発達障害をどんな風に受け止めていますか?

それは、障害と書きますし、呼びます。

だけど、
よくよく考えてみて、周りを見て、自分を見ました。
その“周り”には、人間社会だけでなく、動植物も含みます。そして、生まれなかった者も、育たなかったも者も。


今、自分なりに発達障害と呼ばれるものを考える時には、“個性”と思います。

発達障害の話ではなかったかもしれませんが、SNSか何かのネット上で、障害とされることを“個性”と呼ぶことに反感を覚える人がいたのも目にしています。軽々しく“個性”と呼んでいるように受け止めるのかもしれません。「そんな簡単なものではない」と言いたいのでしょうか。

多分、<生きること、社会生活を送っていくことには何の問題もないけど、人それぞれ持っている違いが“個性”だ>
そう言うのが一般的に考えられている意味でしょう。

でも、よく考えてみてください。少数ではあるかもしれませんが、世界には生まれながらにして様々で大変な障害を持っている者が普通にいます。世界に目を向けずとも日本にだってもちろんたくさんいます。それらが生まれ持ったものであるなら、全部“個性”に含めていいのではないでしょうか。美しい人、頭がいい人、それぞれのスポーツでとんでもなく活躍する人、生きるのにプラスとなる普通じゃないモノを持つ人達もいます。そういう頂点を極めるような人の方が数は少ないくらいでしょう。そちらを含めるのなら、生きるのにマイナスとなりそうな困難を抱えることも“個性”であると、わたしは捉えているのです。

このように“個性”というものを拡大して考えています。
わたしの中では発達障害も含め、『生まれ持っての障害は“苛烈な個性”である』と考えます。

発達障害にとどまらず、生きることや社会生活を送るのに困難を抱えている心身の特徴も“苛烈な個性”です。

医療に恵まれていれば忘れていそうですが、日本でさえ、生まれれば健康に大人になるかどうかは100%ではありません。世界に目を向けたり、動物に枠を広げたり、植物まで見るともっと分かるはずです。普通に、産まれてくるとは限らないし、成長しないのも普通にあることです。自然が身近でない人は、お店で売っている植物の種、それが入るパッケージを見るといいでしょう。発芽率というのがあります。種と言う形をとっていても、芽を出さないことは普通にあることなのです。園芸では一つの狭い範囲に数個の種を撒き、芽が出たら、そこから育ちの良さそうな芽を選んで他を抜いてしまうこともすると教えられます。

人間の場合、しかも日本では、医療に恵まれて大概は元気に生まれ育つ気がします。でも、そうでないことも普通である“生物”という大きな枠の中に、我々人間もいるのが厳然たる事実なのです。それを思えば、“苛烈な個性”と呼ぶのも分かっていただけるのではないでしょうか。

つまりは、従来の“個性”と“苛烈な個性”を合わせると現実に存在している“個性”と言えると思うのです。
生まれ持った違いは、もともとそのように範囲が広いのです。人間社会と森や海のような自然とを分けて考える人は少なくないと思いますが、自然の厳しさ複雑さは、人間の作る社会やその肉体内部にもしっかり現れているのです。多くの人が気付かなかっただけ。

目に分かりやすいものばかりではないのです。肌から内臓まで人の違いは多岐に渡ります。当然として脳にも違いがあるだけです。一つのあり方が発達障害という形で比較的明確に分類されるようになっただけなのです。

知る人は知っていたし、気づかない人も普通にいることなのです。何せ従来、個人がよく知る範囲など、多くて数十人が関の山でしょうし、医療の専門家でも分かっていなかったことは多いのです。

しかも、発達障害は遺伝するようです。であれば、今もいる以上、昔も普通にいる存在であるということです。少数ではあれ、連綿と受け継がれてきたものです。重度であれば難しかったかもしれませんが、生きて子を成した人はそれなりの数いるということです。少数ではあっても、小中学校のクラスに一人二人はいる程度、「珍しいか?」「特別か?」と言うとちょっと微妙ですね。いわゆる変わり者と言う程度が多いでしょう。今、その親になった人はそういう存在を育てる側になった時、緊張することは想像に難くないです。でも、日本全体を見ただけでも、たくさんの人が育て、育ってきた訳です。重度だとはっきりしたのなら別ですが、あまり深刻になる必要もないことは少なくないでしょう。

「何とかなりそう」なのが発達障害を持つ少なからぬ個人だと思います。

様々な理由で何とかならない人もいるとは、やっぱり思います。わたしは理系なのではっきりそういう可能性も感じます。でも、それは誰にも感じることです。親になるとそういう可能性も気になるとは思いますが、多分、それを考える力は、交通事故に気を付けることに割く方がよほど意味のあるでしょう。医学としてもまだまだ日の浅い分野です。親と言えど完璧に対処できるものではありません。

「なぜ、うちの子が?」と悩むほどの少ない可能性でもなく、どうしようもないと思われるほどではないことが多いでしょう。アドバイスを書こうとしてこのnoteを記している訳ではありませんが、そういう困難を感じている方にお伝えしたいのは、一つ、

『悩み過ぎて笑顔が無くなることだけは無いよう、お気をつけください。』

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