学校教育で英語が使えるようになるには

わたしが考えるようになったこと。その2です。

昔からの疑問、多くの人も思っているでしょうが、なぜ、どうやって幼い子供は母国語を学んでいるのかと言うこと。


これも、思いついた後、動物とつながるんだなと思いました。
多分、間違っていないと思います。
中学高校と6年間も学んでいたのに #使えない英語 問題の解決にもなります。

何処かで、子供は記憶することに優れ、大人は『つながり』を見つけることに長けていると読んだりもしましたが、それともつながります。

英語の教科書に、時に、実際には使わないようなフレーズ・文章・言い回しがある、という話を目にしたこともあります。
習っている単語と文法の範囲内で文章を作り、掲載しているからだそうです。
まあ、教科書検定?とか、大きな枠内で動くことの不自由さが現れた結果ということでしょう。作る側の人は苦労しているのでしょう。
それによって、変な学習を子供にさせているのは問題だけれど、スタート時だけの小さな問題とか、苦労して作っているくらいだし仕方ないで済ませているのでしょうか?

そして、最近は昔のような、押しつけ型の教育から脱するためか、意味を教えることを大事にしている人は多いと思いますが、わたしは、これも逆に足かせになっているように感じます。

そんな風にいろいろな情報を頭に入れながら、「日本人が学校で習うだけで英語を使えるようになる方法」は何なのかを空想でもするように考えていました。
一生懸命考えていたわけでなく、ただの昔からの疑問で時々思い出していただけです。あちこちで、人が様々に英語を学ぶ場を設けたり、いきなり、英語圏へと出発するという話は目にしますから。


そこでふと疑問が湧きました。
『Hello』はなぜ小学生でもすぐ使えるのか?

誰でも分かることかと思いますが、意味は、「こんにちは」である、というだけで簡単だからですね。
ここで、成り立ちなどの意味を考える必要はありません。使い方も、日本語の「こんにちは」とは全く同じではなくとも、さほどに不都合はないからでしょう。記憶が得意な子供時代なら、なおさら学習はあっという間です。
使うのにも躊躇はほとんどいらないでしょう。使いやすいことで、手を挙げるような動作や挨拶する状況と一緒に、頭に刷り込まれますね。


ここで気付いたんです。
文法や意味を学ぼうとすること、それらを重視して順序良く教えようとすることが、初等教育には足かせにしかなっていないと。
そこをすっ飛ばしてまるまる覚えて使うから、幼児は言葉を生活の一部として吸収するのだと。


分かる人も多くいると思います。
もう、実際にやっている人はいそうなんですが、

文法や意味を勉強するのは少し後回しに、『フレーズで、文章で、習った直後に使えるよう英語は丸覚えする』という学習を初等教育ですべきことなのです。

旅行用のフレーズ集のような本がありますね。片仮名で書かれた発音付きで。
それがスタート時の教科書でいいのです。
その後、その中の一つの単語を入れ替えれば、応用が利くように学習内容を広げていくのです。
仮定を示すような文章であれば、数年後に文法を習うこともあるでしょうが、それでもいいのです。
使えるフレーズを丸覚えして覚えた数を増やすことが、至上命題です。

文法は今までのように、ゆっくり学べばいいのです。小学生など、日本語だって間違うことが珍しくありません。
英語を間違えたところで、現状の、掛けた時間ほどには役に立たない勉強をずっと続けるよりもずぅっといいでしょう。

記憶した数が増えた時、様々な文法を学んだ時、それが相互につながる瞬間があります。
意味も曖昧に覚えて使っていたのがはっきりとするでしょう。点と点が線になり、面になります。面白いですよ。そういう瞬間って。
どこかのクイズ番組にありましたね。アハ体験というやつです。
(ちなみに、わたしはパソコンの操作を昔ながらの文字で行うコマンドラインについて学んでいる時にそういう瞬間に出会いました。)
その時から、分かるから楽しい、楽しいからもっと知りたくなる。知ることで分かることはより広がる、好循環が生まれますよ。

もちろん、その後も言語学習には、いくつかの壁があるでしょう。でも、一番の壁はこれで乗り越えられると考えます。


そして、教える側の注意事項です。これは学び方の話ですから、教える側としては、子供のつまづきには臨機応変に対応してください。
疑問が浮かんで意味を飛ばすことができない場合もあります。その時には精一杯教えてあげてください。

さて、ここまでわたしの言い分を読んで、動物とどう関わるのか?と思った方もいるかもしれません。

簡単な話です。

動物の学習って、親兄弟の真似をすることです。
深い意味や成り立ち、仕組みは後回し。
それが言葉を持たない時にもできる学び方なのです。
動物になったつもりで真似して使ってまるまる覚えることを積み重ねるのです。

人間って、感情に振り回されたり、こだわりを抜け出せなかったり、プライドが邪魔したり、理論を学んでもなかなか腑に落ちないなど、思った以上に理性的でない生まれ持った個性によるつまづきが多いと、わたしは考えます。
発達障害をグレーゾーンにしても抱えていると、自分のコントロールであったり、会話や人付き合いの困難さに多く出会い、自分の感性が当てにならないことを知ります。理屈・理論を大事にしがちです。だけど、大人の社会だって動物的な力関係が支配していたりしますよね。だからこそ、人間の動物的な側面を見直すようになった今日この頃です。


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