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夢とサッカー

 僕はプロとして野球をやってきたけれども、小学生中学生のときにやっていた野球とは全く違って、そういう楽しさはゼロだった。ゼロです。プロになるとやっぱり責任が付いて回るので。うまくいったときの気持ちよさというのは、もう言葉では表現できない、口ではもう説明できないような快感があるのだけれども、でも基本的には失敗と常に向き合うことの時間になるので、すごく大変なこと。だからもう一度、同じ人生を、野球選手になりたいかと僕は聞かれたら、やるという、はっきりとやりたいということはできない。というのがプロの世界だということは知っておいてもらいたい。 
イチロー

 する/見る/支える/応援する。サッカーとの関わり方はいろいろある。最近は、サッカーのことが頭の中の大部分を占めている。トリニータはJ2のシーズンを5位で終え、これからはJ1昇格を懸けてプレーオフを戦う。J1の優勝争いや残留争いも佳境を迎え、目が離せない。Jリーグが終われば、いよいよカタールW杯が開幕する。大学でもサッカーの授業を受けていて、週に1回、人工芝のグラウンドでボールを追いかけている。

 中学・高校の6年間、部活としてサッカーをやってきた。「ピッチの外の振る舞いが、ピッチの中に出る」と、顧問からよく言われていたが、本当にその通りだと思う。部活は良くも悪くも、学校生活の一部だ。勉強や人間関係で悩んでいた時は、サッカーも上手くいかなかった。以前の記事に書いたけれど、部活以外にもやることがたくさんある状況下で、サッカーに集中するのはすごく難しかった。

 それでも、部に所属している限り、サッカーと向き合わなければいけない日々が義務のように続く。自分はサッカーが好きなはずなのに、損得勘定が逆になって「早く練習が終わってほしい」とか思うことも、正直あった。あの頃は、誰かから課されているような感覚で、少し無理をしながらサッカーをやっていたのかもしれない。いい思い出も、たくさんあるけどね。

 皮肉なことに、大学生になってから、サッカーがより楽しくなった。試合を90分通して観る機会が多くなって、戦術への興味も湧いてきた。プレー中も、以前より周りが見えるようになった気がする。今、サッカーが楽しいのは、自分の純粋な気持ちに従って、思うままにサッカーと関われているからだろう。

 幼稚園の卒園アルバムに書いた将来の夢は、「サッカーせんしゅ」だった。中学生の頃だったか、サッカーチームの通訳になりたいと言っていた時期もあった。大好きなものを仕事にするのは素敵なことだけれど、仕事にしてしまったら、義務として向き合わないといけなくなって、苦しいこともあるんだろうなと思う。サッカーは、これからも趣味としてとっておく。

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