われていたりもします。
その具体的な中身はどれだけの人に広まっているのでしょう。
発達障害を取り上げる記事を見ると、重度も軽度も、日常は普通に見えるが実