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優しさと自己満足


誰にでも優しいんでしょ、と言われることがある。

上辺の優しさに疲れてしまった人、ありきたりな慰めに苦しくなってしまった人。疑心暗鬼が生む歪な感情と心は、とても脆く崩れやすい。だから人と距離を取ってしまう、近づくのが怖くなる。恐らく存在はしているけれど神経は繋がっていないはずの心が、酷く軋む。胸の真ん中辺りが、じくじくと痛み出す。それはとても不確定で不安定だけど、確かにあるはずの心。

残念ながらわたしは、そこまで優しくはなれなかった。息苦しくなってまで人に優しさを差し出すことはできない。プライベートでは特にそうだ。「誰にでも優しいんでしょ」と言う人は、私を知らない人。そのことに安堵することだってある。知って欲しいのはいつだって〝自分を好きでいてくれる人〟だけだ。それ以外の人はどうでもいい。


プライベートでは、その傾向が特に顕著だ。

好きな人にはとても懐く。大好きな友人とのデートは、いつだってどきどきする。まるで恋する少女のように、胸が高鳴る。楽しませてあげたいし、どんな話だって聞きたい。好きな男性には甘えたいし、甘えさせてあげたい。それ以外は必要じゃない。優しさにそれ以上の優しさで返したいと思う人。そんな存在が一人でもいたら、わたしは満足なのだろう。

とめどなく溢れる欲求は誰にでもある。恋人が欲しいセフレが欲しい、友達が欲しい親友が欲しい。人恋しさを自覚した瞬間に溢れ出して止まらない、欲求と欲望。確かにわたしにもある。けれど、上辺の優しさは要らないし、肌を重ねるだけで満たされることもない。満たされないものは欲さないし、満たす気もない。それは自分にとってはただ、心に孔を空けるだけだと知っているから。


上辺の優しさに、何度傷ついてきた?

その傷は簡単には治らない。求めるだけ求めて、残ったものはあった? いつの間にか不必要なものまで、心に溜まっていく。わたしはそれが嫌なのだ。そうやって溜まったものを吐き出せなくなってしまった人を知っているから。不必要な優しさが誰かを傷つけることを、よく知っているから。だから、優しくしたい人にだけ優しさをあげたい。見返りなんて求めていなくても、優しさをくれる人。

昔は誰にでも幸せになって欲しかった。それが出来るんじゃないか、と思っていた。今でも、その気持ちがわたしの心に残っている。そんな驕りに疲弊する自分に気付いて、泣いてくれる人がいた。その涙が、わたしは忘れられないのだ。だから形を変えた。未だにきっと、不格好で歪な心。それでも揺るぎにくくなった心。それを教えてくれた人に、わたしはずっと感謝している。



現実、SNS、LINE、電話。

わたしに関わってくれている人たちに、上辺の優しさを渡したくはない。わたしが言葉を尽くすのは、ずっとそこにいて欲しいから。だから自分が紡げる最大の言葉で、恋を愛を優しさを紡ぐ。無意識に出てくる言葉を紡いでいたい。それで笑ってくれたら、微笑んでくれたら、それだけでいい。高望みなのかもしれない、本当はそこまで伝わらないかもしれないけれど。そのことだって、わたしが知っていればいいのだから。

仕事で言葉を尽くすのは、その日を生きて欲しいから。最終決断はできない。それはいつだって、その人だけの特権だから。それが嫌になる日もある、悔しいほど自分の無力を感じることだって少なくない。けれど、話し始めた声が段々と明るくなって、最後にはきっと笑ってくれることがどれほどに嬉しいことか、わたしは知っているのだ。だから、言葉を尽くす。明日わたしが死んだっていいように、自己満足でしかなくとも言葉を尽くす。決して上辺ではない言葉。それが伝わってくれたら、それ以上の幸せはない。


頑張ったね、と言ってくれる人がいる。

それは友人であったり、家族であったり、会ったこともない画面の向こうの誰かだったり。そんな人たちに上辺の優しさを差し出すなんて、できっこない。顔色を見て心配してくれる人、体重が減って叱ってくれる人、些細な変化を褒めてくれる人、真っ直ぐな言葉をくれる人、遠くから見守ってくれる人。わたしにはその存在だけで、充分。いつだって、これからも。

だから、その存在に気付けないほど傷付いた人に、そんな存在が欲しい人に、わたしは言葉を尽くす。ずっとずっと先まで生きて欲しいから、ずっとずっとそこに居て欲しいから。心の中が覗けないことが、言葉という無力さがどうしようもなく悲しくても、わたしは言葉を諦めたくない。諦められなかった。


人は簡単にいなくなる。

まるで存在してなかったみたいに、まるで消失するように、本当にある日突然にいなくなる。その存在がいた記憶だけを遺して、簡単にいなくなってしまう。それが最終決断だと、解ったように語る人間になりたくなかった、なれなかった。それで良かった。


誰にでも優しくできるような、そんな優しさは残念ながら持っていない。

守り抜くことも、その手を握り続けることも、できないかもしれない。それでも、あなたがそこに居てくれて、わたしが此処にいる。

それだけは、忘れないでほしい。夜の狭間で、朝の白々しさの中で、そのことだけは忘れずにいたい。言葉を諦めないために。






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