発達障害って知っていますか?

近年、発達障害と言う言葉が広く知られるようになりました。
十数年前くらいから徐々に広まったように思います。栗原類さんの告白とかも話題になりましたね。ただ、苦しんでいる人もいる“障害”を示す名前なのに、ネットでは簡単に人をそうと決めつけ、軽々しく使われていたりもします。
その具体的な中身はどれだけの人に広まっているのでしょう。


発達障害を取り上げる記事を見ると、重度も軽度も、日常は普通に見えるが実は様々な困難を抱えているような白黒つけ難いグレーゾーンの場合も十把一絡げとなっていますね。記事を書く側にもその程度の認識しかないのは、正直に言って、残念です。

軽重や症状の現れ方、その幅は大変に広いです。多少なりとその解説やただし書きもないのでは、広く読まれる記事にはできないと思うのです。

新型コロナウイルス感染症から、インフルエンザウイルス感染症、その他たくさんのウイルスによる病気、それらを全部含んで『風邪』と呼ぶようなものでしょう。内容から類推させるつもりなのでしょうか?

わたしは、本で、アメリカ精神医学会の診断基準がDSM-4からDSM-5へ改定される頃の内容を読みました。(図書館にあった手軽に読める日本語の本です。)基準そのものが、分類の仕方も、名称も変化することがあるようで、書く側にも読む側にも共通認識は求めづらいのは確かです。そもそも複雑なので明記しづらいのは理解できます。でも、個人の話にせよ、一般論にせよ、「発達障害が・・・。」とまとめて語っていては読み手に書き手の考えは伝わりにくいでしょう。知っている読者には、「ああ、これはグレーゾーンの話だな。」「重度・軽度までは分からないけれど、一人での社会生活が無理な話なのかな」とか、分かることもありますが、書き手はそれでいいのですか?


わたしはと言えば、発達障害と言う名称が世に広く出回っていなかった時期にあるホームページと出会いました。そのページを公開していたのは精神科の医師(と名乗っていらっしゃいました。実名までは覚えていません。)のようで自分自身を分析していました。そのページの中で、発達障害、ADHD※という言葉を使っていたとおぼろげな記憶にあります。
4つくらいに分類していたと思います。発達障害を4つに分けていたのか、ADHDを分けていたのかは定かではありません。ただ、内容が妙に引っ掛かり、ブラウザのお気に入りに登録していました。自分の身に覚えがあったんですね。近いものを感じていました。

※ADHD----注意欠陥多動性障害などと訳されます。欠陥が欠如と書かれていたり、微妙に違うことがありますが、同じものを示しているようです。発達障害の中の一つの分類です。

自分に関して、物心ついた頃から他人との違和感を感じていたのです。3歳頃が一番古い記憶ですが、その頃からです。

人の身体のある部位に強い関心を示し、やたらと触ろうとする子でした。また、幼馴染が言うには、「バカ」という一言で怒り出したそうで、からかい甲斐のあるタイプだったようですね。まあ、よくケンカしていました。小学生になってから、幼稚園時代を思い出して、二日に一回は喧嘩していたなと、思い出していた記憶があります。嫌なことも沢山あった訳で、登園拒否児でした。幼稚園バスが近所にある集合場所へ迎えにくるのですが、台所のテーブルの脚に捕まって嫌がったり、泣き叫びながらバスに乗せられていました。その当時は「嫌だから」という理由で登園しないことは許されない、あり得ないような空気感がありましたね。拒否はしていましたが、いやいやながらも乗せられて毎日通ったようです。行けば行ったで、元気に過ごしていたとは思います。喧嘩しつつですが。

その後、小学校入学前の年長さんの頃には少し落ち着いていました。年の近い兄や近所の子供がたくさんいまして、喧嘩を多めにしながらも、なんだかんだと外を元気に走り回っていたのですから、不思議なものです。

語ればまだまだ色々ありましたが、それはおいおい・・・。そんな状態ではありましたが、今、何とか大人をやっています。大人になっても微妙に苦労しています。


話を元に戻します。

そんな風に「いい年」と呼ばれる頃に『発達障害』『ADHD』を知りました。兄弟から自分の認識とは別に「発達障害じゃないか?」と指摘されたりもしました。しばらくして、はっきりさせたくて精神科へ行き、思い当たる節が多かったADHDかどうかを調べてもらいました。その結果、何とも分かりにくいのですが、「ADHDだろう」という診断を受けています。診断書にはADHDとは明記されていないのがモヤモヤしますが、そんなものでしょう。きっと百人百様です。


上にも書いたように、発達障害という言葉で一括りにまとめたくはないのですが、言えることが一つだけあります。

感性は、一般の人たち(定型発達をした人たち)とは違います。

「分かるだろ?」と簡単に言われがちな部分を分析することが必要です。一つ二つ、深く掘り返してみないと感覚ではわからない、と言ったところです。ただし、具体的なことは個々で違います。

「他人を理解するためにイチイチ深堀しなければならない、そんな面倒な自分だからこそ、気付いたのかな?」と思われることを語りたくなりましたので、今後、この場を借りて、綴ろうと思っています。気が向いた方は目を通していただけると嬉しいです。

何らかの発達障害を抱えた子供をお持ちの親御さんに役立つかもしれない内容だったり、ただの変わり者の発信だったりもします。

一週間に一つは何かを上げようと思う程度の更新をするつもりでいます。


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