世代の違いでなかなか気付きにくかったこと『話せばわかる?』

前回の『察する』ということにも関わる考え方のお話です。

現在の日本は、世界中と関わり合いを持っています。その前に、日本国内の日本人だけでも、テレビやネットを通して地域問わず貧富問わずなど、広い範囲での関わりがあります。多様な価値観が存在することを実感しやすくなりました。それに対して、世代をさかのぼる程、地域だけであったり、家族と町内会だけになったり、関わる世界は少数の社会になっていくでしょう。


狭い範囲の少数の社会、発展も緩やかであれば、自分の思いを察してくれるかもしれない他人がいる、そう期待しやすい環境ではあります。
(もちろんはみ出す人はいつの時代にもいたとは思います。ただ、今よりはそういう傾向があるという話です。)
つまり、世代をさかのぼるほど、察することが可能になりやすいということです。

どのくらいまでの世代が覚えているかは分かりませんが、20代くらいの若い人は知らないでしょう。昔、モテる男というものは『寡黙』でした。口が達者でよくしゃべる奴はランクを少し下に思われていた・・・そう言ってもいいと思います。不言実行、というのが求められていた大人の男性像だったのです。

動物までさかのぼれば当然、言葉なんかない訳です。そこが進化の原点ではあるのですが、昭和世代になっても、まだまだ言葉を必要としない部分がかなりあったのです。若い人には驚きかもしれません。
喋らない方がカッコいいとさえ社会全体が思っていた。
それって、言葉で伝えることが下手でも構わない状態だったということです。
こう考えると人間ってまだまだ動物から抜け切れていないなあ・・・なんて思いませんか?


民主党政権が行った事業仕分けの時に強く感じたのですが、
『プレゼンやアピールが強く必要とされる時代がやって来た!』
と思いました。

それ以前はどうだったのかと言うと「頑張っていれば誰かが見ていてくれる」ということを期待していい時代でした。察してくれる、ただ自分は与えられた仕事を頑張ればいい、という世の中だったのです。実際はそれなりに切り捨てられた人たちはいたのですが、世の中の空気感としては、そういうものだったと言っていいと思います。

会話や話し合いが下手で構わない時代が少し前にあったのです。

さらに上の世代なんか、何かを聞いても言葉が返ってこなかったりもします。「それは必要がないから言葉にしないんだ」とカッコいいこと言う人もいるでしょう。でも、言葉にできない、その能力がない、と考えてもあながち間違いではない、とわたしは考えます。

若い人が4・50代以上の世代ににモヤモヤしたものを感じていたとしたら、これが大きいでしょう。

進化というものを考えると、明確に一つ動物・サルに近い。

若い世代はそういうサルに近い世代がつくる社会を塗り替えなければいけない。
なんて言うか・・・頑張ってください。皆さんが切り開くしかないのです。
勉強を重ねて自らを更新していく人もいますが、少数です。

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