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昨日、本屋アルゼンチンのインターンチームの集まりに行ってきた。そこで、深く潜った体験を書いておきたい。インターンでは、自分たちがワクワクすることを好きでしている。イベントができたら紹介したい。


対話ってなによ?


チームのひとりが対話について話してくれた。
対話とは、共有共存できることと、共有共存できないことを明らかにすることではないか。共有できるようになるまでは、黒か白かはっきりさせようとする動きをする。共有共存できること、共有共存できないことを、ワンセンテンスで表せるようになるまでに、相手と何万文字もの言葉を交わす。何万文字もの言葉を交わし、共有できるものがあるかもしれないし、ないかもしれない。その人の背景を知るため、自分の背景を知ってもらうためにそれを行う。それが面倒に感じる人もいれば、それをしたいという人もいる。自分の限られた生命の時間を使うなら、その営みができる人と一緒に過ごしたい。彼は、言った。

「自分を隠すコスト」について


チームのひとりが自分を隠すコストの話をしてくれた。自分を隠すって、全方位に神経を張り巡らすことになる。「ここで嫌われないために…」「この人と繋がってもらうために…」人に気を遣いながら生きることは、全方位にいる人の反応をモニタリングしながら生きなければならない。それってしんどい……。いざ本当に好きなことをしようとする時に、もう自分にはメモリが残ってない。だから自分を隠すことに、自分のメモリを使わない。
「よく見せたい」「愛されたい」と願い、自分を隠しながら相手の時間も奪っている。自分を隠さずに生きることは全然楽じゃない。自分に対して、自分を隠さず生きることは、しんどい。自分を隠さないのだから、相手が聞きたくないことも言わなければならない。震えながら言葉にすることもあるだろう。でも、それは、相手を軽んじることではない。自分を隠さずに生きる、相手にも正面からぶつかっている。

わかりやすさを求めている自分に気付いて、ハッとした


4人でカードを使った対話に関するゲームをした。
カードに書いてある文章が、スラスラと頭に入ってこない。
「この文章を読んで、参加している誰もが、答えることができるのかな?」私は口にした。
「わからない文章だからこそ、潜ることができるのよ。深く潜るときに、わかりやすさは、邪魔をする」。
ハッとした。私は無意識に、わかりやすさを求めていた。
一度読んでもわからないから考える。文章を何度も読みかえして、自分のなかに取り込もうとする。文章のかたまりを小さく砕いて、かけらのひとつずつを身体に取り込んでいく。自分のなかにある体験と照らし合わせる。体験と言葉が重なるところを探していく。少しずつ、ひと言ずつ、言葉を当てるように、出していく。合っているとかいないとかも、ない。皆は出てくる言葉をひとつずつ、聴いている。言葉が出てくるまでの間。長い間。3人が、自分の言葉が出てくるのを待ってくれている時間は、特別だった。


※15:30追記
noteを書いたら本屋アルゼンチン店主がX上でコメントをくれた。
それを読んで、また、潜る。

一度目を通しても何が書いてあるのか意味がわからなかった。ゆっくりと、声に出して読む。もう一度読む。3回くらい読む。ようやく入ってくる感じがする。自分の器。枠組み。方法より態度。柔らかな器でいたいと思った。人が注ぐ水を受けられる器でいたい。でも、何でもかんでも、受けとるとしんどそうだなとも思った。器、器、枠組み、枠組み。自分の器、考えていたら今日が終わりそうだ。

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