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「人生100年時代」が不安な私へ、希望をくれた奥能登のおばあちゃんたち

先日、石川県の奥能登(能登半島の最北端)の集落へ2日間お邪魔してきた。目的は、ネットコミュニティで知り合ったMさんご夫妻に会うためだ。宿泊先は廃校の小学校を改装した施設。ちなみに私の家は横浜なので、片道7時間という結構な長旅となった。

こんな世界、存在するんだ・・!

行って本当に良かった。物凄く沢山の発見があり、心や価値観を揺さぶられた。沢山ありすぎて書ききれないのだが、、。例えば、この集落では「貨幣経済」ではなく「信用経済」が成立している。又、ネットを使えない高齢者も多いが、特段不便なく、むしろ人間の能力をフルに使ってイキイキ楽しく暮らしていて、まさに「生きている」。これは人類の未来の方向性の1つなのかもしれない、とさえ感じた。

目的は、観光ではなく生活体験

Mさんの家は、金沢駅から更に車で3時間ほどの山奥の海辺にある。道中の山道は、人の気配が全然なく、イノシシやタヌキが出る。街灯もなく、スマホは圏外。カーナビに従って運転するも「ナビ間違ってるんじゃないか?」と心配になるほどだった。

今回なぜ遠路はるばる会いに行ったのかというと、奥能登という土地とMさんに興味があったからだ。Mさんは生まれも育ちも神奈川で、システムエンジニアの仕事をしていたのだが、4年前に夫婦でこの地へ地方移住し、現在はほぼ自給自足で生活している。Mさんだけでなく、この土地の方々は狩りや畑や漁で食物を得て、互いに物々交換をしつつ、ほぼ自給自足で生活をしているという。そこにとても興味を持った。

だから「観光ではなくて生活体験」が今回の主目的で、Mさん夫妻は近所の個人商店や、みんなが集う定食屋や、漁業場、山、畑など、色々と連れて行って交流させてくれた。その合間合間で、「普段の生活」「大切にしているもの、考えていること、価値観」などを語り合うという密度の濃い時間を過ごした。

とても沢山の気づきがあったのだが、全部を一気に書くのは難しいので、今回はそのうちの1つを書こうと思う。

「人生100年時代」とはいうけれど・・

私は「老いても楽しく幸せに生きられる世の中を作れないものだろうか?」と考えている。「人生100年時代」については、基本的には非常に前向きに捉えているし、自分自身、生涯現役でイキイキと生きていけるようになりたいと思っている。・・のだが、しかし、同時に強い疑問と不安も感じているからだ。

なぜ老後が不安なのか

それは、私が今まで接してきた高齢者の方々で寂しそうに生活されている方が少なからずいらっしゃったから。
特に強く印象に残っているのは、今から15年前、私がコンビニの店長をしていた頃の近所の80代のおばあさんだ。身寄りは誰もいない。家に籠って一歩も外へ出ない。少し内気な性格で、地域コミュニティへも参加しない。毎日テレビばかり見て孤独に過ごしていた。

おばあさんは、よく私にちょっとした配達を依頼した。届けに行くと、とても待ちわびた様子で嬉しそうに迎えてくれる。そして毎回手料理を用意してくれていて「ご飯食べていきなよ」と言う。そして1時間ぐらい、二人でコタツで食卓を囲みながら、おしゃべりをする。

そして、いつも私にこう言うのだ。「生きていてもいいことなんてない。早くお迎えが来てほしい・・・」「テレビをつけても、殺人だとか暗いニュースばかり。こわい世の中になったものだ」。

私は、このおばあさんに、楽しく生きてほしかった。笑ってほしかった。だけど、私には、一緒にご飯を食べることぐらいしかできなかった。
当時の私は、大学を出たてでまだ若かったということもあり、根本的にどうしたら解決できるのか分からなかった。そもそも勤務時間中に抜けてきているので店の仕事も途中だし、お客様宅で毎回タダでご飯をご馳走になっているのはちょっと複雑な感じもあった。

そして、それ以降も、このおばあさんと似たような方をたくさん見てきて、ずーっと気がかりだった。「高齢化社会とは、こういうことなんだろうか?」と思うようになっていった。老いるのが怖い。人生100年とは言うけれど、実際のところ全然嬉しくないじゃん。自分もこうなってしまうのかな・・と。私のように漠然とした不安を抱える人は、多いのではないかと思う。

奥能登のおばあさんたちから受けた衝撃!!

そんな私にとって、今回物凄く衝撃的だったのが、奥能登のおばあさんたちだ。みんな最高に元気でハツラツとしていて、80代でも60代に見えるほど。私よりもずっとパワフルで、底抜けの笑顔が本当に素敵だった。

そして、みんな普通に「複業」している。パラレルワーカーおばあちゃん!かっこいい!
あるおばあちゃんの1日はこんな感じだ。朝は海女さん(あまさん)として海に潜って漁をし、そのあとトラック市へ好物のドーナツを買いに行く。昼は友人経営の定食屋を手伝いつつ常連さん(というか全員ご近所さんで知り合い同士なのだが)とお喋りをし、じゃあね~!と軽やかに店を出ていき、そのあと畑仕事をする。
そして、これまたすごいのは、お金のためというより、楽しみとしてやっているということだ(この集落ではお金はあまり必要ないのだそう)。

人生、生活、暮らしそのものとして、ご近所、友達同士で交流しながら助け合いながら楽しみながら・・。そんな高齢の方が沢山いるこの町。今までの価値観がひっくり返るような、心を揺さぶられる体験だった。

孤独な高齢者をなくすために、何ができるのか?

では、これを真似してそのまま全国に展開すればいいのか、というと、そういうわけではない。この集落ならではの独特な事情がベースにあるからだ。

でも、これは私の長年のモヤモヤに対する大きなヒントとなった。何か方法が見つかりそう。キラッと光が見えた。

「生きることは働くこと。働くことは生きること。自分の好き・得意を活かして一生活躍できる」それを奥能登のおばあちゃんは体現していた。

私は、商品開発の経験から「結局のところ、高齢者の気持ち・ニーズは高齢者が一番よく分かっている、逆に言うと高齢者にしか分からない。」と思っている。それなのに、実際は高齢者は引退扱いとなり、高齢者ではない人が高齢者向け商品やサービスを開発・運営している。それは的外れなことだと思うのだ。高齢者だからこそ活躍できる場を無意味に奪っていることにもなる。だから、その解消が「生涯現役」実現のための1つの手段になると考えている。

イキイキと楽しく生きる高齢者が増えること。それは、ご本人にとっては勿論のこと、社会にとってもメリットは大きい。そして、その姿を見せること自体が、中年以下の若い世代にとって自分の将来への希望となる。

机上の空論にならないよう、色々な方にお話を伺ったりしてぜひ実現していきたいと考えている。

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