人類進化の先とは

わたしが接した映画などの創作では、人類は、進化の先に行きついたように語られることが多かったように思います。多くの創作者はそう思っているということでしょうか。それではつまらない。だから、作品では、それぞれ超能力やミュータントのようなファンタジー系で進化を表現していたり、外宇宙に飛び出したりする内面ではない技術的進化で表現されていたり、文化的に滅亡して進化をやり直していたりなんてことになっていました。

最近、わたしの頭の中では、少しずつ、この先、実際にどう人類が進化するのか、どういう部分にその余地が残っているかを具体的に考えるようになってきました。所詮は名もない一般人の妄想かもしれませんが、それが頭の中でまとまり始めた気がしています。

スピリチュアルな話ではありません。現実に何があり得るかという話です。

それを思いつくままに、時々、noteに書き連ねたいと思います。



やっぱり、人間のこれからの進化は突然には起こらないと考えます。

ぱっと見は、進化と言うほど大きな進み方ではないけれど、その小さな一歩として。
現状と社会の目指すところについて語ってみたいと思います。


まず、進化は、治安において世界に様々な差があるように、デジタル化に差があるように、飢餓のある国ない国があるように、

”一部から始まる”と思われます。

そして、進化は“歪“です。

あっちはできて、こっちはダメで、という感じです。一つの国や社会だけでもそんなですが、一人の人間でも、社会人として、家庭人として、プレイヤーとして、監督や指導者として、多種多様な視点から見れば、ある視点では進んでおり、またある視点からは遅れているように見受けられると考えます。つまり、徐々に徐々になのです。あっちでは進んでこっちでは遅れてが点在し、努力や夢中で一息に進んだかと思えば、事故や事件で後退しつつ、徐々に徐々に、“進んでいる方が増えていく“というのが種にとっても進化のあり方なのです。

さらに進化は、社会だけでなく、一人の人間でも、

“物や決まりごとの変化に遅れて、意識が変わる“

そういうことなのです。




ある視点から社会を見ます。現状について。

乱暴ですが、一言で言えば、今のネットの利用方法には品がない。

昔、少数なら、ネットのエチケット、『ネチケット』がありました。今は、皆がそれぞれ半端なマイルールで利用しています。まあ、試行錯誤の段階とも言えるかもしれないですね。昔よりは法が踏み込んでくるようにはなりました。が、制限され始めたようでいて通信やコンピュータの物理的な発展、そして、ソフトウェアの発展により、手軽で自由に発信しやすくなる方がより加速していると考えます。だから、炎上が絶えない。自己顕示欲を満たしやすくなったなど、ブレーキよりはアクセルが踏まれていると思われるのです。無防備な他人の心を無自覚に過剰と言われるほどに責め立ててしまったり、その功罪には鈍感な人が少なくない。車社会に例えれば、皆が車の便利さに気付き、低価格化で購入のハードルが下がり、ほどほどにルールも整ったようで広く使われるようになった。しかし、利用が加速度的に広まることに反して、後の世から見れば、法規や罰則の規定、道路の構造、人々の意識が十分には追い付かずに交通事故が増えている時代、と言ったところでしょう。
話し合いを当然とせず、戦争を手段とするような国と国との関係があるのと同じようなものと思います。

ここまでが現状。だから乱暴に言ってしまえば、『品がない』。


そして、進化です。

それは、学校などでネットやコンピュータの功罪を体系的に学んだ世代が増えれば、個々の中に、そして集団の作る空気に、適度なブレーキとして現れることです。

新たな便利さに慣れ、その危険も知り、深く考えずとも安全に便利さを存分に受け取るようになります。(今の現役世代ではまだまだ世代交代が必要です。)
それは住みよい世界を生み出すでしょう。
これは、他人にブレーキを管理されるのではないことに注目してください。もちろん、法規などルールの充実、道路などインフラの構造によるところもありますよ。だけど、決定打は、人々の意識の変化です。つまり、個々のブレーキで円滑に回るようになるということです。


これが人類の小さな小さな一つの進化と考えるということです。


一部が強烈に進化して、真白で品行方正な社会とはじかれた薄汚れた社会が併存する、そんなディストピアを想像しますか?まあそれは現状でも、存在しているところはあるので否定はできませんが、まだまだ改善しようという動きはあると思っています。


もっと、夢のある進化の話を期待した方はがっかりする内容かもしれません。でも、こんなものではないでしょうか。そして、こんなものでも積みあがったら、先にどんな住みよい世界が広がっているのかと思うのです。


ただ、教育では古いモノが消えようとも、家庭や社会での関わりなど上の世代からの影響が消えるのは意外と時間がかかります。長生きが増えた現在、日本だけでも浸透して明確に変わるには、百数十年くらい必要でしょうか。もっと早く来るのでしょうか。
早く見てみたいのですが、どうでしょう・・・・






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