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【七十二候】閉塞成冬‥そらさむくふゆとなる


『閉塞成冬‥そらさむくふゆとなる』
                                                12月7日~11日頃


二十四節気もいよいよ『大雪』(たいせつ)となり本格的な冬の訪れです。遠くに見える山肌も、うっすらと雪の衣を纒い雪化粧。



太玄斎の書いた暦の解説書である
暦便覧によると、大雪とは
『雪いよいよ折り重ねる折からなれば也』と
あり、雪が激しく降り始める頃を意味します。


寒いのは本当にとても苦手で
冬の間は冬眠していたい‥!
そして雪の日の運転はツルツル路面も
バリバリ雪の轍も怖くて怖くて仕方ないわたしなのですが‥



冬の朝に凛と冷えた空気の中
寒い寒いと言いながらカーテンを開け、そこに広がる銀世界を見つけると何故かテンションが上がります。



きっと本当はカーテンを開けるその前から
分かっていて‥雪の気配を知っていて‥
その隙間からこぼれる光の誘惑に心が躍るのです。



眩しいほどにキラキラと輝き
真っ白な雪の中をザクっザクと
歩く感触を思い出すから‥かもしれません。
ザクっザクっと
新雪を踏むの好きです。


山陰地方は、去年も一昨年も雪が少なく
パラパラと降りうっすらと積もる程度だったと
記憶していますが
今年の雪はどうなるのでしょう。


 



『閉塞成冬』
「閉」そして「塞」と並ぶと
ネガティブな意味を浮かべてしまいますが
「天」の気は空に上がり
そして、「地」の気は地中に閉蔵され
天と地が分かれ、通じ合わなくなり冬になる‥という意味があるそうです。

春から秋まで行われていた天地の交流が終わり、しばらくお休み期間へ。
「冬季休業中」そんな感じでしょうか。


いつもそこで言葉を交わし
合図を送りお互いの存在を確認し合っていた
であろう天と地。
この時期は一切の連絡を絶ってしまうのでしょうか。 


春から秋までそこにあったものが
冬の到来と共に失くなるのは、とても寂しいことですが‥しかしそれは決して永遠のサヨナラではなく春になれば必ずまた逢える‥




そう考えれば‥
春の訪れの楽しみがまたひとつ増えますね。


陰極まりて陽にて転ず
どんな状況下であろうと
塞がった後には必ず開ける‥。
冬のあとには春が訪れるように。





先週末の休日。
気温が低く風も冷たかったのですが
どうしても海を見たくて‥。



毎朝、通勤時も海沿いを通り
会社の玄関からも海がすぐに見える場所で働いているので、わたしにとって海はいつもそこにあり、毎日視界に入っているはずなのに‥
それでも心が海を求めることがあります。



さて、どこに行こうかなと思いを巡らした時
ふわっと浮かんだのが島根県美保関町。


島根半島は北側を日本海、南側を美保湾・中海・宍道湖に囲まれていて
美保関町はこの島根半島東端に位置します。

 

美保関灯台を目指し、くねくねとした海沿いの道に車を走らせていると、晴れた日は海面がそれはもう眩しいほどにキラキラキラキラと輝きを放ち、運転していても気になって気になって。笑



本当にキラッキラッでした。笑


いつもこの道を通る時は
何回か車を停めては写真を撮るので
なかなか前に進めません。


やぎさんにも会いました。


ん?呼んだ?笑



寒空の中、釣りをされている方を
何人もお見かけしました。



そして帰り道には
天使の梯子。




薄明光線で太陽が雲に隠れているとき、雲の切れ間あるいは端から光が漏れ、光線の柱が放射状に地上へ降り注いで見える現象

Wikipedia より



天使の梯子と呼び名がある
薄命光線が見れるのは


澄んだ空気の秋から冬に多く
太陽を遮るほどの厚い雲 
そして切れ間のある雲の発生。
水滴よりも小さい目に見えない「水滴」が多数浮遊した状態であること。



橋の上に少しだけ光芒見えますか。




『ヤコブの梯子』とも呼び名があるのですが
その由来としては、信仰の先祖とも言われる
アブラハムの孫であるヤコブが
雲の切れ間から差す光のような梯子を
天使たちが上り下りしている‥
そんな夢を見たことからそう呼ばれるようになったとか。


その様子を目を閉じ想像すると‥


小さくて可愛らしい天使たちが
歌をうたいながら一歩一歩‥
ゆっくり降りてくる‥そんな微笑ましい姿が
わたしの脳裏に浮かんできて
穏やかで優しい気持ちになるのです。


それはもうわたしの中では
『幸せの梯子』と呼びたいほどに。










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