日本の他人へ滅多に触れない文化

わたしが考えるようになったこと。

自分が周りの人とは違う発想をしたことをちゃんと書き留めてみようと思っています。
所詮は、発信が遅かったり、そんなに違いがあるものではないかもしれませんが。

最近、人間も所詮は動物なのだと感じることが多いのです。もしくはそう考えることで合点がいくことも多い。

この前の投稿で書き込んだ発達障害に関する話もそうですね。
今現在の話題に絡めると・・・新型コロナウイルスの変異のように変異は絶え間なく数限りなく起こっていて、中には生きるのに向いていないモノもある。大成功を収めるモノもある。それを人に当てはめるような考え方をしました。

そして、また一つタイムリーな話題があります。
いや、更新の早いネットでは、すでに少し古くなっているかもしれない話題です。

時事通信社のつい先日(2021.11.6)の記事、「あいさつのキス衰退か コロナ改善も、戻り鈍く―仏」というものがあります。

もともとの切っ掛けは、去年の前半に他人のツイートを読んだことです。
それによって、他のこともつながった印象がありました。

どの部分が他人の考えなのかは時間を掛ければ分かるかもしれませんが、ちょっと横に置いてきます。

とにかく、


<日本人の他人には滅多に触れなくなった文化、そして、死を忌む文化は、過去の感染症対策が始まりではないか>


ということです。

猿を見ると、漏れなくスキンシップが激しいですよね。まあ、蚤取りとか必要に駆られている部分もあるかとは思いますが、人の文化にもスキンシップが激しいのが源流にあるのだと思います。

しかし、子供の頃、日本人に握手は今ほど浸透してはいなかったような気がします。
男はもちろん、仲良しの女の子同士でさえ、今ほどスキンシップをしていたでしょうか。
オープンではなかっただけかもしれませんが。
それほど、日本人は他人に触れることが少なくなっていたのではないでしょうか。
ある外国人のお話には、その人本人が海外で他人ととる距離感より、日本にいると少し離れて会話することが普通になった、というのがあったと思います。

つまり、どこかで変わっているのが日本人だと。


コロナ禍以前、
死を忌むことをおかしい、良くない文化だとして、正そうとするネット上の発信を見るようになっていました。
最近は身近でも、穢れを祓うための塩を通夜や葬儀で配ることがなくなってきました。

文化を良い方向へ発展させようというのは分かりますが、ちょっと釈然としていませんでした。
迷信だと、一つの文化が表面的に捉えられて、切り捨てられているような気がしていたのだと思います。


そこへこのコロナ禍、他人に触れるどころか近付くことを怖がり、葬儀でもすでに遺骨になってしまって報道されたりもありました。
そして、昨日のフランスにおける現状の記事、同じ様に過去の日本人もスキンシップを大きく減らしていたのではないでしょうか。

もともと、日本の気候に湿気が多く、ウイルスや細菌が増えやすい環境だったのもあるでしょう。


コロナ禍以前、海外ではまだスキンシップが激しくて普通だったように、動物の頃の習慣や他と触れ合うことを好む習性は色濃く残っている部分は少なくないのではないかと考えています。言い換えれば、そんなに動物であることがしっかり残っているのなら、人はまだまだ変わる余地があるということです。

いかがでしょうか。

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